小説カイコ

作者/ryuka ◆wtjNtxaTX2

◇第四話 昨日の消しゴム編◇-8


「飯塚ーー!ファイトー!」

吐く息も凍る寒空の下、駅伝、第一中継所。
冷え冷えとした大気とは正反対に、地上は目が回るくらい大人数の熱気で溢れ返っている。足先は寒いのに、第一中継所で人ごみに揉まれながら応援していると額に汗が滲んでくるのだから不思議だ。


駅伝が始まってからはそりゃあもう忙しかった。
七時半より少し前に中距離、長距離陣が到着して、ウォーミングアップを始めている間に俺を含め残りの短距離メンバーでほっしーの指示のもと、レースに向けて右往左往しながら準備を進めた。途中、津田先生の携帯がなぜか圏外になって繋がらなくなったり、アイシング用の氷がこんなクソ寒い中、どうした訳か全部溶けてしまっていて一番近くのコンビニまで俺と鈴木でダッシュで買い出しに行ったり、強風によりテントが半壊したり、他校の生徒が間違えて張先輩のエナメルを持って行ってしまったりと、なかなかハプニングが多かった。でもなんとか佐藤先輩の機転の利いた判断の数々で、競技スタート前までには万全の状態に間に合わせることができた。

で、さっきスタートのピストルが鳴って、しばらく俺と鈴木と飯塚は中継所で第一区(10㎞)走者の渡辺先輩が走って来るのを待ち構えていた。もちろん飯塚は選手として、俺らは応援要員かつ飯塚の付添いとして。

「うわーもー助けて。オレ今むっちゃ上がってるわ。」飯塚が小刻みに足踏みをしながら言った。いつものお気楽ぶりからは想像できないほど緊張している。「どうしよ、俺んところで抜かされまくっちゃったら……。うわぁぁぁー。」
「なーに今さら言ってんだよ、大丈夫だって、自信持てよ。」鈴木が飯塚の背中をパシパシ叩きながら言った。言われて、飯塚がウンウンと機械のように頷く。

ふと、時計を見るとレース開始から二十五分が経っていた。「あと五分で開始から三十分だね。そろそろ走る準備始めた方がいいかも。」
飯塚がキャーッ!と高い悲鳴を上げた。「わわわ、もう悩んでる時間も無いじゃんかよ!高橋、なんか女子力高いオマジナイかけてよ!絶対何でもうまくいく系の!!」
「女子力高いおまじないって(笑) なんだよそれ。」
「お願いだよ、何でもいいから何かこう、パワーが泉のように湧いてくるようなやつを頼む!高橋ならできる!!」
緊張しすぎて逆にハイになってしまったのか、飯塚がガッシリとした両手で俺の肩を掴んだ。

鈴木がそんな様子を見て明るく笑った。「高橋、かけてやれよオマジナイ(笑)。あれだよあれ、日曜の朝にやってる幼女向けアニメあるじゃん。プリキュアなんとかってヤツ。あんな感じでいいんじゃね?」

「あーあれね。うん、知ってる知ってる。妹が見てるからチラッとなら見たことあるよ。えっとね……どんな振りだったかな……。」
うろ覚えだったが、適当にそれっぽく回ったり跳ねたりして、最後に、『飯塚メタモルフォーゼ!!』と呪文っぽく唱えてやった。すると予想外に大ウケしてしまい、鈴木も飯塚もギャハハギャハハと何かの発作みたいに笑い転げていた。

「?? そんなにこれ面白かった?まぁウケてくれたんなら別にいいんだけど。」
「十分におもしれーよ!面白すぎるわこの野郎っ!」飯塚が腹を抱えながらゼェゼェと言った。「あーやっぱ高橋最高だわ、あはは、なかなか女子力高かった。なんだか不思議な力が体の奥底から湧いてくるようだぜ!!うおぉぉーっ、何だかみなぎってキターッッ!!」

「そりゃーどうも。お役に立てて光栄です。」
正直、こんなに笑ってくれるとは思わなかったのでちょっとびっくりだった。

それから急に元気になった飯塚は、ストレッチしたり少し走ったりして体を温めていた。しばらくもしない内に、そろそろ渡辺先輩が十キロを走り終わって、この第一中継所にやって来る頃になった。飯塚は来ていたジャージ一式と、ティーシャツに短パンも全て脱いで、ユニフォーム一丁になった。冬場にはあまりにも露出の多いユニフォーム姿は、見ているこっちまで寒くなってしまいそうだったが、テンションの上がった飯塚が「俺、美脚ぅ!」とか意味の分からないことを言いながら謎のウィンクを投げ掛けてきたので一気にそんな気も失せた。むしろ暑苦しいくらいだ。

その間にも、つぎつぎと他校の第一走者が道路の角を曲がってこちらへやって来るのが見えた。飯塚にタスキが渡るまでも、あと数分も無いだろう。

「おっ、あれ渡辺先輩じゃね? いち、にぃ、さん、し……五位だ!」

鈴木が遠くを指差しながら言った。その瞬間、飯塚の表情が急に真面目なものになった。ふざけた顔でもないし、さっきまでの不安げな表情でもない。ほどよく緊張した、まさにこれから走るべき人、という感じの顔になっていた。

第一位で通過してきた青いユニフォームを着た他校の選手がタスキを脱いだ。そして、最後の力を振り絞って一気にゴールまでの距離を走り詰めると、第一区のゴール、すなわち第二区のスタートラインの上に立った、同じ青のユニフォームを着た第二走者にタスキを力いっぱい渡した。

そして次々に第二位、第三位、第四位の学校がタスキを繋いでいった。

「渡辺先輩、ラストファイトー!」
そしてついに渡辺先輩から、飯塚にタスキが渡った。タスキを受け取ったと同時に飯塚はパッと走りだし、走りながらタスキを上から被るようにして肩に掛けた。あっという間に飯塚の背中は遠ざかっていき、小さくなっていき……見えなくなった。