イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第五章 希望と絶望(十)



To the dark and light(アフロディたちサイド?)

 練習も終り、夕食が終わった韓国宿舎の食堂。食べ終わった配膳をカウンターに戻し終わった蓮は、ガラスのコップを掴んだままの姿勢で、たまたまカレンダーに目が行った。
 試合・練習の予定などをキャプテンであるチャンスウがまめに書き込んでいるもの。今日は三月二十三日、練習試合と称して小さい子供のチームと戦ったわけだ。その予定もきっちりと書き込んである。蓮は何気なく、まだ何も書かれていない次の週へと視線を向け、”ある日付け”で目が止まった。”ある日付け”を凝視し、黒い瞳が衝撃を受けたように開かれ、揺れている。弾みにガラスコップから手を離してしまった。
 蓮の手から落ちたガラスコップは、盛大な音共に砕け散る。その音に、雑談をしていたり、食事途中だったファイアードラゴンの選手たちが一斉に振り向いた。ガラスの細かい破片が、蛍光灯の光を受けて煌いていた。

「蓮? どうしたんだい?」

 座っていたアフロディが心配そうな表情で蓮に駆け寄る。
 蓮は血の気のうせた顔で、顔中に冷や汗をかいていた。わなわなと唇を震わせていたが、アフロディの声で我に返ったらしい。はっとした顔で辺りを見やると、チャンスゥたちがアフロディ同様心配そうな表情で眺めていた。

「……ごめん。ぼうっとしていたみたいだ」

 慌てて作り笑顔をすると、部屋を飛び出て、箒とちりとりを持ってくる。そして、床に落ちたガラスの破片を箒でちりとりに入れた。気を利かせたアフロディが古い新聞を蓮に差出し、それにガラスの破片を包み終えると、

「今日は疲れた。もう寝させてもらう」

 沈んだ声で、箒とちりとりを手にふらふらと部屋から出て行く。まるで幽霊のような後姿にチャンスゥたちは不安に駆られた。その直後、南雲と涼野がすくっと立ち上がり、蓮の後を追うように部屋を出て行く。
 アフロディは考え込むように顎に手を当てると、蓮が見ていたカレンダーの前に立った。それから蓮が凝視していた日付を、睨むように見る。『三月三十日』。今日から一週間後だ。

「この日に何かありそうだな」

「南雲や涼野に尋ねてみたらどうです? 彼ら、幼馴染なんでしょう?」

 チャンスゥの助言に従い、アフロディは南雲と涼野が戻ってくるのを待った。
 夕食を食べ終り、次々と選手が引き上げていく。とうとう残っているのがアフロディとチャンスゥのみになった位に、ようやく二人は戻ってきた。二人にしては珍しく沈痛な面持ちをし、椅子へ倒れこむように座る。アフロディは向かいに座ると、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。
 
「南雲、涼野、蓮は元気かい? どうして落ち込んでいるんだ? 蓮は明日以降大丈夫そうかい?」

「待てアフロディ。順番に話をさせろ」

 涼野が嘆息しながら、アフロディがなおも言葉を連ねようとするのを制止させる。アフロディが口を閉ざしたのを確認すると、南雲が訥々(とつとつ)と語り始めた。

「なんっつーか。蓮は完全に塞ぎこんでいる。まあ、明日になれば元気になるとは思うが、三十日までは時々ぼうっとする可能性があるな」

「どうしてだい? 三十日に何かあるのかい?」

 アフロディの質問に南雲と涼野は、お互いの意志を窺うように互顔を見合った。が、すぐに涼野が重い口を開く。

「……三月三十日は蓮の誕生日だ」

「え?」

 アフロディはきょとんとする。
 誕生日といえば、誰もが喜ぶ行事だからだ。ファイアードラゴンのメンバーも祝われるたびに喜んでいたし、そこにいる南雲や涼野、チャンスゥもチームメイトに祝われるたび、破顔一笑していた。

「誕生日なら祝ってあげるべきだろう?」

「祝えば、蓮は落ち込むぞ。『誕生日おめでとう』の一言ほど、あいつを傷つける言葉はないぜ」

 南雲がたしなめる様に言って、アフロディは蓮の顔を脳裏に思い浮かべる。愛くるしい笑みを浮かべ、ピッチを駆け回る姿。いつも元気な彼がどうして誕生日を憎んでいるのか、理解できない。

「……確か生みのご両親が身投げをしていましたよね」

 確認するようにチャンスゥが呟き、アフロディは南雲と涼野の顔を反射的に見た。南雲と涼野は、よく観察しないとわからない程小さく頷く。

「そのせいか、蓮は誕生日を嫌っているようだ。『両親を死なせて置いて、誕生日を祝われる資格などない』と先ほど呟いていたよ」

 悲しげに涼野が呟いて、アフロディは否定した。

「それは間違っているよ」

 涼野と南雲が驚いた面持ちでアフロディを見据える。

「誕生日はその人が”生まれてきたこと”を、誰かに祝福される最も美しい日だ。祝われる資格がない人間などいない。生きているのは、神に愛されているから、だ。だからな、そのことを蓮に教えるべきだ」

 アフロディはそこまで言い切ると、南雲と涼野の顔を交互に眺め、明確な意思を宿した強い瞳で二人に問いかけた。

「南雲も涼野も蓮の誕生日を共に祝いたいだろう?」

 涼野も南雲も僅かに口角を上げる。涼野は南雲を試すような視線を向け、

「可能なら祝ってやりたいな。そうだろう晴矢?」

「んな当たり前のことをいちいち聞くな、風介」

 南雲はかなりつっけんどんに返す。
 いつもならこのまま口喧嘩に入るところだが、蓮のために頑張りたいという根本的な思いが同じであるためか、口げんかはしなかった。そこへ今まで黙っていたチャンスゥが口を挟む。

