六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


第三章 名を呼ぶもの page1


「ここまで案内すれば、もう行けるわね?」


 佐保姫が聞くと、雪乃はコクン、と頷いた。
 荷物を纏め、雪山を降りた雪乃と佐保姫は村の近くまで来ていた。


「あの雪山の結界も破るのが大変だったわ。まあ、人間を近付かせない為と貴方のような熱に弱い妖を守る為だろうけど。――体の調子はどう?」


 前半は愚痴で、後半は雪乃に問う言葉である。薄い布をとった佐保姫の顔はこの世の者とは思えない程の美貌だったが、こんな愚痴を吐くとは夢にも思わなかった為、雪乃は苦笑いしながら言った。


「ちょっとだるいです。でも、仕方がありませんし」


 その言葉を聞いて佐保姫は少し考えこんだ。と思ったら、何処からとも無く香炉を取りだした。
 青銅の香炉だ。ほのかに桃の花の匂いがしたかと思うと、だるかった体が楽になった。

「――どう?」

「体が楽になりました。嘘のように……」


 その言葉に、佐保姫は得意げになって説明する。


「これはね、唐の神仙が住むと言われる博山を元にした香炉なの。博山炉と言われているわ。香は幻の白檀。家ではこれを置きなさい。貴方にとっても、人間にとっても丁度いい温度になるから。それとこれ」


 もう一つ取りだしたのは焦げ茶色の手袋だ。


「常にこれをはめておきなさい。手袋をはめていれば手は安全だから」

「あ、ありがとうございます……」

「いいのよ、これくらい。貴方は今から命がけで人を救いに行くのだから。こんなもの、役に立つならあげちゃうわ」


 薄い布をとった佐保姫の笑顔は、儚げながらもお茶目だった。


 老婆だと思っていたのが実は春を伝えるあの佐保姫神と知った時は、天と地がひっくりかえるかと思った。
 佐保山の佐保姫神は、妖の貴族である雪乃には勿論のこと、人間さえ知っている神だ。だからこそ、雪乃は不思議で仕方が無かった。どうしてこの神は、私なんかに人間のことを頼むのだろうと。

 雪乃は思い切って聞いてみた。すると佐保姫は笑いながら言った。


「貴女だから頼んだのよ。精霊を見ることが出来、精霊を従わることが出来るほどの清らかな心を持つ、貴女だから」


その言葉を聞いて、雪乃は唖然とした。

雪乃は清らかな心を持つモノ以外見えない、精霊を見ることが出来たのである。さらに、雪乃は熱に弱いものの、妖力が他の妖と比べてケタ違いだった為、精霊を契約するまでに至った。

 その事は誰にも話したことは無かった。話せば面倒なことになるだろうと予測したからだ。それが例え身内だろうと、打ち明かすことはしなかった。それなのに、この女神さまはあっさりと見抜いておられた。


(この女神さまは何でもお見通しなのかしら)


 雪乃はこのちゃっかりした女神の情報網に、思わず舌を巻いたのだった。