六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


第二章 春の女神 page2


 何かに畏れるように、冷やりとしたモノが背中を逆なでする。


「……正直、自分が何をしたいのか判りません」


 ポツリ、と雪乃は言った。


「ただ、人間は好きです。妖も好きです。だから……だから、どちらも傷ついて欲しく、無いです」


 言いながら、雪乃は思う。
 人も妖も好きだ。その思いに嘘は無い。
 だからこそ、どちらかを選べれない。どちらも裏切りたくない――。


 それを聞いた老婆は少し考えてから、口を開けた。


「……お前さんの考えている妖や人は、そんなにも清らかな存在かえ?」

「え……?」

「人は我が身が助かりたい為に、他の者を犠牲にした。帝と妖は、それに激怒し、怒りで我を忘れ、無関係なモノまで巻き込んだ……。そんな者たちが、一点の穢れも無いと言いきれるかえ?」


 暖かくも鋭い視線。
 老婆が紡いだ言葉はまるで、霧を消す一条の光のようだった。


(昔、同じようなことをじい様に言われた……)

                     ◆

 雪乃には、大好きな祖父が居た。血は繋がっていなくても、本当の祖父と孫娘のような関係だった。
 もう祖父はこの世にはいない。黄泉の国で、きっとひっそり暮らしている。


 それでも、今でも雪乃は思い出す。
 よく、小さい雪乃の頭を撫で、しゃがんで繰り返し、繰り返し言った、祖父の言葉を。


『誰一人、同じ心を持つモノはいない。それと同じように、誰一人善心を抱えたモノも居ない。だから、雪乃。お前は良く他の者の言葉を聞きなさい。自分の考えていることと、他の者が考えていることを照らし合わせば、きっと正しい答えがでるはずだから』


 何時も繰り返し言われた言葉。あの時の雪乃には何のことやらさっぱりで、首をかしげていた。
 その様子を見た祖父は穏やかに笑って続けた。

『お前には今は難しい事かも知れない。だけど、きっと判るはずだ。他人も認め、自分も認めるんだよ。それは、決して簡単に出来るモノではない』


                    ◆

「……私は、帝の考えには賛成できません」


 ポツリと、雪乃は言った。


「けれど、帝の怒っている理由は……判るような気がします」


 大事なものを失った悲しみの大きさは、自分も良く判っている。雪乃の場合は大好きな祖父。大往生であの世へ逝ったが、それでも悲しかった。

 それが誰かのせいで失えば当然怒りも出てくる。
 だから、本人はその悲しみや苦しみや怒りを、どう処理して良いのか判らない。


「だからこそ、私は止めに行きたいです。帝が好きだから、間違っているよって教えたいです。その為に――私はここを出て、村へ行きます」


 少し間を置き、老婆が静かに問う。


「一つ聞かせておくれ……お前さんはこの山を降りたら、熱に弱くなる。人の体温でも、じかに触れれば溶けてしまう。それでも、行くかい?」


 雪乃は妖力は強いが暑さや熱には弱い。この山を降りれば暖房はおろか、人間の体温でさえ溶けてしまうと言う。暖房に避けていても雪女って言う事はすぐにバレてしまうのかもしれない。


「でも、頑張ってバレる前に終わらせますよ」


 けれど、雪乃はパチン、と片目をつぶって笑った。
 優鬱な気持ちが晴れて、久しぶりに笑ったような気がした。


「……それだけ覚悟があれば、恐れるものは無いわね」


 老婆が口を開いた。いや、老婆ではない。
 声が若返り、少女のような声。雰囲気ももっと鮮やかに、淡い感じがした。
 黒い長い髪が、薄い布からはみ出していく。


「よかったわ、貴方のようなモノがいて……」


 柔らかい声が、雪乃の耳に残る。


「支度しなさい。私が村まで案内するわ」


 何が何だか分からなくなった雪乃。だが、一つだけ分かった。
 この少女は、自分を認めてくれたと言う事。優しい少女だっていうことも。


 認めてくれたことに、少し雪乃は嬉しく感じた。


(この少女は、一体誰だろう……?)


 気になった雪乃は、聞いてみることにした。


「あ、貴方は……?」

「あら、私? 私の名前、どうしても知りたい?」


 少女の言葉に、雪乃がコクン、と頷く。


「私の名前は佐保姫。春を伝える女神よ」


 そう言った佐保姫の顔は良く見えないのに、雪乃には微笑んでいるように見えた。