イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



番外編(五)



 しかし矢庭に、幼い南雲と涼野は、顔を綻ばせた。それを見た幼い蓮は、黒い瞳をまだ涙で濡らしながら、柔らかい笑みを浮かべる二人を、戸惑いがちに見る。
 怯える小動物のように身体を少し丸め、身体を少し震わせている様子は、完全に気弱な性質の哀れだった。
 そもそも幼い蓮が泣きじゃくっているのも、南雲と涼野と喧嘩したのもあるが、本来の理由は瞳子にこっぴどく叱られたからである。
 お日様園に戻った蓮は、すぐさま瞳子に捕まり、相当長い時間お説教された。悪いのは蓮だけではないが、瞳子はとりあえず蓮を怒ったのだろう。
 当時の瞳子は、お日様園の子供にとって頼れる姉であると同時に、恐怖の魔王のような存在だった。魔王に叱られれば、抵抗できないほど蓮は気が弱い。つまりは一方的に瞳子が怒鳴り、幼い蓮は頭を下げる一方と言う構図に必然的になるわけだ。最後には、晴矢と風介に謝ってきなさい、と命令され、泣く泣く外に二人を探しに出た。
 ものの、二人は見つからず途方に暮れ、ああして大泣きしていたと言う事実があった。
 あまりにも小さな自分が情けなさすぎて、恐ろしい現実を拒みたくて、蓮はすさまじいレベルの精神的ダメージを受けていた。
 思考の回路は完全にシャットダウンされ、口をあんぐりと開けたまま、彫像のように凍りついている。何も感じず、何も聞こえていないようだ。目の前で三人の仲直りが進んでいると言うのに、声もかけない。

「なくな、れん」

 怯える幼い蓮の肩に、幼い涼野が小さな手を置き、見据えた。
 その顔に悲しみや怒りの色はなく、いつものような無表情。しかし、口角が僅かに上がっている。
 幼い涼野の横では、幼い南雲が白い歯を見せて笑い、

「おとこがなくなんて、なさけないぞ」

 茶化すように言って、ひとさし指で幼い蓮の頬をつっついた。二人の穏やかな態度に、幼い蓮は若干困ったような顔を作る。
 が、すぐに幼い蓮は服の袖で涙を拭うと、ぷーっと左右の頬を膨らませ、不機嫌そうな声で幼い南雲に言い返す。

「ないてないもん」

 すると幼い南雲は意地の悪い笑みを作り、幼い蓮を指差して、嘲笑う。

「ほんとおまえって、おんなのこみたいだな!」
「ぼくはおとこだもんっ!」

 幼い蓮は、怒って両腕を上げながら、高い声で叫ぶ。その声音に恐怖を与えられるような凄みはなく、むしろ可愛く思える――子犬が大型犬に吠えるようなものだった。
 その態度を幼い南雲は楽しんでいるらしい。幼い蓮を挑発するような台詞を吐いて逃げ出した。負けず嫌いな幼い蓮はすぐさま挑発に乗り、幼い南雲の後を追いかける。固まっている蓮の回りを時計回りで走り回り、追いかけっこをする。
 その様子を幼い涼野は、冷ややかな視線で見送っていた。

「はるやー! まてー!」
「やーだな!」

 幼い蓮が待てと愛くるしい声を張り上げながら追いかけ、幼い南雲は楽しそうに振り向きながら、べーと舌を出す。悔しがる幼い蓮が一層大きな声を出す。
 小さい二人の間で飛び交うはしゃぎ声や笑いあう声は、先ほどまでの喧嘩が嘘のように思わせるものだ。
 それを傍観していて、追いかけっこに参加したくなったのだろう。今までぼうと突っ立っていた、幼い涼野が急に走り出す。
 幼い南雲の前に立ち塞がり、進路をふさいだ。進路を塞がれた幼い南雲は立ち尽くし、後ろから追いかけてきた幼い蓮が彼の背中を叩いた。

「やったー! ぼくのかちだぁ!」

 幼い蓮は嬉しそうにぴょんぴょんとジャンプする。馬鹿にされたことが悔しくて追いかけていたはずなのに、いつのまにか鬼ごっこになっていたらしい。
 勝者の幼い蓮ははしゃいで幼い涼野に駆け寄り、敗者の幼い南雲は嫌そうな顔で幼い涼野に噛み付く。

