小説カイコ

作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第三話 ふりだし編◇-24


            ◇

「カイ?カーイ?」

いつもの夕暮れの日。僕とハツはいつも通りに仕事を終えて、カイの家に遊びに来ていた。ハツは、何日か前から一緒に来るようになったが、すぐにカイとも仲良しになった。
が、いくらカイの名前を呼んでも答える声がしない。

「どうしたのかな、どこかに出かけちゃったのかなぁ。」ハツが諦め加減な口調で言った。
「そんな……おーい、カイ!!」
すると裏の横戸がガタンと開く音がした。夕日に照らされた細身の影は、カイの母親だった。
それから僕たちの姿を見つけると明らかに迷惑そうに眉根を寄せた。
「ごめんねぇ、カイは風邪引いちゃってね。だから君たちとは遊べないから。」
「風邪?」ハツが心配そうに言った。

するとカイの母親は無言で頷くと、ピシャリと戸を閉めてしまった。
それが、もう帰れという意味なんだと思った僕らは、その日はおとなしく退散することにした。

                ◇

それから何日も雨が降り続いた。
大雨は、村境の川を荒れさせた。稲が駄目になってしまわないかと皆心配している。蚕の方もあまり雨が降り続くと育ちに悪いらしい。お婆が手を揉みながら言っていた。
けれど、僕はカイに会いたくて会いたくて、稲のことも蚕のこともあまり頭になかった。
会いたい、ただそれだけだった。

                ◇

数日が過ぎ、雨雲が流れた。
川は相変わらずに荒れていたけれど、会いたくてしょうがない僕は止めるハツを無視して神蟲村まで駆けて行った。水の様子がひどいので、今日は仕事ができない。だから早い時間からカイに会いに行くことができた。
果たして、カイは庭に居た。
僕が声を掛けると、嬉しそうにこちらへ走ってきた。

「久しぶり、すっごく会いたかった。」お土産のナナカマドの実をあげると、カイは目を丸くして喜んでくれた。
「風邪は?良くなったの?」
するとカイは、声を出さずに首を振った。それから、苦笑いをして自分の喉を指差し、また首を振った。どうやら風邪で声がうまく出ないらしい。
「そっか、声出ないんだね。」
そういうと、カイは笑顔になって頷いた。僕もカイの言いたいことが分かったことが、なんだかとても嬉しくて一緒に笑った。



                ◇

その次の日。カイは外に出てこなかった。
この前みたいにしつこく名前を呼ぶことはしなかった。きっと風邪が悪くなって寝ているんだろうと思った。だから、起こしてしまうのは何だか悪いような気がした。


けれど、その次の日も、そのまた次の日もカイは外には出てこない。
数日後ついに、カイの母親がまたもや迷惑そうな表情を浮かべながら表に出てきた。

「カイは疫にかかっちゃったから。しばらく来ないでちょうだい。」
そう、手短に呟いて、もうお帰りなさいと僕を乱暴に追い出してしまった。

                ◇

「……疫、か。」
家に帰ってからハツに事の一部始終を話した。

「どうしよう。もう会えないのかな。」弱気になって呟くと、ハツが僕の手をがっしりと握った。
「会えるよ、絶対に!」それは、僕に対して言っているのかそれとも自分自身に言っているのか、よく分からない言い方だった。「そうだ、町のお薬屋さんまで行ってみようよ、町の先生なら疫に効くお薬も持ってるはずだから!」

「……そうだね。」

でもね、ハツ。
僕らにはお薬を買うお金なんて無いんだよ。


                ◇


「お薬を売ってもらえませんか、僕たちにできることなら何でもしますから!」

すると、薬屋の老人は低い声で唸った。「……お主らが思っているほど、薬味は安いものではないわ。」
「お願いです、何でもしますから。」ハツが重ねて頭を下げた。
すると、老人はふと何かを思いついたらしく口調を速めた。「どこの村から来た?」
「瓜谷です。」
「ほほう、瓜谷か。よいよい、売ってやろう。」老人がケタケタと笑った。

