六花は雪とともに

作者/  火矢 八重


小話 『君を忘れない』


『……ねえ、姉さん』

 不安そうな顔で、彼は聞いた。

『なあに? 紫苑』

『僕達、ずっと一緒に居られるかな……?』

 ――なんだ、そんなこと。
 私は聞いてほっとし、明るく答えた。

『当たり前でしょ!! 姉弟なんだから!!』

 その言葉を聞いて、彼は少しだけ表情が明るくなった。


 私は、何も判っていなかったから笑っていた。
 彼は、全て判っていたから不安な表情を浮かべていた。

 あの日から――私たちはすれ違っていたのかもしれない。
 そして――。


                            ◆


 帝である紫苑が自決し、強硬派が芙蓉たちの手によって葬られたその三日後、私は再び王室を訪ねることになった。
 あの日燃えた王室は、中庭すらも燃え、残っていたのは松の木だけだった。
 そう。あの防空壕の跡の隣にあった、松だ。


「ここは……燃えなかったんだね」


 そう独りで呟いて、私は防空壕の中を覗くようにしゃがみ込む。


「……良かった。ここは思い出が多い穴だから……といっても、忘れているのが多いけど」


 忘れたのは、何故だろう。
 忘れたかったから? ここに居る生活を忘れたかったから?
 だから、いつの間にか忘れてしまったのだろうか。


「……私は、『忘れる』という行為は、悪ではないと思う」


 誰に伝えるわけでもなく、自分に言い聞かせるように言った。


「誰だって忘れたいことはあって。辛いこと、悲しいことは忘れていいとおもう。……それが例え、罪をおかしたとしても」


 そう。自分のしたことに恥じて、反省したならば……もう、充分苦しんだのだから、忘れてもいいと思う。
 けど……忘れたくない思い出が、沢山ある。楽しかった事、嬉しかった事を、忘れたくないんだ。


「……どうすればいいのかな、私は」


 忘れたいのだろうか。
 忘れたくないのだろうか。
 そんな想いが、頭を駆け巡る。

 サアアア……と、風が雪乃の頬に触れた。冷たい風が吹く。
 ふと足跡を見ると、焦げた土の上に、鮮やかな紫色の花が生えていた。


「紫苑……」


 季節外れの紫苑の花だった。淡い紫色の花は、黒の上だととても鮮やかに見える。
 どうして、こんな所に生えているのだろう。私は恐る恐る紫苑の花を手にし、目の前に持ってきた。
 その時、何処からもなく、声が聞こえたのだ。


『――雪乃は忘れても、僕はずっと君のことを忘れないよ』


 ――弟の声だった。
 私は驚いて、周りを見渡す。けれど、誰の姿も見えない。燃えた中庭には、私一人しかいなかった。けれど、確かにあれは弟の声だった。


 弟は――紫苑の花に転生したのだろうか。自分と同じ名を持つ花に。
 そして――私に伝える為に、こんな所に花を咲かせてくれたのだろうか。私を『忘れない』と伝える為に。


「――紫苑。私は貴方の事、絶対忘れない」


 私はまた呟いた。今度は、弟に伝える為に。


 私は、紫苑のことだけは忘れない。
 同じ血を引く、弟のことを。

 君のことを、ずっと忘れない。

 だって、そうすれば、貴方は私の心の中で生きていけるから。
 だから、忘れないよ。

 紫苑の花に向けて、私はそっと微笑んだ。