「しかし、どうするのです? 白鳥のトラウマはかなり深いようですよ。下手をすれば……」

 チャンスゥの口調は厳しいが、やるならしっかりやれ、中途半端にやるのなら止めろ、と警告するもの。そのことをアフロディは、しっかり察していた。初めから失敗など恐れていない。幼馴染である南雲と涼野に比べれば大したことはできないかもしれないが、蓮に笑ってほしかった。雷門との練習試合の後に初めて見せられてから、蓮の明るい笑みにすっかり魅せられてしまっているのだ。

「これが出来るのは、きっとボクたちだけだ。他の誰にもできないことだよ」

 アフロディは力強い声で断言した。南雲や涼野も自然と力強く頷いていた。


  ***


 自室へ引き上げて行った蓮を追いかけ、南雲と涼野は、食堂を飛び出た。

 二階に上がり、蓮の部屋前に来ると、扉は開け放たれていた。南雲程大雑把でない蓮は、マメに扉を閉めるはずだ。南雲と涼野は嫌な予感に駆られた。
 そのまま、部屋に足を踏み入れると、蓮は案の定、ベッドの上でうつ伏せになっていた。額の下で組まれた手を枕がわりにしている。ジャージや、靴下も脱がずそのまま倒れている。蓮の下にある毛布には、皺が寄っていた。

「……蓮、大丈夫か?」

 南雲が静かにドアを閉め、涼野はベッドの縁に腰掛け、気遣うような調子で声をかける。蓮は伏せたまま、顔だけを激しく横に振った。それきり動くことはなかった。
 涼野が対応に困った様で、腕を組む。顔つきも、どこか心配そうに見える。
 そこへ南雲が涼野の横にやって来た。南雲は、うつ伏せの蓮を、憐れむとも小馬鹿にするともつかない視線で眺めた。ややあって、蓮の背中にはっきりとした声音で問いかける。

「蓮。お前、誕生日嫌いだろ?」

 涼野が青緑の瞳を珍しく驚いたように大きく見開き、南雲を見た。その直後、しっかりした肯定の返事が聞こえる。

「ああ、嫌いだ」

 蓮は顔も上げずに返事をよこした。
 頭の中が、自分でも気が狂いそうなほど、様々な感情がごった返しているからだ。きっと今、親友二人の顔を網膜が認識したら、爆弾が爆発するように感情を押さえきれなくなる。
 けれど、この二人だけは、どうしても素の自分を露にしてしまう。心配するような視線を背中に感じ、言葉が喉までせり上がってきた。
 その優しい心は嬉しかったが、頭を支配するマイナスの感情にあっさり吸収されてしまう。だんだん優しい視線を感じるのが苦痛になってきた。蓮は、心内で二人に詫びながら、自虐的に思いを訥々と吐き出した。

「僕は、自分勝手に落ち込んでいるだけ。気にしないで、晴矢、風介。……誕生日は、生まれてきたことを祝う日だよね? 僕は、両親だけを死なせ、生きるためだけに生まれてきた。そんな自分に『生まれてきたことをおめでとう』なんて、祝われる資格なんてないよっ……!」

 独りでに声が震えた。
 晴矢と風介の顔も見ていないのに。誕生日は、生まれたことを祝福される日。両親を死なせ、のうのうと生き残る自分に、祝福される権利はない。誕生日はただ大人になったことを己だけで喜び、祝う必要などない。――自分だけは。
 幸せな、何をもって幸せとするかはわからないが。幸せなその他大勢は祝われてほしい。
 自分の誕生日は嫌なくせに、蓮は人の誕生日を祝うのは大好きだ。相手が喜ぶのが好きと言うのもあるが、幸せな時間を共有することで、自分の『祝ってほしい』気持ちに嘘をついているのだった。

「ごめん。今日は一人にさせてくれ」

 二人がいると、心はざわめくばかり。心のそこから、二人に出ていくよう頼んだ。自分の心情を察してくれたのか、すぐに扉が閉まる音がした。初めて上半身を起こして、降りあおぐと、二人の姿はない。気遣って何も言わずに出ていったに違いない。追究しなかった幼なじみの行為が胸に染みる。
 しかし、所詮(しょせん)は気休めだ。一人だと今度は、孤独感に苛まれる(さいなまれる)。全く人の心は、沈むときは何処まで沈めばきがすむのだろう。
 蓮は嘆息すると、仰向けになり、孤独感に身を委ねる。ふと天井に視線をはわせると、鍋の蓋みたな、 電球を覆うカバーの中に黒い影があった。誤ってカバーの中に入り込み、動けなくなった羽虫の哀れなすがた。蓮は、カバーの中にそっと、寂しげな口調で語りかける。

「僕とおんなじ。生まれる場所を間違えたね」


 死ぬのなら虫にならなければよかったのに。

 僕も悲しむなら、親と共に海のもくずになるべきだったのかな。

 外では、南雲と涼野が僅かにドアを開き、蓮の呟きを聞いていた。

「そんなことはない」

「間違ってたら、オレと風介との出会いも間違いだったのかよ」

 涼野の声ははっきりと蓮の言葉を否定し、南雲の声は怒りで震えていた。大切に思っている人間が二人も居るのに。悩みだすと自分の内部世界にどんどん突っ込んでいくのは、彼の悪い癖だった。