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六花は雪とともに
作者/ 火矢 八重

番外編 その壱 妖と人と水神様と page1
今は昔、とは言わないけれど。
もう、どんなに想っても届かない思い出。
「ナデシコ、お姉ちゃんはね、水神様の奥さんになるの。奥さんになって、川の氾濫を止めるからね」
凛とした声は、ずっと耳に残っているのに。こんなにも、鮮やかに聞こえるのに。
――待って、待ってよお姉ちゃん。
そう叫んでも届かない。
「杏羅、ちゃんとナデシコの面倒を見るのよ。貴方、時々ボケるから」
隣に居るから届きそうなのに。
――お姉ちゃん、待ってよ! お願いだから、待ってよ!
いざ手を伸ばすと、空を切って届かない。
「じゃあね。お姉ちゃんは、貴方達の幸せを、何時までも願っているからね」
お姉ちゃん――!
届かない想いがあるって、知ったんだ。どんなに願っても、叶わないものがあるって知ったんだ。
その後の絶望と失望がどれだけ重いのかも知ったんだ。
――だから、期待するのを止めたんだ。
◆
「川姫?」
雪乃が尋ねると、川男はコクンと頷く。
ここはとある川。雪女の雪乃は妖である川男と一緒に釣りをしていた。
川男とは、その名の通り川に住む妖である。河童とは違って人間らしく、背が高くて肌が青い妖。おとなしい妖で、夜網で川に来た人間に愉快な話を聞かせる、そんな妖だった。
そんな川男が、ある話を雪乃に持ちかけた。
「何それ、貴方の女の子ばあじょん?」
はたして『バージョン』という言葉がこの時代にあるのかという突っ込みは無しの方向にして頂きたい。
雪乃が聞くと、川男は「めっそうもない!」と首を横に振った。
「オイラよりももっと物騒な妖でさあ。川姫っていうのはそれは美しい妖ですが、見とれてしまえば精気を抜かれるらしい。もう何人もの男が精気を抜かれて死んじまってますぜ」
「ふうん……川姫ねえ。聞いたことないなあ」
水面を見つめながら、雪乃は呟いた。浮きがぷかぷかと浮かびながら、円を描いている。
「……にしても、釣れないねえ」
「釣れませんなあ……」
そう。釣りを始めてかれこれ三時間は経っているのだった。しかし、一匹も釣れない。
退屈でふぁぁ、と雪乃は欠伸した。
「はしたないですぜ、雪乃嬢」
川男が注意する。
「あのさあ、だったら川姫とか物騒は話じゃなくて、もっと愉快な話にしようよ。じゃないと退屈で……」
「……雪乃?」
雪乃が言いかけた時、別の声が後ろから聞こえた。振り向くと、妖嫌いの雪乃の友人――ナデシコが居た。
「ナナナナナデシコ!? いいいつからそこに!?」
「えっと……今さっきからだけど。誰かいたの? 声が聞こえて来たんだけど」
その言葉に、ギクリ、と雪乃は固まる。――言い忘れていたが、川男は夜にならないと徒人の目には映らない妖である。つまり、雪乃は傍から見れば独り言を言っているのだ。それも、大きな声で。
「ききききききのせいじゃないかなあ? あ、あはははははは」
かなり苦しい嘘だ。とても苦しすぎる。そんなへたくそな嘘が、この少女に通じる訳も無く。
「……ねえ、今さっき川姫がどうとか言って無かった?」
「へッ!?」
「言っていたよね。ねえ、雪乃見たことがあるの?」
ぐい、と迫るナデシコ。あまりにも詰め寄っている為、雪乃は両手を振りながら、ついでに首も横に振りながら否定する。
「んな、私は見てませんよ!? ただ、私の友人がそんな話を持ちかけてね、釣りをしながら思い出して独りごと言ってただけ! あ、あははは……」
「……そっか」
「……どうして? ナデシコって、妖は信じなかったじゃない」
雪乃がそう言うと、ナデシコは落胆したようで肩を大きく下ろした。その様子に、不思議だった雪乃が尋ねた。
「……いや、妖は信じないけれど。でも、気になって」
「何が?」
「川姫はこの川に出るって、聞いたんだ。だから、気になって。……この川は、お姉ちゃんが私たちの為に身を投げた場所なの」
その言葉に、ああ、と雪乃は思い出した。ナデシコには亡き姉がいて、氾濫していた川を鎮める人柱となる為に、身を投げたと。それがこの川とは知らなかったが。
「もうすぐ、お姉ちゃんの命日に近いんだ。……だから、もしかしたらお姉ちゃんが帰って来たんじゃないかって」
そんなわけ無いのに。もう、期待するのは止めたのに、とナデシコは笑って言った。けれど、その笑顔は雪乃にはどうしても、無理に作っているように見えたのだ。
用はそれだけだったのか、ナデシコは去って行った。
「……あの娘、大切な姉さんを人柱にされて、それで妖をずっと否定していたんですかねえ」
ナデシコの去り姿を見送りながら、川男は言った。そうだとおもう、と雪乃も頷く。
妖や神という存在は。ただ、「恐ろしいモノ」「怖いモノ」というモノだけじゃ無くて、「憧れ」や「期待」もある。神様に頼めば今年は豊作になるかもしれない、自分が出来ないことを「何か」に押し付け、期待して、憧れて。
けれど、期待すると言う事は自分を「賭ける」と言う事で。
「……きっと、傷つかないように自分を守っているんだと思う」
そして、傷ついた時は何かのせいにすることで、痛みを和らげていたんだ。
そう思うと雪乃は、とても寂しく思えた。

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