イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第五章 希望と絶望(十三)



 急に耳を両手で覆い、床に屈んでしまった蓮。聞きたくない言葉でもあるかのか、両耳を外部から遮断している。その顔には怯えと悲しみが窺える。雑多な感情が、苦悶の表情となって表れていた。助けを求めるがごとく全身が微かに震えている。アフロディたちは呆心配そうな顔つきで蓮を眺めていたが、

「……蓮」

 見かねたアフロディが、控えめに蓮の名前を呼ぶ。しかし、反応はない。
 変わらず耳を両手で塞ぎながら、水を入れすぎたコップから水が零れるように、震えた声で言葉をポツポツと発していた。

「……ねえ父さん、母さん。僕は生きていて、本当に良かったのかな? ――人間は結局ひとりぼっちなんだ。……僕の周りには、誰もいないよ」

 その言葉を聞いたアフロディたちは、悲しげな顔付きで互いを見やる。それは数秒間のことで、すぐに何かしらの行動を起こそうと言う表情に。確認するようにしっかりと頷き合うと、まず涼野が立ち上がり、蓮のもとに歩み寄る。そして、次に南雲、アフロディが涼野を真似、三人で蓮を囲んだ。蓮は変わらず屈んだままである。

 三人は目で合図し合うと、南雲と涼野は、一斉に蓮へと手を伸ばした。涼野は蓮の左肩、南雲は右肩に、それぞれ手をそっと置く。すると蓮は両手を耳から離し、弾かれたように顔をあげた。不安気に南雲と涼野の顔を交互に眺めた。
 二人の表情は柔らかかった。試合時には、まず見られない優しい面持ちだ。

 優しい二人の顔にぼうっとする蓮の前に、アフロディが前のめりになりながら、立った。穏和な笑みを口元に浮かべていた。南雲と涼野は蓮の肩を掴んだまま、アフロディはしっかり蓮に視線を据えたまま、

「蓮、生まれてきてくれてありがとう」

 三人は、声を揃えて、しっかりした声音で蓮に思いを伝えた。
 『誕生日おめでとう』と言う単語を予測し、身体を震わせていた蓮は、予想外の言葉にぼうっとするしかなかった。
 何と言われたのか、宇宙語で話しかけられたように、単語の意味をつかめない。言葉は耳に届いても、脳は理解しようとしない。ただ、胸の辺りだけは辛うじて『暖かい』と感じられる。
 呆然とする蓮の前に三人が並び、一番左にいる南雲が照れくさそうに人差し指で頬をかきながら、蓮から視線を逸らしながら、

「えーっと……まあ、今日生まれてきたから、オレたち仲良くなれたわけだろ? ありがとな、生まれてきてくれて。……だから、間違って生まれてきたなんて絶対に言うな。お前がいないと、風介やオレが困るんだよ」

 ぶっきらぼうながらも、つっかえつっかえに言いながらも、南雲は力強い口調で蓮に語りかけた。最後だけは蓮をしっかり見据え、

「……『僕なんて生まれてこなければよかった』と、もう一度言ってみろ。そんなことを言ったら、オレがお前を殴って、蓮には、生まれたことを喜んでいる
大切な”親友”がいるってことをわからせてやる」

 南雲は荒い口調ながらも、蓮のことを大切に思っていると言っているのだ。
 蓮は瞠目し、せわしく瞬きをしながら南雲を見つめていた。その顔には驚きだけが表れている。だが南雲の言葉の意味に気づくと、ゆっくりとはにかんだ。

 ただ嬉しいという感情が込み上げてきた。独りじゃないと痛快な思い。晴矢の優しさが胸にしみるようだった。相変わらず不器用な表現が晴矢らしいなぁと、心の中で小さく笑った。
 南雲の方に顔を向け、礼を述べるように目を細める。黒い瞳が潤み始めた。
 そんな中、今度は南雲の隣に並ぶ涼野が、柔らかい笑みを浮かべながら、口を開く。