「ふうすけ! おまえのせいでれんにまけたじゃねーか!」
「きみが、れんをからかうからいけないのだ」

 幼い涼野は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。すると幼い三人はますますうるさくなる。笑い声や怒鳴り声がどんどん大きくなる。

「ん」
「れん、ずるいぞ!」
「はるやがわるいんだよ!」

 三人がはしゃぐ声で、蓮はようやく我に返った。
 何が起こったのかわからないらしく、目を瞬かせる。意識に再起動がかかった頃、幼い自分が、幼い南雲と軽くもめている光景を目の当たりにし、仲直りしたらしいことを悟る。

「あ、仲直りできたんだ」

 蓮がポツリと言葉を漏らすと、幼い三人は一斉に顔を上げる。
 今まで蓮がいることに気づかなかったらしい幼い蓮は、強張った顔で成長した蓮を見上げた。
 この頃の蓮は人見知りが激しく、初対面の人間には警戒気味な態度を取る。慣れれば嘘のように傍若無人に振舞うのだが。
 見上げた自分の弱気な態度にすっかりなれてしまった蓮は、“流す”と言う技術を身につけた。目眩を起こすことなく、幼い三人の目線に合わせるようかがむ。
 幼い南雲がサッカーボールを捨てたらしく、足元にサッカーボールが転がっているのに気づき、拾った。
 
「よかった。ついてきた甲斐(かい)があったよ」

 蓮が微笑むと、幼い南雲は胸を張り、幼い涼野と幼い蓮の肩に親しげに腕を回し、抱き込むように自分の近くに引き寄せる。幼い涼野も幼い蓮も驚いたように瞠目し、幼い南雲にされるがままになっていた。

「あったりめーだろ! ふうすけとれんがいないとサッカーたのしくないんだよ」

 幼い南雲が断言し、幼い涼野が得意げな顔をした。

「わたしたちはさいきょうなのだ」
「はるやもふうすけもだいすき!」

 幼い蓮が嬉々とした表情で言う。それから不思議そうな目で蓮を見やる。

「ところで、おにいちゃんだぁれ?」
「やまだ たろうおにいちゃん。うちゅうじんらしいぞ」

 蓮が改めて自己紹介しようとする前に、幼い涼野が紹介してくれた。が、余計な一言がくっついている。 それを聞いた幼い蓮は、うちゅうじん!? と幽霊でも見たかのような顔で、また身体をわなわなと震わせながら蓮を見上げる。どうも本気にしているようだ。

「は、はるやとふうすけ、たべちゃだめだよ!」
「いやね、僕は瞳子さんの友達だよ。生物学的にも人間だから」

 蓮が苦笑いを零しながら話すと、幼い蓮は安心したように笑顔を見せる。

「そっか! たろうおにいちゃんは、ねえさんのおともだちなんだね!」
「う、うん」

 蓮は戸惑いがちに頷いた。
 “太郎”と呼ばれるのは何やら複雑で、せっかくなら“蓮”お兄さんと呼ばれたかったなぁと内心後悔する。と、その時蓮はあることが気になった。


  ***


「ねえ三人とも、一つ聞いていいかな?」
「あんだよ」
「なんだ?」
「なあに?」
「将来の夢ってある?」

 考えてみると、幼い頃の南雲や涼野、自分の夢は覚えていない。思い出したいが無理だ。
 幼稚園の文集は、義父母が謝って古紙回収に出してしまったせいで、もう手元には残っていないからだ。 南雲や涼野は持っていそうだが、こいつらはよく蓮の恥ずかしい過去をほじくりかえしては、からかうのが好きなので、蓮は聞きたくないのだった。
 この質問をする主な理由に、実は半分はからかってくる南雲や涼野への復讐の意図もある。こんなこと言ってたよなぁ、とたまにはあの二人を馬鹿にしたいものなのだ。蓮は二人が子供らしいへんなことを言うのを期待していた。
 幼い南雲は、二人から腕をはずした。三人は互いに顔を見合うと、まずは幼い南雲が口を開いた。自身満々に蓮に話す。

「おれはふうすけとれんといっしょにサッカーやるんだ!」
「おお、仲がいいんだね」

 褒めるような口先だが、内心では幼い南雲がしごくまっとうなことを言ったのを残念に思っていた。
 続いて蓮が幼い涼野に目配せすると、幼い涼野はしばし考えるように視線を宙に送ってから、蓮を見上げる。

