イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第五章 希望と絶望(十二)



 翌日。
 蓮は、胸に蟠り(わだかまり)を残したまま目が覚めた。
 布団を被らずに寝たので、身体がすっかり冷えきっている。あまりの寒さに、蓮は起き上がりながら、身体を震わせ、毛布で身体を包み込んだ。しばらくして、体内に血が駆け巡り始めると、何とか動ける程には体温が回復する。

 長い息を吐き出し、枕元に置かれたデジタル時計へと視線を向けると、既に七時半を過ぎていた。起きるのが最も遅いチナンですら七時には起床しているから、大分寝坊したことになる。
 通常の思考なら飛び起きるところだが、蓮は毛布を身体に巻き付けたまま、ぼうっと時計の文字盤を眺めていた。
 なぜか身体がだるい。身体を動かす気力が沸いてこない。サッカーの練習など億劫に感じられ、ずっと部屋に閉じ籠っていたい気分。
 
 時計の文字盤が一分進み、蓮気だるい自分を叱咤した。自分はまがりにも韓国代表。代表選手が練習をサボるなど、代表になれなかった選手に下げる頭がない。やらなくては、いや練習をサボるのは代表を止める時だ。
 ベッド前のタンスに目をうつせば、韓国のユニフォーム――赤いシャツとグレーのハーフパンツが、ハンガーに吊るされている。代表である証。己が代表だと言う現実を告げている。
 毛布を身体から外し、休みを要求する身体を無理矢理動かした。足を床に下ろすと、身体を引きずるようにして部屋から出た。そして、一段一段ゆっくりと階段を降り、食堂に向かう。
 足取りは重く、食堂が近づくにつれ、逃げたい衝動に駆られた。それでも身体を意思の力で食堂に向かわせ、閉まっている扉を勢いよく開けさせた。
 扉を開くと、各テーブルに着いている選手たちが、一斉に自分を見つめているのが目に入ってきた。チナンだけは手に茶碗を持っているが、他の選手の机には何も置かれていない。やはり寝過ごしたのだ。
 
 普段は早起きな蓮が寝坊したことが珍しいのか、選手たちは不思議そうな顔で蓮を見つめていた。ただアフロディ、南雲、涼野だけは探るような視線を蓮に投げ掛けている。その視線に気がついた蓮は、アフロディたちを一瞥すると、"笑顔"を作った。周りを見渡し、

「ごめん。寝坊しちゃった」

 わざと明るく謝った。演技であるが、本当に明るく謝っているように聞こえる。
 ほとんどの選手は騙され、「珍しいな」「気を付けろよ」等と軽く注意するだけでそれ以上なにも聞かなかった。安心するも束の間、幼馴染み二人だけはますます視線を険しくすることに気づく。間違いなく演技だと見破られているだろう。
 ――普段洞察力はないくせに、自分に対する洞察力だけは持っている困った幼馴染みだ。と蓮は文句を内心で呟き、逃げるように二人から視線をはずした。

「さ、今日の朝御飯は何かな」

 鼻歌を歌うような調子をわざと言いながら、蓮は朝食を取りに向かった。

*
 この一週間、練習はあまり集中出来なかった。
 練習にあまり身が入らず、蓮は絶えずぼうっとしていた。そのせいでパスミスが増え、チャンスゥに怒鳴られる機会がどっと増えてしまった。ファイアードラゴンのMFやDFを、翻弄する程度の力量をかろうじて保ってはいたが。
 
 いつもなら落ち込む蓮であるが、チャンスゥの言葉は耳から耳へと抜けてしまう。日に日に間違って生まれてきたのでは、と猜疑心が増したからだ。
答えの見つからない問いは蓮を孤独の中に沈めていった。
 表面上は明るく振る舞って元気に見せているが、内心はぼろ切れのようにズタズタと引き裂かれている。いつも言葉にならない悲鳴を上げていた。
 生まれてきてよかったのか、誰か教えてよと無言で叫ぶが誰も答えてくれない。苦しい。それでもファイアードラゴンの誰かに打ち明ける気にはならない。こんな問題にばか正直に答える人などいるわけないと勝手に決めつけていた。
 深く沈むと周りが見えなくなる蓮の悪い癖だった。
その間、アフロディたちはもちろん苦しむ蓮に気がついていた。
 表面上は毎日同じでも、日が進むごとに落ち込んでいく蓮の心を敏感に感じ取っていた。時折声はかけたが、沈む一方の蓮の心に光を与えることは出来なかった。それだけの闇。やはり誕生日に全てをかけるしかないと、歯痒い思いを噛み殺す。
 ――やがて、それぞれの思いが交差しあう三月三十日を迎えた。


  ***


「……ん」

 三月三十日の朝。カーテン越しに差し込む眩しい光で、蓮は目を覚ました。
 
 枕の元に置いた目覚まし時計に手を伸ばすと、『5:30』の表示。いつも目が覚める時間だ。今日はチャンスゥに叱られないなあ、と安心しつつ起き上がり、蓮はベッドから降りた。
 カーテンを引いて、窓の鍵を開けて、窓を開いた。涼しげな風が部屋の中に吹き込み、蓮の前髪を静かに揺らす。心地よい暖かさだが、身体の中を氷塊でなめられたような寒気を感じた。