「本当にいいんですか!?」
「ああ、瓜谷の蚕を十匹でどうだ。瓜谷のはよく太っていて良いと聞いたぞ。あれはいい薬味になるからな。」

「え…蚕を…?」ふらふらと、眩暈がした。
「おうよ、待っているぞ。もちろん品定めはさせてもらうがの。」そう老人は呟くと、店の奥に足を引きずりながら帰って行ってしまった。

                 ◇



「それでね高橋。僕らは村の蚕を勝手に持ち出しちゃったの。」話が終わって、太一が一呼吸置いた。
「そうなんだ…」
「うん。バレるのも時間の問題だろうね。それにね、町に出かけることも本当はいけない事だったの。」
「え、何で?出かけるだけなのに?」

「うん。」ハツが頷いた。「最近疫が流行ってるでしょ?疫が流行りだしたら村を出るなって、昔からの決まりでね。町にいくと疫神が付いてきちゃうからって。でもちゃんと蟲神様が疫神から村を守っていてくれるけど、念のためにね。」
「……大変だったね。」この幼い二人が、どれほど罪の意識に悩んだんだろうと思うと、同情しかできなかった。
すると、存外に太一は驚いた顔をした。「高橋は、責めないんだね。」




それから家に着くと、夜が刻々と更けていき、すぐに寝る時間になった。薄い、ボロの布団を二人は丁寧に綺麗に敷いた。その中に潜り込んでしばらくすると、数分もせずに二人分の穏やかな寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたらしい。……あんなに歩いて更に大泣きしたんだもんな、疲れてて当然か。

それから、俺もすぐに眠った。


               ◇

「任史くん、任史くん起きて。」
眠りに就いてからどれほど時間がたったのだろう?誰かが耳元で俺の名前を呼ぶ声がした。
まぶたを開けると、真っ暗で何も見えない。ふいに、また声がした。
「任史くん、ここ。隣だよ、真横だよ。」
「へ?」何が何だかわからない。手探りで、空を掻いていると、何か柔らかいものに当たった。なんじゃこりゃ。

「…?」
「随分と寝ぼけてるね。僕だよ、土我だよ。」確かに妙に落ち着きのある、この深い声は土我さんのものだった。「まぁなんでもいいからこれ食べて。」
そう言うと、半ば無理やりに土我さんは俺の口に饅頭っぽいものを突っ込んできた。……あ、これひよ子だ(笑) しばらくモグモグやっていると、土我さんがくすくす笑う声がした。

「ななななな何なんですか!? 急にひよ子なんて、」…やっと口が自由になった。
「うし、帰るよ。」そう言うと土我さんは俺の手をぐいっと引っ張って俺を立たせた。「今、任史君が食べたのは確かにひよ子。2011年のひよ子だよ。……まったくここまで探し当てるの大変だったな。まぁひとまず発見できて安心安心。」

その時、気が付いた。どうしてこんなに騒いでいるのに、太一とハツは起きないのだろう?

すると土我さんが口を開いた。「もうこの二人には君は見えてないよ。もちろん僕のことは最初っから見えてないけど。さっき2011年のひよ子食べたでしょ?あの瞬間から任史くんの渦は2011年の渦にちゃあんと乗っかったから。だから弘化二年の渦で生きてるこの二人には僕らは見えない。……うーん、見えないってのはちょっと違うなぁ。もう僕らは弘化二年のこの世界には存在してないってこと。うん、そういうこと。」

呆気に取られて話の内容がよく分かっていない俺を、土我さんはまぁ後でゆっくり勉強会ね、とか言いながら家の外に出した。家の外の地面には、うっすらと月明かりに照らされて、壁部屋が掘ってあった。その中に、一歩踏み込む。
「さて、おうちに帰りますか。」楽しくもないのに土我さんは愉快そうに笑った。