六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


第六章 沢山のカケラ その壱 page2


                         ◆



「……雪乃、久しぶりだな」

「……白龍お義兄様こそ、お久しゅうございます」


 白龍も雪乃も落ちついた声で挨拶を交わすが、空気は張り詰めたように緊張している。それもそのハズだった。白龍は帝に絶対服従を誓う大物の妖。一方雪乃は白龍の立場から見れば帝を裏切った妖。雪乃をここで滅するか、無理にでも連れ戻すに決まっている。
 何も言いだせず、二人とも黙ってしまった。居心地の悪い沈黙が流れる。

 沈黙を破ったのは、白龍だった。

「雪乃」


 そう言って手を伸ばす。ビクッと、雪乃は肩が震えた。ぶたれる、と思った。目を閉じ、覚悟したその時だった。


「帰ろう」


 暖かい、白龍の声が雪乃に降り注いだ。少し驚いて、雪乃は目を開ける。するともっと驚いた。
 あの意地悪で何時も仏頂面な兄が、優しく微笑んでいたからだ。雪乃は白龍の笑顔なんて見たことが無かった。皮肉のような笑いは飽きるほど見たが、こんなにもおだやかで優しい微笑みは、一度も無かった。
 呆気にとられる雪乃に、白龍は続ける。


「ここに居て、人間の愚かさが良く判っただろう。さあ、帰ろう? 今ならまだ間に合う」

 その言葉を聞いた途端、雪乃は時が止まったように感じた。


「今帰れば、帝も判ってくれるさ。そして、伝えるんだ。お前が見た、人間の愚かさを。そしたら帝も満足して、お前を許してくれるだろう」


 白龍は口調は穏やかだ。だが、その言葉には人間への軽蔑が強くあった。


「……」

「……どうした、雪乃?」


沈黙を通す雪乃に、少し険しい顔をしながら白龍は聞く。


「……お義兄さま。私、帰りません」


 静かな声で、でもハッキリと雪乃は答えた。


「え?」

「私の居場所はあそこではありません。私の居場所はここです」


 そう言うと、白龍は険しい顔で続ける。


「……お前は何時から聞きわけない様な子になった。年輩者の言葉には必ず耳を傾けるものだぞ」

「そんな軽蔑だらけな価値観しかない年輩者に、聞く道理はない」


 雪乃も負けじに言うと、白龍はだんだんと声を荒げた。


「戯言をッ! 私は何百何千年も生きたが、人間の良い所など見た事はない! 軽蔑では無い、これは真実だ!」

「何百何千年生きて、どうして人間の良い所を見つけられないのよ! そうやって人間のことを愚かで弱いということだけで決めつけるからでしょう!」


 雪乃も声を荒げると、白龍は少し唖然とした。


「……私はここに来て、ひと月しかない。でも、人の優しさや強さをこの目でしっかり見たわ! 確かに、お義兄様が言うように愚かで弱い生き物でもあった! でもッ……私も、醜くて非力だったんだ!」


 雪乃はずっと見てきた。人の良い所、悪い所。他人は言うならば、自分の姿が映った鏡だ。他の人がいてこそ、自分の短所が良く判る。自分はここに来て、やっと自分の非力に気づいた。
 非力さは痛感してるのに、大切なものを守り通したい、ずっと傍に居て欲しい。そう願うのに、中々叶わない思いは、愚かでも暖かくて強い思いだった。

(「自分が何者」、か……)


 そんな事で悩んでいた「過去」の自分が、バカらしくなった。
 人でもなく、妖でもない。何者にも染まらない、自分。それこそが自分じゃないか。


「……お義兄様。ムリに私の考えを認めろ、とは言いません。でも、私は私です。帝の操り人形なんかじゃありません! 私は、それだけは譲れないんです!」


 雪乃は義理の兄に言った。それは、思えば初めての抵抗だった。


 昔雪乃は、人間が好きとはハッキリ言えなかった。周りがそれを良しとしてくれなかったからだ。他の皆に合わせないと、自分は一人ぼっちになってしまう。そんな恐怖から、好きなもの、嫌いなものを皆と合わせることで、雪乃は友人を作ってきた。
 けれど、それは今思うと偽りの友人だった。本当の自分を認めてくれないモノを、何処に「友人」と栄位を称えられるだろうか。友人はそんなモノではない。

 芙蓉は。彼女は人間が大嫌いだった。最初、芙蓉は雪乃と、雪乃が好きな人間を認めなかった。けれど、時間がたつにつれて芙蓉は自分から歩み寄ってくれた。人間好きの私を、嫌いな人間を、認めようと努力してくれた。だから話がかみ合わなくても、通じるものがあったのだ。
 ここには、認めてくれる人が居る。その為にも、臆病な自分は捨てなければならなかった。

雪乃が告げた後、沈黙が流れた。重たい、緊迫した空気が流れる。


「……そうか」


 最初に沈黙を破ったのは白龍だった。


「そう言うのなら――無理にでも連れて帰る」


 そう言い放つと、爆音が響いた。雪乃とは比べられない程の妖気が、一気に漏れる。思わず雪乃は目を閉じた。
 爆音が止んだ後、目を開けると空には竜の姿をした白龍の姿があった。白龍は白銀の長い体を、蛇のように動かしながら、空を自由に飛んでいる。


(……どうするんだ、お義兄様は?)


 そう思った瞬間、雷が撃たれたように雪乃は理解した。

 ――白龍が向かう先は、村。


(お義兄様は、村を滅ぼすつもりなんだ……!)


 波乱が今、起きようとしていた。