「わたしか? わたしはやきゅうせんしゅになる」
「なんで?」
 
 蓮は涼野をからかうネタが出来たと喜びながら、一応尋ねる。
 すると幼い涼野は刺すような視線を、幼い南雲と蓮へ順々に送って、不平そうな顔で蓮に目を合わせる。

「はるやとれんにまねされるのがいやなのだ。わたしだって、サッカーせんしゅがいい」

 どうやら三人と同じになるのが嫌で無理して夢をねじ曲げているらしい。無理に意地を張っている涼野が可愛いく思えて、蓮は優しく声をかける。

「無理する必要はないよ。三人でサッカー選手になればいいだろ?」
「…………」

 幼い涼野が冷たい表情で――目を少し吊り上げながら、蓮を睨む。
 蓮は小さく笑い声を立て、さっきの南雲のように幼い涼野の頬を人差し指でつっついた。ぷにぷにしていて柔らかい感触がする。幼い涼野は嫌そうに顔をしかめるが大人しくしている。

「いじっぱりだね~風介くん」
「うるさい」
 
 茶化すように蓮が人差し指で何度か頬をつっつくと、幼い涼野は機嫌が悪そうな低い声を出した。
 これ以上いたずらをするとどんなことになるのかわからない覇気を纏っているので、蓮は残念そうに幼い涼野をつつくのを止め、幼い自分の方に顔を向ける。 こうして中学生になり、小さい自分と会うのは、何だか懐かしい。蓮は懐かしむように自然と目元を緩くした。一方幼い自分は無邪気に、

「たろうおにいちゃん! ぼくはね~、はるやとふうすけにまもってもらえる、りっぱなおとこになるんだ!」
「は?」

 耳を疑うような言葉を実に嬉しそうに話してくれた。蓮は間の抜けた声を出し、手の力が自然に抜けた。サッカーボールを独りでに落としてしまった。サッカーボールが地面で数回虚しい音を立てて跳ねる。 ボールへの反応が早いのだろう――幼い蓮はすぐにボールの方へ走り、ボールを両手で抱え、蓮に差し出した。

「おにいちゃん! ボールおとしたよ!」
「あ、ありがとう……」

 蓮はどうにか言葉を吐き出しながら、立ち上がり、幼い蓮からボールを受け取った。
 それから改めて幼い蓮と同じ目線までしゃがみ、必死に平静を装いながら尋ねる。

「あ、あのね蓮くん……ど、どうしてそんな夢があるのかな?」

 幼い蓮は小首をかしげ、さも当然そうに、

「だって、まえにひとみこねえさんいってたよ! れんはよわいから、ふたりにまもってもらいなさいって!」
「……そっか」

 蓮は目眩を起こしそうにながらも、ふらふらと立ち上がった。
 恐らく瞳子がふざけて言ったのをまともに受けているのだろう。子供だから仕方ないと説得する考えが浮かぶと同時に少しは疑えよ、と思う相反する気持ちが心の中で衝突しあう。どちらが自分の本当の思いなのか、蓮にはわからなかった。

「そ、そろそろ帰ろうかな」

 もうこれ以上いると精神がどうにかなりそうなので、蓮は現実から逃避するように幼い南雲たちに背を向けた。
 すぐにえー! と三人は非難の声を上げる。

「たろうおにいちゃん、もうかえるのか?」と、名残惜しそうな目で幼い涼野が、
「もっとあそぼーぜ!」と、遊び足りない様子の幼い南雲が、
「なにかごようじなの?」と、必死そうな目で幼い蓮が、それぞれ今の蓮の背中に声をかける。しかし蓮は、残念そうに振り向きながら片手を挙げる。

「これから用事があるしさ、かえ……ああっ」

 “帰る”と言いかけ、蓮は絶望的な声を出す。

「僕……どうやって帰ればいいんだ!?」

 蓮は真っ青な顔になり、頭を抱える。目金に過去に来る方法は聞いていても、未来、正しくは蓮が今現在生きている時間にどう帰ればいいかは、全く聞いていなかったからだ。
 帰れない、突きつけられた現実が蓮の頭の中で何度もぐるぐるしていた。