イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第五章 希望と絶望(八)



 長い間、蓮は無言で鬼道の背中を見つめ続けていた。
 鬼道は何を考えているのだろう。影山を止めるだけにしては、思い詰めすぎだ。それでも蓮はうっすらと鬼道の心情を察していた。子供の頃からサッカーを教わったということは、裏を返せば鬼道のサッカーは“影山のサッカー”そのものでもある。
 影山を否定したことは、自分自身のプレーを否定するに等しい。再度影山を否定することによって、己のサッカーが見えなくなって。果てない怒りの矛先を影山に向けている、そんな気がした。昔のオレではない、と自分に言い聞かせるような声で呟いたのを聞き、蓮は鬼道に近寄る。器用ではないけど、何か言葉をかけてやりたかった。

初めは物怖じをして、蓮は鬼道から一歩後退した。円堂と風丸が応援するような仕草をとり、小声で「がんばれ」と声を飛ばす。響木は腕を組んで成り行きを見持っているだけだ。口を出す気はないらしい。
蓮は円堂たちの方をむいて、首を縦に振る。覚悟を決めたような顔付きになると、鬼道の肩を軽く叩いた。鬼道は振り向かなかった。諦めず、蓮は鬼道の前に回りこむ。
 鬼道は俯いたまま、拳を震わせていた。軽く目を閉じると深呼吸し、蓮は鬼道の名をはっきりと呼んだ。

「ねえ、鬼道くん」

 びくっと身体を震わせ、鬼道は弾かれたように顔を上げた。赤い目がほとんど限界まで見開かれている。顔には脂汗が張り付いていた。蓮が近づいたことに気づいてなかったらしく、顔には驚愕と当惑の色が浮かんでいる。潮風になびくマントが一層激しく音を立てる。そのことを意に介しない振りをして、蓮は鬼道をしっかりと見据えた。

「僕たちも力を貸す。だから、いっしょに影山を倒そう」
「……白鳥」

 蓮の励ますようなそれでいて力強い声に、鬼道は小さく声を零した。蓮は持ち前の明るい笑みを鬼道に見せて、

「一人の悩みは十九人の悩み。みんなでいっしょに解決するんだ。ねっ?」

 大仰なことを言った。鬼道は、蓮の笑みに釣られるようにほんの僅かだが口角を上げる。その後ろでは、円堂と風丸も安心したように顔を綻ばしていた。響木はと言うと、何度も頷いていた。ちらっと響木を蓮が一瞥すると、響木はやったなと言うように親指を立てる。
蓮は苦笑しながら鬼道に向き直り、心内で手を貸してくれてもよかったのに、と愚痴っていた。
 一方、鬼道は何か引っかかるのか、腕を組みながら、ぶつぶつと独り言を言っている。

「十九人? 春奈たちや響木監督、瞳子監督を含めても今のチームには十八人しかいないはずだが……」

 そこまで述べて、鬼道は言葉を切った。何かに気づいたような顔になり、口元に得意げな笑みを浮かべる。顔を上げると、蓮に顔を向けた。

「なるほど。“あいつ”か」

 蓮は笑いながら首を縦に振った。
風丸や響木も気がついているらしく、わかったと言う表情をしている。円堂だけは風丸や鬼道をきょろきょろと見て、一人で唸っていた。風丸も蓮に視線を向け、

「ふっ、“あいつ”も含めた十九人だな?」

 確認するように蓮に尋ね、蓮は首肯。自分だけがわからないことに嫌気がさした円堂は、半ば泣きに近い声で蓮に聞く。

「なあ、白鳥。“あいつ”って誰だよ?」

「豪炎寺くん」

 蓮が短く答え、円堂はパンと手をたたいた。
今はいなくても、豪炎寺はきっと仲間のことを思い続けている。そんな気が、蓮はしていた。豪炎寺の面影を求めるように天を見上げる。円堂もつられるように空を振り仰いだ。
 のんきな海鳥たちが鳴きながら宙に舞っているだけ。白い髪も。炎を纏う強いボールも。あるわけはなかった。