 いや、腹の中に残っている”何か”が風に触れて寒気を”起こさせた”のだ。自分は一人ぼっち。生きる意味なんてきっとない人間だと改めて感じさせ、寒気が起こったのだ。
 蓮は風で身体を冷やしながら、窓辺の縁に腰掛け、瞼を閉じる。
 瞼の裏に雷門の仲間、南雲、涼野、アフロディ、ファイアードラゴンの仲間が駆け抜けていく。笑顔を浮かべていても、右から左へ去っていき、最後には誰も居なくなる。暗闇が広がっているだけだ。

 ――ああ、結局人間は一人ぼっちなんだなぁと結論付けると、瞼を開いた。背中越しに風を感じながら、蓮は小さくため息をつく。そして発した声は、蓮らしくない弱々しいものだった。

「はあ、早く明日にならないかな」

 毎年のことだが、誕生日は落ち込んでしまう。自分の生きる意味がわからなくて、思い詰めてしまうのだ。
 この時期学校は春休みなので、今まで一日家にこもって過ごしてきたが、今年は幸か不幸かひきこもることはできない。けれど翌日になってしまえば、取りあえず忘れることはできる。

 仕方ない。サッカーに集中して忘れよう。そう決意したときだった。扉が控えめに叩かれ少し開いた。ドアの隙間からアフロディが顔を出す。

「蓮、おはよう」

「……アフロディ。今日は早いんだね」

 アフロディに微笑まれ、蓮もつられるように、だが瞳は寂しげに伏せながら笑い返した。声に明るさがない。明るくするよう努めたが、無言な話だった。
 それを見たアフロディは何やら考え込むような仕草をとったが、すぐに真顔に戻った。

「これから、ボクの部屋に来てもらえるだろうか?」

 アフロディに聞かれ、蓮はめんどくさそうな顔で、僕みたいな人間が行っていいの? と言わんばかりに首をかしげる。
 どうせアフロディも自分のことなどわかってはいないと決めつけると、急に話す気が失せてしまったのだ。

 蓮を安心させるように、アフロディは優しく笑いかけた。何かしらの勘違いを起こしたと言うよりも、蓮の心を見抜き、今すぐ助けてあげるからと無言の主張をしたような笑いかたである。

 アフロディは、静かに蓮の部屋に足を踏み入れると、長い金髪を揺らしながら、蓮の隣に座った。そして、蓮の肩に手を回し、抱き込むように少し自分の身体に近づけた。柔らかい金の髪が蓮の頬にかかる。

「大丈夫だ。キミには、ボクや南雲、涼野がいる」

 アフロディの言葉の意味が取れず、蓮はしきりに瞬きをする。しかし、このくすぐったい感覚は何だろう。頬に触れるアフロディの髪ではなくて。
 ふっと視線を感じ、横を向くと、アフロディの薄茶色の瞳がじっとこっちを見つめていた。色白の肌によく映えている。誰もが認める美少年の存在は、蓮をかえってへこませた。
 蓮は、居心地が悪く、アフロディから視線を逸らす。アフロディは変わらず、蓮に視線を送り続けていた。

 美しいアフロディのように何かしら取り柄が欲しかったと、蓮は神を憎む。蓮は、落ち込むとき、やたら他人と己を比べ、いかに自分がダメな人間か証明する癖がある。下には下がいる、より多すぎる上を探してしまうのもまた、蓮の悪い癖だ。ひがむわけでも、妬むわけでもないが。無闇に他人と比べても、意味はない。

「……来てくれるかい?」

 アフロディが優しい声音で尋ね、蓮は小さく頷いた。先にアフロディが部屋から出て、蓮は波うつ金髪を追い掛ける。アフロディは自室へと続く扉の前に立つと、そっと扉を開けた。

 部屋には、丸いテーブルが置かれ、ジャージ姿の南雲と涼野が向かい合うように座っていた。初めは話し込んでいる様子だったが、アフロディと蓮の存在に気がつくと、顔をあげ、同時に口角をあげた。

「よお、寝坊助」

「今日は起きていたか」

 南雲と涼野がからかう調子で挨拶したが、

「……おはよう」

 蓮は沈んだ声で挨拶を返しただけだった。二人に食って掛かる元気がないあたり、かなり気が滅入っているようだ。
 南雲と涼野は互いにみあって頷き合うと、蓮に顔を向ける。

「ま、いいから座れよ」

 南雲が左にずれ、元々自分が座っていた空間を示しながら言った。蓮は躊躇するように一歩下がった。顔に怯えの色が現れている。

 誕生日を祝われるのでは、と蓮の第六感が蓮に語りかける。その瞬間、記憶が波となって押し寄せてきた。遠ざかる生みの両親の姿。最期、悲しげに歪んでいた両親の顔。そして、耳の奥で待っていたように母の今際(いまわ)の言葉が今更蘇ってきた。

――蓮、あなただけは幸せになって

 母の言葉を聞きたくなくて。蓮は、自分の耳を両手で塞ぎ、しゃがみこんだ。
 ねえ母さん。僕は生きていて、本当に良かったのかな? 人間は結局ひとりぼっちなんだ。僕の周りには、誰もいないよ……