「まずは礼を言おうではないか。蓮、生まれてきてくれてありがとう」

 蓮は潤んだ瞳をそのまま涼野に向け、人差し指で濡れた瞳を拭う。不思議そうな面持ちで涼野の言葉を待った。涼野は睨むような目付きで、蓮を見た。少し怒った声で、

「キミは、私や晴矢と出会ったことを間違っていたと思うか?」

 その質問で蓮は涼野がどうして憤っているかを察した。
 晴矢に風介、アフロディ。大切に思ってくれる人間がどんなに少なくとも三人もいるのに。自分勝手に孤独だと嘆き、自暴自棄に生まれてきてよかったのかと泣いて。そのことに腹をたてている――いや、気付かせるために芝居をうったのだろう。口にこそ出さないが、青緑の瞳は「私はキミと出会えてよかった」と訴えかけてくる。


 蓮は、素直に首を振って、穏やかに微笑んだ。

「ううん。最高の親友たちとの出会いを、間違ったなんて思ったことはないよ」

 アフロディを親友と呼べるかは微妙だが、彼も大切な友人である。晴矢、風介と同列の扱いをしたと思って、蓮は否定した。――いや、扱いの差なんてない。出会いも付き合った時間が短くても。今、楽しく付き合えるアフロディも親友だと考えるから。第一ランク付けは蓮の嫌いなことだ。
 それを聞いた涼野は満足そうに視線を柔らかくし、南雲は恥ずかしそうに腕を組んで、しきりに髪を弄った。アフロディは静かに口元に笑みを浮かべていた。目を凝らすと、頬がうっすらとだが朱に染まっている。

「ならば間違っていたと言うな。生まれたことを否定することは、”私たち”との出会いを拒絶することだ」

 涼野が珍しく手厳しい台詞を浴びせ、蓮は反省するようにしゅんとなった。そしてアフロディが追記する。

「ボクたち、キミが日を重ねるごとに落ち込んでいくのを見ていてつらかったんだよ。だから、ボクの思いを伝えよう。蓮、生まれてきてくれてありがとう」

 蓮は、改めて三人の顔を見渡した。三人とも、祝福する笑みを顔に作っている。純粋に誕生日を祝ってくれているのだ。

 三人の言葉が木霊みたいに頭のなかで何度も再現され、全身が熱くなる。暗い気持ちは吹き飛び、喜びと例えようのない幸福感が胸の奥底から突き上げてくる。何も考えられない程に。心臓はいつもよりも早く脈打ち、息も荒くなっている。

「……あれ」

 蓮は手の甲に冷たさを感じ、視線を落とした。手の甲が濡れている。反対側も同じだ。生暖かい液体が頬を伝い、手の甲に冷たくなって落ちていく。

 蓮は、泣いていた。嗚咽を漏らすこともしゃくりあげることもなく。ただ、ただ涙を手の甲に降らせていた。アフロディが「泣きたいなら思いっきり泣けばいい」と優しく声をかけ、蓮は引き寄せられるようにアフロディのベッドにうつ伏せで倒れこんだ。刹那、小さな泣き声が漏れた。それはだんだん大きくなり、とうとう全身まで震え始めた。堰を切ったように声を出して、蓮は鳴き始めた。

 今まで誕生日のたびに嘘をついて誤魔化した気持ちが爆発した。祝われて、普通に楽しく過ごしたいと言う思い。自分だけ生き残ったことを、果てには生まれたこと時代罪だと思っていた。けれど、違った。
 生まれたことを喜んでくれる仲間が、こんな手の届く場所にいたのだ。ありがとうと祝福し、こんな自分でも仲良くしてくれる親友たちが。
 考えると、誰にでもいいから認めてほしかった。こんな僕でも、生まれてきてよかったと。その欲しかったものがこんなにも近くに。

――仲間たちの暖かい言葉が全身の細胞一つ一つに行き渡り、身体が熱を帯びてくる。呼気も生温い。このまま天に召されてしまいそうなぬくもりの中、蓮はひたすら泣きじゃくった。大切なぬくもりに感謝しながら。


 泣きじゃくり震える蓮の背中を、アフロディたちは無言で見つめていた。泣く蓮は、ひどく幼く見える。その幼さが逆に切なかった。すぐに消えてしまいそうな儚さがかいまみえたからだ。
 涙は、蓮が堪えてきた思いそのものだろう。生き残った罪悪感を避けるように誕生日から逃げ、ずっと生まれてきてごめんなさいと、毎年悩み続けてきたことを窺わせる。だが、生まれたことを祝福され、ようやく罪の意識から解放されたのだ。
 泣いて、心を浄化しているのだとアフロディは思った。なら、準備をしなければならない。

