六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


第五章 雪女の恋 page2


 さて、ナデシコが居なくなった瞬間、温度が下がった気がした。元々雪が降っている為寒いのだが。居づらくなったと言った方が正しいかもしれない。
 何を話していいのか悩んでいると、杏羅から話かけてきた。


「……えっと、とりあえず、ナデシコを助けてくれてありがとう」


 頭を下げて言う杏羅。だが、勢い余って倒れ、地面にぶつかった。


「ッ~~!」

「だ、大丈夫ですか?」

「へ、平気平気……」


 雪乃が慌てて訊ねると、苦笑しながら顔を上げる杏羅。どうやらこの青年、所どころ、いや結構抜けているようだ。


(……ナデシコのお兄さんとは思えないなあ)


 雪乃は本気でそう思った。そして立ち上がる時助けるため、手を伸ばした。杏羅は「有難う」と言いながらそれに掴む。


「ホントに大丈夫ですか? 勢い余って倒れるなんて……」

「大丈夫大丈夫。何時ものことだし」

 そう言いながら笑う杏羅。どうやらこの青年、抜けているだけじゃなく筋金入りの天然のようだ。
 雪乃はため息をつく。――本当に見てると危なっかしいなあ、と。それを見るといらつきさえ覚えた。


「ありがとう」


――そう言った杏羅の笑顔には、心を奪われた。
 何処か儚げで、そして芯が強い笑顔に、不覚にもときめいてしまった。フワリ、と心が舞い上がる。

 だが、上を見た瞬間、はっと我に返った。
 頭の上には、杏羅の手があったのだ。どうやら癖で、雪乃の頭を撫でようとしたらしい。
 反射的に雪乃はその手を振り払った。


「あッ……」


 バチン、とはたく音が響いた。勢い余って強く叩いてしまったらしい。
 杏羅はポカンとしていたが、雪乃は呆然としてしまった。


「……ごめんなさい」


 やっと出た言葉は、謝罪の言葉。


「いや、こっちこそ気安く触ってしまってゴメン」


 最初はポカンとしていた杏羅は、その言葉を聞いて微笑んだ。雪乃を安心させる為に微笑んだが、雪乃は逆に胸を突かされた。


「……あの、本当にごめんなさい。……今日は用事があるので、先に帰りますね」

「え?」

「本当にごめんなさい。……失礼します」


 そう言うと雪乃は風の如く走った。あそこに居ると、また拒絶しそうで怖かったからだ。


(私今、拒絶した)


 その事実が、何遍も頭を駆け巡る。
 あのまま頭を撫でられていたら、溶けていた。雪乃は雪女の中でも熱に弱い為、人間の温度でも溶けてしまうのだ。その為、手は手袋をはめており、手は触っても溶けはしない。

 だが、その他の部分はどんなに軽く触れても溶けてしまう。だからあの時手をはたくのは仕方が無かった。だからこそ、凄く悲しかった。まるで、私はここに居てはいけないと言われたようで。


(……判ってたじゃないか)

 家出した時から。自分は人に触れることはできないと。それを承知でここに来たんじゃないか。
 けれど。今はっきり現実で示されたのは堪えた。

 涙がボロボロと零れた。とにかく悲しくて悲しくて、雪乃は家に向かって走った。


(……?)


 走っていると、地面に違和感があった。少し揺れているような、異和感。
 それを確かめる為に、一度立ち止まる。


『雪女ぁぁぁぁぁぁ!』


 地を揺らすような叫び声が聞こえた。かと思うと、ドシン、と大きな足音が聞こえる。同時に地面が激しく揺れた。
 あっという間に涙は止まり、雪乃は顔を引きしめた。とてつもない妖気が、そうさせたのだ。


『見つけたぜぇ、雪女ぁ……』


 頭が痛くなりそうなぐらい、鋭い声に雪乃は思い出す。


「お前は……牛鬼!」


 雪乃が見た妖は、牛鬼だった。
 牛鬼とは頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ妖。非常に残忍で獰猛な性格だった為、昔雪乃が氷の中に封じた妖である。それがここに居ると言う事は、氷が溶けたということだろう。


『雪女ぁぁぁ! 今度は人間と慣れ合っているのかい!? はッ、この俺様を殺さず封じたアマちゃんのお前には、似合ってるなあ!』

(やっかいな時に、やっかいな妖が出てきたわね)


 雪乃は心の中で毒突いた。悲しい思いが吹き飛んで、むしろ「楽しい」思いがふつふつと出てくる。雪乃も妖だ。強い奴と闘うのは好きだ。


『雪女ぁぁぁぁ! ここで貴様を喰ってやるぅぅぅぅ!』


 毒を吐きながら襲いかかる牛鬼。図体が大きい割にはすばやいのである。


「フッ」


 だが、雪乃はそれを鼻で笑い、颯爽とそれをかわした。となると、体はあっという間に凍りついたのである。


「牛鬼……私はお前に情けをかけてやったのに、その恩を忘れたと言うのか。……気付いていたか? 封印されている間、どれだけ氷がお前の妖力を奪っていたか」

『……貴様ッ!』

「そのまま失せろ。氷ともどもな……」


 そう言い放つと、雪乃はくいっと細い人差し指を動かした。すると氷は牛鬼と一緒に砕け散ったのである。
 

『……人間とッ! 一緒になれる! ことなんてあるはず! ねえのにな!』


 それが、牛鬼の最後の言葉だった。