「オレたち、愛媛まで来たんだな」

「そうだね」

 円堂が何気なく呟いて、蓮は同意する。互いに口を閉ざしあいながら、ずっと空を二人は眺めていた。海鳥たちはくるりと円を描くように飛びながら、うるさい声を出し続けている。

「豪炎寺くんが一緒にいたら戦ってくれたかな」

 蓮が独り言のように質問するように口を開くと、円堂はまだ空に目をやりながら、力強く言い切る。

「あいつも影山にひどい目に合わされたからな。いたら、絶対に戦っていたはずだ」

「もしかして夕香ちゃんの事故って影山のせい?」

「ああ。あいつ一年生の頃は、木戸川(きどかわ)って学校にいたんだ。そこでも、すっげー強いストライカーだったんだぜ!」

 嬉々として話す円堂の表情に暗い影がさす。やるせない思いが顔ににじみ出ている。恐らく、いなくなった豪炎寺のことを思い出させてしまったのだろう。風丸や鬼道にも目をやると、悲しげな表情をしていた。蓮は申し訳ない顔つきで円堂に身体を向ける。

「……けど、帝国学園と木戸川が戦うときになって、事故は起こったんだ。豪炎寺の応援に行こうとした夕香ちゃんは、交通事故にあって意識不明になってしまったんだ」

 円堂が息と共に重い言葉を吐き出し、蓮はまた頭で考えていたことが勝手に口から出る。

「……この前会った時は元気だったのに、そんなことがあったなんて」

 気づいたときには風丸や鬼道、円堂の三方向から不思議がる視線が向けられていた。
 そういえば夕香に会いに行った事は、円堂たちには『親の都合』で呼ばれたと処理されていることを今更思い出した。
 蓮は凍りつきそうになりながらも、何とか笑顔を作るが、それはとても引きつっていた。鬼道が探るような目つきになる。風丸は怪しむ顔付き、鈍い円堂だけが首をかしげていた。

「あれ? おまえ、夕香ちゃんに会ったことあるのか?」

 円堂が狙ったとしか思えないピンポイトをついた質問に、蓮は表には出さないが、全身を氷塊でなめられたような気分になった。蓮は、その問題を避けるように、震える声で言葉を濁した。そして円堂が話を続けるようしむける。

「え、えっと。それよりその後どうしたの?」

「豪炎寺は試合を放棄して病院に向かった。けど、そのせいで試合には出れず、木戸川は帝国学園に完敗した。夕香ちゃんが稲妻総合病院に移るのを契機に、オレたちの雷門中学校に転校してきたってわけだ。まあ、木戸川とは色々フットボールフロンティアであったけど、和解できたし、大丈夫だぜ」

「じゃあ、豪炎寺くんの分もお返ししてやろう!」

 円堂が重々しく説明していたが、最後は明るく断言し、蓮は先ほどの問題を流すように話を無理やりまとめた。話の流れをこっちに持ってきてしまえば勝ちだ。
 鬼道も風丸も諦め、力強く首を縦に振る。その時、鬼道が鉄扉に駆け寄り、被りついた。
 蓮たちも急いで鬼道の後ろに進むと、背伸びをしたり、ジャンプしたりして、中の様子を窺おうとした。すると鬼道が振り向き、人差し指を立てて口に当てながら、

「静かにしろ。あいつらが何か話しているぞ」

 小声で注意した。蓮たちは口を両手で塞ぐと、動くのをやめて、中をにらみつけた。


  ***


 鬼道の指示で、蓮たちは音を立てないよう鉄扉に近づいた。声を殺しながら、強張った面持ちで中の様子を窺っている。静寂だけが鬼道たちを包み込んでいた。いつもは元気な円堂ですら、緊張した顔付きであることからみなが真剣であることが分かる。
 
 男たちは二人。やがて中からもう一人出てきて何やら話し込んでいる。三人とも違う反応をしているとはいえ、姿形が全く同じなのが不気味だ。ややこしいので、今倉庫から出てきた男は『男A』、元々立っていた二人は、『男B』、『男C』とそれぞれ表すことにしよう。特に深い意味はない。