「南雲、涼野」

 思い立ったアフロディは、声を潜めて南雲と涼野に呼びかける。二人が振り向くと、

「これから準備だ」

 短い指令にもかかわらず、南雲と涼野は頷いた。アフロディも頷き返すと、踵を返し、髪を揺らしながら部屋から出ていった。扉は開け放たれたままになっている。

 残された南雲と涼野は、ベッドに近づいた。涼野はベッドの縁に座ると、身を乗りだし、震えている蓮の肩をそっと掴んだ。肩がびくっと持ち上がる。
 蓮が頭だけを動かして、涼野を見た。もう泣き止んでいるが、顔には涙が伝った後。鼻をすすり、人差し指で涙を拭っている。瞳には、悲しみのカケラがまだ残っている。

「……風介、晴矢」

 蓮は涙声で二人の名前を呼ぶと、ゆっくり身体を起こした。涼野が手を離すと、ベッドの上に体育座りになる。

「ありがとう」

 懸命に笑顔を作り、蓮は南雲と涼野に礼をいった。穏やかな陽射しのような、夜を照らす冴えた月の光のような笑み。
 久々に見た蓮の明るい笑みに南雲と涼野は、つられて目元を緩くした。

「本当のことを言うと、僕もみんなみたいに。普通に誕生日を祝われたかった」

 自虐的な光を瞳に宿しながら、蓮は二人に今まで溜めてきた思いを吐き出す。悲しげな声音だった。
 南雲と涼野はいつになく真剣な表現で話を聞き、続きを待っている。蓮は、しっかり二人を見据えると、

「生まれてきたこと、今日初めて誇りに思えた。祝われてもいいんだって、そう思えた」

 はっきりと断言した。それから少しもじもじと尻込みするように下を向いたが、すぐに顔をあげる。緊張した面持ちで、何かと構える南雲と涼野に向かって、

「こ、こんな圧倒的な仲間に囲まれて、僕は生まれてよかったと思う!」

 回らない口を無理に動かしたせいで、なんともたどたどしい口調になった。しかも、言おうとした単語と異なる単語が出てきた。しまったとは思ったが、もう遅い。南雲と涼野が、あんぐりと口を開けている。
 言ってから、蓮はひどい後悔の情に駆られた。圧倒的ってなんだ。素敵がどうやったら圧倒的になるんだ。

「……圧倒的じゃなくて、素敵だよ。間違えた」

 自分を責めながら、蓮は弱々しい声で訂正する。南雲はからかう笑みを浮かべて蓮を眺め、涼野は仕方がないと言わんばかりに腕を組む。むなしい訂正だった。さらに追い討ちをかけるように、

「こういう大事な場面で、言い間違えるなんてお前らしいな」

 南雲のからかいの一言。蓮はむっとし、南雲に噛みついた。南雲が楽しそうににやつき後ろに下がる。蓮は頬を膨らましながらじりじりと南雲に詰め寄る。

「な、なんだと晴矢! 僕だって、一生懸命に言ったのに!」

 そこへ涼野が二人の間に割り込み、涼野は蓮をなだめる。

「大丈夫だ、蓮。キミの言いたいことはわかった。私たちもキミと、こうしていられることを嬉しく思う」

「そ、そうかな」

 素直な蓮は足を止め、照れ笑いをした。南雲は涼野の後ろから顔をだし、しげしげと蓮の顔を見つめる。

「なあに、晴矢」

 南雲の視線に気がついた蓮は、不機嫌そうな声をだし、南雲を見た。

「やっと、いつもの蓮になったな。ったく、お前がへこんでいると、いじりがいがなくて退屈だったぜ」

 楽しそうに笑いながら南雲がそんなことを言って、蓮は小さく笑い声をたてる。南雲が、怪訝な顔つきになった。

「あんだよ」

「心配してくれてたんだ」

「ふん。蓮が元気ないと、オレまで調子が狂って困るんだよ。迷惑だからへこむなよ」

 困るや迷惑だと刺々しい単語を並べるわりに、南雲なちっとも困った顔をしていない。むしろ、励ますような顔。また意地張ってる。素直でない南雲を面白く感じた蓮は、控えめに笑うと、

「は~い!」

 素直な子供じみた元気な声で返事した。