イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作

第三章 新しい風の中で(九)
蓮は与えられた部屋には戻らず、コテージを出た。外に出た途端穏やかな波音が耳を騒がせ、心地よい潮風が髪をなでる。草の感触を踏みしめながら、岬へと向かいそろそろ見えてくるか……というところで。身体を押し戻すような強い潮風が吹いてきた。蓮は目を閉じた。そして目を開けたとき――先客がいるのが見えた。
ゴールの証である、円状の台座に三角定規を乗せたような記念碑に誰かがのっている。月光を鈍く弾き返す銀の髪と紫のフードが、潮風を受けてはためている。彼は三角定規の斜辺に手をあてながら、ただただ暗い海に視線を送っている。その後ろ姿に、蓮は見覚えがあった。
「……風介?」
だっと鞄を揺らしながらかけだすと、台座の正面部分にある階段を上り涼野に近づく。なにか考え事をしているのか、近づいてもこちらに気がつかない。
「お~い。風介」
蓮が彼のかたをぽんぽんと叩くと、涼野は目を大きく見開いて振り返った。
「……蓮?」
「やあ久しぶり。うわぁ~!」
涼野に挨拶をしながら何気なしに見やった風景に、蓮は歓声を上げる。
海上の天には、宝石をこぼしたように多くの星が輝き、月と星が打ち寄せる波頭を青白く照らし出し、波の音は静かに闇をさざめかせる。空を映した海は黒く、暗闇を宿すようだった。黒い海の向こうには月の光が海面に映り込み、光の道が伸びているようにも見える。
「どうしてキミがここにいるのだ。雷門もこの稚内に来ているのか?」
「いや。僕は塔子さんと別行動」
蓮は並んで丸い台から足を投げ出すように座る。
それから会話の内容が思いつかず静寂が流れた。蓮は鞄に手を突っ込むと函館で買った土産の一つ――バター飴の袋を開ける。そして立っている風介に手を伸ばし、
「……食べる?」
「それはなんだ?」
「バター飴。北海道名物だって」
「そうか。いただこう」
手早く子袋に分けられたビニールを切り、涼野はポテトチップスの袋膨らんだの様な形をした飴を口の中に入れた。
「美味いな」
蓮も封を切り、バター色の飴をなんとなく口に入れた。甘いバターの味がとろけるように広がる。
蓮は風介に目をやった。潮風に涼野の髪が翻り、月光が横顔の輪郭を浮かび上がらせる。その姿に蓮は、またもや懐旧の思いに駆られる。知っている気がする。でもそれはどうしてなんだろう。
「蓮」
不意に涼野に呼ばれ、蓮は肩を震わせる。
「こんな遅くまで起きるなど……不健康だぞ」
「元々僕は夜行性なんだ」
バター飴を下の上で転がしながら蓮は言う。
「長年の惰性(だせい)か。……キミは大人になって、長生きしないだろうね」
「冷たいなぁ」
冷たすぎるその一言に蓮は、自分を嘲笑うように笑う。すると立っていた涼野は、蓮の横に、同じ体勢で座った。
「……前言撤回だ。早起きしろ。キミに早く死なれてしまったら、私は困る」
「へ?」
唐突すぎる涼野の言葉に蓮がほけっとしていると、涼野が蓮をしっかりと見つめて来た。
「私は、キミのことを友だと認めている。そう、だからだ。だから……早く死ぬな」
そこで言葉を切ると、涼野は揺れる黒い凪へと視線をやった。
「少し、私の昔話をしてもかまわないか?」
「いいよ」
「いつのころだったか――私は”大切なもの”を失った」
そして静かな涼野は口調で語りだした。
「失った?」
「……昔は手の届くところにいてくれた。あの頃は、近くにいるのが当たり前だとすら思っていたのだ。しかし――」
ぶらぶらと揺れる涼野の足が、一度止まる。
「ある日を境に”それ”は、突然私たちの前から姿を消してしまった。まるで最初から存在しなかったかのように忽然(こつぜん)と、な」
静かな口調で仏頂面だが、その瞳には悲しみの色が宿っていることを蓮は言葉の端端から感じ取っていた。
「私の友は”それ”に向かい、恨み事や戯言(ざれごと)を言っているが、私はそうは思わない」
そのときだけ涼野はじゃっかん笑みを浮かべた。
「完全ではないが、見つかったからな」
「完全じゃない、か」
繰り返すように蓮は涼野の言葉を呟く。自分だって、サッカーをやるようにはなったがまだ完全ではない。
「……しかし。ヒトというのは悲しい生き物だ」
再び涼野の瞳が陰る。
「今はこうして仲良くしていても、時がたてば忘却の彼方に忘れ去られてしまう。記憶とは――どんどん風化していくものなのか」
「『人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける』ってか」
いきなり和歌の様なことを蓮が読み上げ、涼野が首をかしげる。
「何の歌だ」
「百人一首の詩。この前授業で習った。え~っと。『あなたはさあどうだろう、人の気持ちは私にわからない。昔馴染みの土地では、梅の花だけが昔と同じ香りで匂うのだったよ』って意味で、人の気持ちは変わりやすいのに自然は変わらないって言っているんだよ。あ、関係ないか」
「いいや。関係はある。”それ”は気が変わり、私のことなど、どうでもよくなってしまったということだろう」
涼野が憫笑しながら言うが、その横顔にはやはり悲しさと寂しさが入り混じっているような気がした。
「う~ん。なんか事情があったとか~。そういうことはないのか?」
「”それ”の事情など知らない」
「じゃあなんかあったんだろ。僕だって子供の頃に、階段から落ちて頭をうって記憶喪失になったんだから」
その言葉に涼野がまた蓮の目をまっすぐ見据え、
「キミはドジだな」
「ほっとけ!」
蓮が絶叫した。波の音が静かに響いた。
「……すまない、蓮」
「!」
涼野はすくっと立ち上げると、蓮の背後に回る。そのまま腰辺りに手を回し、抱きついてきた。弱く、優しい抱擁。おかえり、と挨拶するような。
いきなりのことに蓮は呆然とし、そのまま固まっていた。だが徐々に理性を取り戻し、自分が抱きしめられていることに気づく。
首あたりに顔をうずめているらしい。はっきりと涼野の体温をそこから感じる。ポカポカとしていて温かい。性格とは真反対だ。ときおり彼の生ぬるい呼気が、はっきりとした呼吸音と共に首筋にかかる。
「あ……あの風介?」
たじろいだ蓮が涼野に話しかける。答えはない。
そのときだった。首を、なにか生暖かいものがすべる感覚がしたのは。
同時に涼野が抱きしめる力を少し強めてくる。ぬくもりがいっそう強く肌にしみる。
初めはその”あたたかい感覚”は気のせいかと思ったが、違う。降り始めの雨のように、定期的に首筋をつたい流れて、ジャージに降り注いでゆく。優しくて、寂しい、不思議なもの。それはきっと――涙だ。
なんで。なんで風介は泣いているんだ? やっぱり僕は彼のことを忘れてしまったのか。記憶の海には、まだ彼が眠っている……?
「…………」
口をつぐんだまま蓮は揺れる黒い海を見る。
頭の中では色々な思考が混じりあい、まさに混沌(こんとん)の世界が生じていた。
また……また懐かしい感覚が身を包みこむ。霧の様な懐かしさだ。向こうにその正体はありそうなのに、靄(もや)がかかっていて見ることが出来ない。
なんで靄があるんだ。風が吹いてきて飛ばしてしまえばいいのに――

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