六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


番外編 その壱 妖と人と水神様と  page2



 
                         ◆

 夜。中々寝付けないでいた雪乃は、家を出て水を飲みに川へ向かった。余談だが普通の妖はこの時間に活動している。雪乃も山で暮らしていた頃はこの時が活動時間だったが、村で生活するには人間のフリをしなければならない為、この時間は寝るようにしていた。

 川につき、水を掬う。ぽたぽたと水が零れた。


「……おい、ここで何をしている? 人間」

「ひゃああ!?」


 後ろからいきなり声をかけられた。油断していた為、雪乃は妖とは思えない、悲鳴をあげた。

 恐る恐る振り向くと、そこには女の妖が居た。綺麗な茜色の上質な着物で、髪を肩まで揃えており、般若のお面を被っている。しかし、気になるのは彼女に所々ある怪我だ。着物も所々破れており、良く見ると爪が少しはがれていた。


「大丈夫ですか? 怪我を負っているじゃないですか」


 雪乃が慌てて訊ねると、女の妖は不思議そうに言った。


「……変だと思えば、お前妖だったのか。……大丈夫だ、大した傷では無い」

「でもッ……」

「それよりもここは危ない。さっさと立ち去った方がいい。――忠告はしたぞ」


 食い下がる雪乃に、女の妖は凛とした声で言い、そして去って行った。
 去り姿を見送りながら、雪乃はふと思った。――あれが、噂の川姫ではないかと。


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 黄昏時。雪乃は薬を持って川へ向かった。河原に、女の妖は座っていた。女の妖は雪乃の気配に気づいて、「昨日の……」と呟いた。
「よッ。キノウブリ」と、軽い口調で挨拶する雪乃。


「怪我していたでしょう? だから薬持ってきたの」

 そう言うと、女の妖は「初め会った時から思っていたが……つくづく変わった妖だな」と呟くように言った。

 爪が剥がれた手を塗る。ひんやりとした、気持ちいい手だ。――ボロボロになった指を見ると、凄く痛々しいが。


「私の名前は雪乃だけど……貴方……名前何て言うの?」


 治療しながら聞くと、女の妖は言った。


「――……私は昔、人間だった。その当時の名は『桔梗』だが……今では『川姫』と呼ばれている」


 その言葉を聞いて、やっぱりと雪乃は思った。――やはり、この妖は『川姫』だと。


「川姫って見惚れた人間を殺しちゃうんだよね。……ねえ、元人間のモノが、何で人を殺すの?」


 聞くと、沈黙が流れた。居心地の悪い沈黙に、思わず「言わなきゃ良かったな」と思う雪乃。怒っているだろうか、と心配したが、しかし川姫は答えた。


「……別に、好きで殺していたわけではない。いや、私が存在することが災いと呼ぶべきか……」


 そう言うと、川姫はポツリポツリと語った。








「……私は、医術師の娘だった。弟と幼い妹が一人ずつ居て、裕福ではなかったけれど幸せな日々を送っていた。両親はその何年も前に死んでね。私が、全て面倒を見ていた。

 だが、雪が降っている季節に、珍しく大雨が降ってね。川が氾濫し、唯でさえ不作なのに、幼い妹が熱を出してしまった。薬が足りなくて、困っていると村人たちにこう言われた。――『薬は我々が持っている。妹にこれを飲ませばすぐ元気になる。この薬はお前にやるが、その代わり人柱になってくれ』――と。私は迷わず、人柱になることを選んだ」


 人柱とは――川の氾濫を止めるため、水神様の怒りを鎮めるため、人身ごくう、として美しい娘を川に沈ませる儀式。水神の妻になることで、氾濫を止めてもらおうと。――ようするに、生贄だ。

 一人を犠牲にすることによって、他の皆が助かる。そんな良く判らない人間の理屈で、川姫は生贄にされたのだ。


「――私は別に、あの卑怯で無情な村人たちの為に身を捧げたわけではない。……ただ、家族だけは守りたかったんだ。この命一つで、家族の命が守れるなら、それでいいと思った。……だが、それは大きな間違いだった。

 命を投げ出し、気づけば自分は妖になっていた。そして、折角だから二人の様子を見に行こうと思った。二人とも元気そうだったが、村の者が姉の事を聞くと、妹は途端に泣きだした。弟も辛そうな顔だった。……そして、気づかされた。私は、命は守れても心を守れなかったのだと」


 その言葉に、雪乃ははっとした。――この人は、もしかして。
 雪乃の様子に気づかず、川姫は続けた。


「――そして、私が妖となったとき、私は人々の命を奪う鬼となっていたことに気づいた。私が望まなくても私の顔を見れば皆が死んでしまう鬼に。……この面は、顔が見えないようにするためだ。

 だが、そんなことをしても私は人を殺し……大切なものを傷つけた。その罪は一生消えることは無い。せめてもの償いは――この世から去ることだな。前、忠告したのは私を祓う為に祓い人が来ていたからだ」


 その言葉に、雪乃は気づいた。川姫が所々怪我していたのは、祓い人の仕業だったのかと。


「――だが、祓われても何の悔いも未練もない。寧ろこれは罰だと思っている。
 人と言うのは情けないモノだね。後悔は先に立たない。……後悔した時はもうすでに手遅れだから」


                            ◆


 川姫と別れた後、雪乃は考えた。

 川姫――いや、桔梗は杏羅とナデシコの姉ではないかと。そうだろう、と雪乃は結論づける。


(……『守れなかった』か)


 布団を被りながら、雪乃は思った。


 自分を犠牲にして誰かを守ることはとても凄いことだと思う。それを美徳と称える人もいるだろう。
 だが――自己犠牲と自己満足は常に隣合わせだ。
 自分を犠牲にしてほど相手を思うと言う事は、相手も同じほど自分を思っていると言う事で。

 自己犠牲は――同時に、相手を傷つけているのと同じで。


 けれど、一体誰が責められるだろう。皆同じほど思いあって、すれ違って、歪んでいって。……誰だってそんなことは山ほどあるのに、それを『罪』とされるなんて。


(……どうして、犠牲を出さなければならないんだろう。どうして、皆幸せになれないんだろう)


 誰だって犠牲なんて出したくないのに。皆幸せになりたいだろうに。
 判らない事ばかりで、どうすればいいんだろう。