小説カイコ
作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第四話 昨日の消しゴム編◇-5
「うわっ」
腰が抜ける、とはまさにこういう事なのだろう。
一度起き上がった布団の上に、再び倒れ込んでしまった。すると目の前の二つの影が、ユラユラと少し揺らいで、クスクスと可笑しそうに笑いだしたのだった。薄暗くて本当に何が何だか全く分からない。びっくり半分、恐怖半分で完全に頭が真っ白である。
「久しぶり、高橋。そんな驚かないでよ。」
「おっかしいなぁ、そんなに私たち変かなぁ。」
どこかで聞き覚えのあるような、でもやっぱり少し違うような、男女二人分の声。
信じられないような事を目の前に、まるで夢の続きを見ているようだった。まさか、この二人は。
「その声、もしかして……太一、とハツ?」
「あったりー!」二人分の声が揃って答えた。「ああ、まったく面白いなぁ、高橋ったらお化け見たみたいに驚くんだもの。僕たちそんなにおっけねぇっけが。」
「ご、ごめんね。でも驚くよ、目が覚めたらいきなり二人揃って居るんだもん。」いまいち、これが現実なのか、はたまた本当に夢の続きなのかどちらだか見当が付かない。「っていうかさ、太一、そんな野太い声だったっけ。風邪でも引いたの。」
「え?別に元気だけど……」
「あーもう、暗いわよ高橋!明るくならないの、この部屋は!」
ハツが溜まりかねたようにそう言うので、何だかフワフワとする体を無理やり動かして部屋の雨戸を開けた。その瞬間、早朝の白い朝日が薄暗い部屋いっぱいに広がって、眩しかった。
「ほら、これで明るくなったでしょ。」カーテンを左右にしっかり留めながらそう言った。後ろでは二人が感心したような声を出している。少し、空気の換気もした方がいいかと思ったので、網戸もガラス戸も両方開けて風が十分に入るようにした。
窓から振り返って二人を見ると、二人とも床にちょこんと正座していたが、俺の記憶にある太一とハツよりも随分大きく見えた。顔つきも、最後に見たときは元気そうな小学校中学年くらいだったのが、今ではもしかしたら同年齢じゃないかと思うぐらいに大人びていた。
「え、二人とも……なんつーか、いきなり変わった……ね?」
「へへへ、高橋は何も変わってないんだね。」太一が得意げに笑った。「もう僕の方が背ぇ高いんじゃない?」
太一がよっこらしょ、と正座を崩して立ち上った。なるほど物凄く長身で、俺より軽く五センチは大きそうだった。とても俺の腹に顔を押し付けて泣いていたあの太一だとは思えない。これでは声が変わっているのも当然だろう。
ハツの方も、可愛げのある丸顔だったのが、ほっそりとした面長な顔つきの美人になっていた。少し、首を傾けて笑う癖はそのままだったが、その仕草さえも余計に大人びて見えた。
「そうだ、どうしてここに来たの?……じゃなっくて、どうしてここに居るの!?」
「それはこっちが言いたいわよ。」ハツが呆れ気味に言った。「昨晩夢を見てねー、高橋の出てくる夢だったけが。それから土我や蟲神様も。それで、目が覚めたらさ、ここに居たのよ。私たち二人揃って。」
「それは一体どういう……」
「二択かな。」太一が腕を組んで壁に寄りかかりながら言った。「高橋の夢に、僕らが巻き込まれて高橋の世界に僕らが来ちゃったのか。それともここは僕らの夢の続きで、高橋が僕らの夢に巻き込まれて僕らの世界に来ちゃったのか。」
「えっと……」もう何が何だか訳が分からない。でも、とりあえず今日は間違いなく駅伝の日で、もたもたしていると部活の集合時間に遅れてしまう。「あのさ、俺、今日すごく大事な用事があって……それでもうそろそろ出発の準備しなきゃいけなくて。しかも明後日までここに帰って来れないんだ。それで……」
「あー大丈夫大丈夫!」太一が両手を振って俺が喋るのを遮った。「だってね、この通り、」
するといきなりポンッ、という軽い音がした。瞬間、目の前から太一の姿は跡形も無く消えていて、太一の着ていた着物だけがふわりと空中に浮いていた。代わりにさっきまで太一が立っていた足元には、一匹の白い蚕がでーんと姿を現している。
「えっ、カイコ!? じゃなくて、太一!?」
「こっちの方が高橋は見慣れてるもんね。」カイコがのそりと動いた。「大丈夫、僕のこともハツのことも気にしないで。それに僕らもしばらくぶりにこっちの世界を楽しみたいからさ。」
「わ、わかった。」
それから楽しそうにする二人を置いて、とっとと着替えて仕度を整え、朝飯を適当に昨日の朝漬けで済まして家を出た。自転車に乗って、駅に向かう途中、ふとさっきの太一のことを思い出した。太一ったら、あんな変身しといて、服は一体どうするのだろう……。もう一度カイコから人に戻った時って、一体……。
それから比較的に余裕を持って集合時間には間に合った。集合場所の駅に降りると、ほっしーと鈴木の二人はもう集まっていた。
「おはよ、やっぱ二人は早いと思った。あれ、ほっしー、眼鏡は?」
ほっしーはいつも銀縁のフレームの薄い眼鏡をしていたのだが、今日はしていなかった。
「うん、面倒くさかったからコンタクトにしてみたんだけどね。でもちょっと違和感はあるかなぁ。」
「ほっしーはコンタクトの方がいいと思うよ。」鈴木が何気なくそう言った。「前より二割増しでイケメンに見えるわ(笑)」
「またまたー、そんなこと言ってー。」ほっしーが照れながら笑った。「じゃ、話は変わるけどこれで三人揃ったし、先に出発しちゃう?あんまりもたもたしてると陣地取れないかもしれないしさ。」
鈴木がさんせー、と相槌を打って荷物を背負い直して歩き出した。俺も鈴木も短距離なので、駅伝の地区予選である今日は、一日中応援とパシリ職のみなのだ。

小説大会受賞作品
スポンサード リンク