六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


番外編 その肆 六花とともに  page1


「雪乃、これとこれお願いできるか?」

「了解です」


 白龍義兄様がこの村に来てもう二月が経っていました。今日は杏羅さんに薬草の整理を頼まれて、今まさに手伝っている最中です。
 杏羅さんの頼みに応えたのは、薬草の勉強ということもあるけれど、やっぱり杏羅さんと一緒に居たいと思うのもありました。しかも丁度良く、ナデシコは留守で文字通り二人っきりという状況です。

 ふと、私の目に杏羅さんの横顔が見えました。杏羅さんの横顔は、決して凛々しいとは言えませんが、見ていると暖かくて、胸が高鳴って、ちょっと切なくなります。
 あまりにも恥ずかしくて、杏羅さんを直視できません。
 とても、とても嬉しいです。とても幸せな気分になります。


 そして――彼に、ちょっとでも触れたくなります。


 私は雪女です。人にちょっとでも触れれば溶けてしまいます。溶けてしまえば、私はこの世には居られなくなります。
 それでも、触れたいんです。ちょっとでもいいから、触れたいんです。
 例え消えてしまうとしても、杏羅さんに、触れたいんです――。




 彼に初めて会ったのは、ナデシコが妖に襲われて危篤になった時。あの時は本当に慌しくて、彼の顔を見ることすらできませんでした。
 二度目に会った時は、ナデシコを通じて。あまりにも鈍臭くて、時々彼の調子にいらつきました。
 ――けれど、彼はとても強かったのです。腕っ節が、ではなくて、彼の心が。

 人も妖も言えること。それは、『良く解らないモノを怖がってしまう』という点。そんな人の恐怖で妖は産まれたわけだし、妖も解らないモノに恐怖を持って、避けて、偏見を持ってしまう。――私の義理の兄が、人に向けて、そうであったように。
 けれど、杏羅さんは違いました。『良く解らない』力を持っているのに、明らかに人間の業じゃないことをしたのに、彼は私を受け入れてくれたのです。
 自分の恐怖に打ち克って、私を認めてくれたのです。――だから私は、彼に惹かれていったのです。

 白龍義兄様が村を襲って、私が妖と知った時も。自身も恐怖に襲われたハズなのに、私を疑わず、信じてくれました。――そして、自分に酷いことをした義兄様すらも、彼は赦してくれたのです。
 受け入れ、信じ、赦す。それは誰もが簡単にできる訳ではありません。恐怖に打ち克ち、疑わず、憎まない。それはとても大変なことなのです。
 そんなことをやってのけるから、私は彼に惹かれたのでしょう。彼の魅力に、取り憑かれたのでしょう。


 ――でも、言葉には出しません。杏羅さんには伝えません。
 この想いは、伝えると壊れてしまいそうだからです。
 私は雪女――彼は人間。
 例え杏羅さんが私を認めてくれたって、この線を越えてはならないんです。


                            ◆


 薬草の整理が終わったのは、日が暮れた頃でした。あまりの多さに、結構クタクタになりました。


「――お、終わった……こんな時間まで付き合ってくれて、すまなかった」

「……いえ」


 杏羅さんの謝罪に、私は返事をするのが少し遅れました。確かにあまりの仕事量に疲れ、終えた時は安心しました。――けれど、もう少し居たかったなあ、と寂しい想いの方が大きかったのです。
 ちらほらと降る雪を見ながら、彼はぼやくようにいいました。


「……そういえば、今日だったなあ」

「え?」

「――大切な人が、死んだ日。幼馴染だったんだ」


 それを聞いた時、私は寂しさに襲われました。良く解らないけれど、寂しかったのです。
 けれど、私は素直にはなれなくて、思わず意地悪に聞いてみました。


「女の子だったんですか?」

「――そうだよ」


 その言葉を聞いた時、私の頭は真っ白に染まりました。
 杏羅さんは構わずに続けます。


「好きだった。幼かったけれど、とても、愛おしく思っていた。
 でも、彼女は伝染病を持っていて――俺は彼女を怖がって、近づかないで居た。でも彼女は、俺の気持ちを解ってくれて、怖がって逃げた俺を赦してくれた。――……そして、彼女は独りで死んでいったんだ。
 ……俺はとても弱くて、恐怖に打ち克つことが出来なくて、彼女を見捨てたんだ。その罪は決して消えない。だから――医者にならなきゃいけないんだ。おんなじ風に、苦しんでいる人たちを救う。それが俺の罪滅ぼしなんだ」


 そう言って、杏羅さんは俯きました。その表情はとても、悲しくて、辛くて、後悔を浮かべる顔でした。その顔が、儚い雪と一緒に映ったので、とても印象が強く、目を逸らしたいのに目を離すことができません。
 私は堪え切れずに、泣きだしてしまいました。


「……雪乃、なんで泣くんだ?」


 彼は私に、不思議そうな視線を送りました。


 ああ、気づいていないんですね。
そんな想いが私の心に突き刺さりました。


 これほど、手を伸ばせば届く距離に居るのに、貴方には届かないんですね。


「――貴方が好きなんです」


 ポツリ、と言葉が涙と一緒にこぼれました。その言葉は、手のひらに落ちた雪のように、スウと消えてしまいました。


「とても、貴方が好きなんです。会った時から好きだったんです……」


 それでも、私は続けました。
 伝えずに居ようと思っていたのに、伝えてしまえば壊れてしまうと思ったのに。
 零れる涙を抑えるために、自分の手のひらで顔を覆いました。


 沈黙が流れました。六花がフワフワと落ちて行きます。


「――雪乃」


 杏羅さんが先に口を開きました。


「――雪乃、俺と雪乃じゃ流れて行く時間が違う。雪乃にとってはあっという間でも、俺にとってはとてつもなく長い時間なんだ。その時、取り残されて悲しい想いをするのは、雪乃、お前だよ」


 その言葉に、私はとても寂しく、悲しく、辛く感じました。
 杏羅さんに言われなくても、解っていました。――妖と人は一緒にはなれない。ましてや、人に触れることが出来ない、私なんかに好意を寄せられても、杏羅さんには迷惑をかけてしまうだけです。


 けれど――杏羅さんの言葉は、私が好き嫌いということではなく、「妖だから」としかとらえていません。

 私だけを見てよ、とは言いません。でも、ちゃんと私を見てよ。
 『妖』だけではない、私を見てよ。


 遠くなる杏羅さんの背中を見送りながら、私は一人雪の中にいました。
 六花は、静かに降っています……。