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六花は雪とともに
作者/ 火矢 八重

番外編 その弐 交差するモノ page3
◆
今日ちづに聞いた事を、そのまま雪乃は猫又に伝えたが、猫又は返事だけ返し、後は何も言わなかった。
その日、雪乃は夢を見た。猫又と、幼かったちづが、楽しそうに遊んでいる姿だった。
猫又は、幼いちづに頭を撫でたり、からかったり、叱ったりする。ちづも、撫でてもらって気持ちよさそうに笑ったり、からかわれたことに怒ったり、叱られてしぼんだ顔をしたりした。
それは色鮮やかな豊かな時間で、見ている雪乃も楽しかった。
けれど、その場面はあっという間に血と骸の地獄へ変わる。白と黒と灰色の時間の中、猫又が闇に消え去った。その後をちづが慌てて追う。
『ねえ、待ってよ!!』
必死に、手を伸ばすちづ。けれど、届いたものは猫又の幻で、掴んだ途端消えてしまう。
『お願いだから、出てきて!! 傍に来て!!』
髪を乱し、叫びながら誰も居ない闇の中を走るちづ。やがてだんだん息遣いが小さくなり、ついには走るのを止めた。
けれど、喋るのは止めなくて。小さくなっても、必死に闇に語りかけた。
『……お願いッ、出てきてよッ……!!』
その言葉を聞いて、雪乃は悟ってしまった。
(――ああ、そうか。ちづさんも、猫又も、妖だろうが人だろうが関係なかったんだ)
ただ、人の目が気になって。自分の想いを否定されるのが怖くて、逃げてしまったんだ。
だから、悔んでいるんだ。――自分が、戸惑ってしまったことに。
「……ん」
目を覚ました。まだ夜明けは来ていないようで、精霊たちも寝ていた。
上半身を起こすと、猫又も起きていた。
「アレ、猫又さん。起きていたんですか?」
「……そろそろのようだな」
「え?」
雪乃が聞き返した途端、猫又の体が光り出した。パアアアと、淡く蛍のように光っている。
「ね、猫又さん!? どうしたんですか、光り出しましたよ!? 」
慌てて雪乃が聞く。その声に、寝ていた精霊たちが起きた。
「……猫又さん、どうして光っているのー?」
「消えちゃうのー?」
目をこすりながら、精霊たちは哀しそうな顔で言った。
「……精霊たちに助けられる前、私は大物の妖に大分妖力を吸い取られた。傷は治ったが、妖力が全て枯渇したのだろう。妖力が無くなれば、ただの猫になる。猫には重すぎる妖の生は……瞬く間に消え去ってしまう」
雪乃たちに説明し、前足をペロリと舐める。どうやら、もう心の準備は出来ていたようだ。
「……やり残したことは、ないんですか?」
雪乃が尋ねると、猫又は目を開き、少し間を開けて言った。
「……赦されるとしたら、一つだけやりたいことがある。一言でも……ちづに、伝えたい」
その言葉を聞いて、雪乃と精霊たちは猫又を連れて、家を飛び出した。
◆
――あのひとは、何処? 私の頭を撫でてくれた人は、何処に居るの?
「あの人はッ……!」
そう叫んで、手を伸ばした。
気づくと、ちづは夢の世界から現実に帰っていた。びっしょりと汗をかいて、とても居心地が悪い。
汗をぬぐい、水を飲みに外へ行った。フラフラの足取りで、とても危ないが、自分には伴侶も子供も居なかった。近くの若者が一緒に住もうかと言われたが、ちづはそれを丁重に断った。――命運が尽きる時に、死ねばよいのだから。だから、自分の身の安全のことは放っておいた。
湧水で顔を洗い、水を飲む。冷たい水が喉をうるおした。
その時、どしんどしんと、大きな音が聞こえた。地が震え、足元が揺れる。ちづは後ろを振り向いた。
そこに、大きな熊の手が、ちづの目の先までせまっていた。
その時、ちづは不思議なことに焦ってもいなかった。ただ、ああ助からないな、と思ったのだ。熊の素早い動きが、ちづの目にはとても遅く見えた。
覚悟し、目を閉じる。だが、いくら待っても熊から襲われる衝撃は来ない。
恐る恐る目を開くと、パリパリパリッ……と、熊の手が氷に包まれた。そして、あっという間に熊が氷漬けされた。
何が何だかわからないまま、ちづは周りを見渡した。その時、ちづ、とちづの忘れられない声が、老いて聞こえづらい耳にはっきりと届いた。
「……その声はッ……!」
ちづが振り向くと、人間に変化した猫又が居た。
ちづは驚いて、老いてよく見えない目を大きく開き、やがて猫又の胸へ飛び込んだ。猫又はそっと、両手をちづの背中に回した。壊れないように、そっと。
年寄りの人間より、少し高めの温度がちづを温める。
「ごめ……ッんなさッ……い! ごめんッ……なさいッ!」
涙を零しながら、伝えるちづ。その時、違うと心の中で思った。
(――私が伝えたいのは、謝罪じゃない)
その想いが、ぐるぐると頭の中で回った。――私が、伝えたかったのは……。
「ちづ……ごめんな」
猫又の言葉に、ちづは驚いて猫又の顔を見た。ちづの目に、淡く光りながら消えていく猫又の姿が見えた。
「……傷つけて、ごめんな。でも、とても嬉しかったんだ。とても、楽しかったんだ。あの時、話しかけてくれて、笑ってくれて、隣に居てくれて」
「「……ありがとう」」
最後の言葉は、猫又とちづの声が重なった。猫又もちづも、泣きながらでも心から微笑んでいた。
猫又の虚像を、目を細めてちづは抱きしめたままだった。
「……フウッ。間一髪」
雪乃が遠くの所から呟く。熊が氷漬けされたのは、雪乃の仕業だった。あの熊は鬼熊という妖の一種で、猫又と同じく長い年月を経て妖力を手に入れたと考えられる。
猫又の妖力を奪ったのも、あの妖の仕業だろう。
(……猫又さん、私にはちづさんと貴方の心が交わっているように見えたよ。ちゃんと、通じあえたのが見えたよ。猫又さん)
――貴方は、とても嬉しかったでしょう?
雪乃は人知れず、微笑んだ。
◆
それから数日後、ちづは息を引き取った。
雪乃も葬儀に立ち寄ったが、ちづの顔はとても穏やかで、幸せそうだった。きっと、黄泉の国で猫又と一緒に過ごしているんじゃないだろうか。願わくはそうで居て欲しい、と雪乃は思った。
(――人と妖が共存することは、とても難しいかもしれない)
人は妖より寿命が短いし、妖は誰かが信じてくれないとあっという間に消えてしまう。妖は凶暴な力を持っている者も居るし、人も極悪人だっている。妖と人は別ものなのだ。
でも、一瞬だけでも交わらないとはいえない。時に交差して、共感して、同情して……妖も人も、寂しいと思う気持ちが一緒なら、愛しいと思う気持ちも一緒だと思う。
(例え、杏羅さんやナデシコが、私の傍を離れたとしても)
私が感じた想い出は、消えることはないから。
だからきっと、大丈夫。
「……うんッ! 大丈夫!」
笑顔で、雪乃は言った。

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