小説カイコ
作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第四話 昨日の消しゴム編◇-10
◇
色は匂へど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
◇
それから、俺は寝ぼけた小久保の腕が顔面に飛んでくるまで、しばらくの間浅い夢を見た。
気が付けば俺は、見知らぬ土地に一人、何をすることも無く立っていた。
ガラーンゴローン
リーン ガラーン
どこか遠くで、大きな鐘が鳴っているようだった。荘厳な古めかしい巨大な金属の音は、幾重にも重なって、どこか異世界めいた不思議なメロディーを奏でている。それに共鳴するように森や空、風車小屋に、空気までもが一緒に振動していた。
ふと、緑の丘の向こうを見ると、白い西洋風の大きな建物が立っていた。どうしてか俺には、あれは教会だという確信があった。それにどうやらそこから、この鐘の合奏が響いているらしかった。
ふわり、
暖かい風が吹いた。
地面に敷き詰められたように落ちていた木の葉が、妖精のように宙に舞って、踊り出す。ひらりひらりと楽しげにじゃれ合うと、それからいくつもの木の葉たちは透明な俺の身体をいとも簡単に通り抜けて行った。
あれ? 俺はいつの間に透明になっていたのだろう。
まぁ、いいか。どうしてか、そんなことどうでもいいような気がした。ただただ、落ち葉の楽しげに舞うのを俺は見ていた。
それからしばらくすると、どうやらここは墓地らしいことに初めて気が付いた。なぜなら俺の立っている周りには、いくつもの小さな白い十字架が地面から卒塔婆のように突き立っていたり、大量の平たく白い長方形の墓が、まるでカードゲームのように規則的に地面に永遠と並べられていたからだ。
少し不安になって、周りをきょろきょろと見回すと、そう遠くないところに、茶色の暑苦しいコートを着た男の人が立っていた。どこかで、見たことのあるような気がした。それから迷わずに、その人のところへ駆け寄る。
「あ、もしかしてあれ、土我さんかな。 おーい、土我さーん!!」
確かに、その人は紛れも無く土我さんだった。けれど大声を出して呼んでもまったく気が付かない。しょうがなく俺は土我さんの隣にまで近寄った。
「ああ、やっぱり土我さんだ。あの……?」
間近で話しかけているのに土我さんは無反応だった。まるで俺が見えてないみたいに。……見えてないみたいに?いや、きっと見えてないんだ。だって俺はこの通り、透明なのだから。
土我さんはある一つの墓の前で立っていた。西洋風のその墓は、白色の大理石でできていて、他のものと比べてかなり新しいもののようだった。それから土我さんはゆっくりと屈みこむと、その上に小さな花束を置いた。花束の中には二、三の白い大きなバラが、その大きな花弁をいっぱいに広げて咲き誇っていた。
誰の墓なのだろうか。墓石にはその主の名前らしきものが大きく掘ってあった。
“ Gisela Hildegard ”
「どうかお元気で。」その時、隣の土我さんが口を開いた。囁くような小さな声で、誰に話しているわけでも無く。「あっちで幸せになってね、ギーゼラ。フランクや張に、よろしく言っておいてね。」
ひらりひらり。どこからともなく真っ黒な翅を羽ばたかせて、青光りのする黒蝶が現れた。
カラスアゲハ蝶だ。どうして、東アジアにしかいないはずの蝶が、ここに現れたのか。
ざく、
背後で、乾いた芝生を踏みしめる靴音がした。少しびっくりして、誰か居るのかと振り返る。するとなんとそこには、土我さんそっくり、と言うよりは土我さんそのままの、髪の色だけが違う人が粛然と立っていた。土我さんと背格好から顔の表情の作り方まで一緒なのに、その髪の色は漆のような黒色で、目の色もどこか作り物のような土我さんの琥珀色とは違い、普通の若者らしい黒色だった。それに見慣れない、上下黒色のすっきりとしたスーツを着こなしている。
黒い土我さん、とでも表現すればいいのだろうか。その人の周りには、さっきのカラスアゲハが何匹も青い鱗粉を撒き散らしながら円を描くように飛んでいた。蝶の漆黒の翅は、陽の光が反射して淡い青色に輝いて見えた。
「僕、今はそういう気分じゃないんだ。」土我さんが、振り向きもせずにそう言い放った。
「安心して。僕はそこまでせっかちじゃあない。」黒いスーツ姿の土我さんがにっこりとほほ笑んだ。その張り付いたような笑顔に、どこか不信感を覚える。「日本で待ってる。僕だってギーゼラの眠るこの静かな場所で、君の汚い血液や内臓をぶち撒きたくはないからね。」
ふっ、と土我さんが鼻で笑った。「好きなように言え。お前が誰だか僕には見当も付かないけれど。ここを穢すことだけは許さない。」
「見当もつかない?嘘付かないでよ。」くくく、と黒い土我さんが可笑しそうに笑う。黒蝶が、ひらひらと肩に止まった。「君に由雅は似合わない。こんなバケモノの身でいい加減にしろよ。呆れてものも言えないな。」
土我さんは目を瞑った。返事は無い。
「それに。鬼子はヒトでは無いんだぞ? 君は人じゃない。ましてや人が鬼になったのでもない。鬼が鬼に戻った、ただそれだけさ。本当は気付いているくせに。認めるのが嫌で、君は自分の過去を綺麗に脚色しているんだろ、違う?」
土我さんが瞑っていた目をゆっくりと開けた。「……お前、少しうるさいよ。」
黒蝶が、黒い土我さんからひらりと離れて、灰色の土我さんの周りをくるくると飛び始めた。
「いくらだって言ってやるよ、鬼子の苓見土我。陰陽師の式が、陰陽師に駆逐されるべきバケモノになってしまうなんて、本当に神様は皮肉だね。いいや、その神様だって、本当は―――― 」
グシャ、と土我さんが目の前で飛んでいた蝶を右手で握りつぶした。青色の鱗粉が、キラキラと輝きながら風に流れていく。同時に、黒い土我さんの姿は跡形もなく消え失せていき、喋っていた声も途中で行き所を失って、空気に溶けていった。
「うるさいって、言っているのに。」
いいながら、鬱陶しそうに右手に付いた蝶の鱗粉を払い落とす。
その時に見た、土我さんは、普段からは考えられないくらいに冷たい目をしていて。
琥珀色の瞳には、殺気以外の、何の感情も宿っていなくて。
それから唇を少しだけ、可笑しそうに歪ませると、一人虚空を睨んで嗤った。

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