「おい、そろそろ出発の時間だ」

「了解」

 男Aが早く倉庫の中に入るよう男BとCを促す。男Bはこくりと頷き、男Cは跳ねるような仕草をした。見た目こそ似ているが中身は微妙に異なるらしい。円堂たち五人は、新たな発見に思わず互いに顔を見合わせた。

「それとさっき捕まえたやつも連れて行くそうだ。早く支度をしろ」

「わかったにゃん。四十秒で支度するにゃん」

 男Cが変な語尾と共に崩れた敬礼。不覚にも円堂が噴出しそうになった。風丸が容赦なく円堂の口を片手で覆う。円堂は顔を真っ赤にして暴れた。風丸に口を塞がれた際、鼻まで塞がれたため、苦しいのだろう。息苦しそうに顔を歪め、抗議するように何か叫ぼうとしているが、言の葉にはならない。
 その様子を蓮は呆れたように眺めていたが、しばらくして風丸が円堂を解放した。それを見た蓮は、前を向く。

「風丸、塞ぎ方が悪いよ」

「悪いな」

 円堂が小声で抗議し、風丸も声を潜めて短く謝り、二人とも門の向こうを見やる。
 男たちA、B、Cが倉庫の中に消えると同時に、波止場前をうろついていた男たちが、一斉に身体を右に向けた。軍隊の行進のように揃った足並みで、蓮たちから見て左から右に進んでいく。男たちの気持ちが悪い行列は五分ほどで、全員が右の方向に進んだ。それ以上後には誰も続かなかった。
 
 見張りがいる可能性がある、と鬼道の意見で、蓮たちは十分ほど様子を見る。十分たったが誰も来ない。鬼道は中をにらみつけながら呟いた。

「……いなくなったようだな」

「よし、早く行こうぜ!」

 円堂が元気よく鉄扉に駆け寄り、無理やり引っ張る。が、鍵がかかっているらしく、びくともしない。
顔が見る見るうちに赤く染まり、唸り始めた円堂を見て、蓮は円堂に声をかける。

「任せて」

 蓮はジャージの袖を捲り上げると、身軽に鉄扉をよじ登り始める。
鬼道たちが驚いたように蓮を見上げる中、蓮は早くも鉄扉の上に腹を引っ掛け、両手足をだらしなく下げている体勢になっていた。そのまま器用に身体を動かし、鉄扉の向こうに飛び降りる。着地するとすぐに扉を閉めている閂(かんぬき)を外し、と鉄扉を開いた。鉄が地面にすれる甲高い音と共に、扉が開く。

「すごいな白鳥!」

「よじ登れるなんて、大した運動神経だぜ」

「来てもらって正解だったようだな」

 扉から入ってきた円堂たちが、次々に蓮を誉めそやす。蓮ははにかみとも苦笑ともつかない表情を浮かべていた。
 なんせ校門登りを自力習得したのが、遅刻を防ぐため。通っていた小学校の裏門には、ある時間を過ぎると先生がいない。従って、よじ登ってしまえば怒られることはないのだ。そのために習得した。これを説明するのはどうにも気が引ける。

「あの倉庫だな」

 円堂は、男たちが入っていった倉庫を指差す。
鬼道の指示により、辺りに気を配りながら慎重に進んだ。試合といい今といい、鬼道は優れたリーダーだなぁと蓮は改めて痛感する。
 倉庫と倉庫の間や波止場前と注意深く視覚と聴覚を働かせるが、見えるのは誰もいない港。聞こえるのは、海鳥の鳴き声と風の音。
 ゆっくり進むうちに、問題の倉庫の前についた。コンテナなどを置く長方形の建物だ。扉は開け放たれており、中から冷気がこちらに吹き付けてくる。円堂たちは身を震わせた。
 その冷気は、涼しい場所にあるものではなく、霊山や神社で感じる凛とした空気に近い。ただ、心地よいものではなく、身体を内から震え上がらせるような威圧感を纏ったもの。
 蓮は心がざわつき始める。そしてそのざわつきが的中するように、

「ふふ。待っていたわよ、雷門中サッカー部」

 まだ若い女の子の鋭い呼びかけが聞こえる。冷気が一層激しくなった。