イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第四章 闇からの巣立ち(一)



「イプシロン……」

 デザームの声が消え去った後、円堂が呟いた。
 同時に蓮は身体が一気に軽くなるのを感じる。胸の痛みも、頭のぼうっとする感覚も全てが治まっていた。まるで熱が出た翌日に、一眠りするとだるい気分がなくなっているような――そんな状態がたった数時間で起ったのだ。
 何でだろう、と蓮は誰もいないフィールドを見つめながら思案する。ジェミニストーム、イプシロン。彼らに出会うと己の身体は、確実に痛み出す。彼らの、――デザームは声だけだがからは強い”何か”を、言葉では表現できないエネルギーを感じる。宇宙人だからか、感じたことのない禍々しく邪(よこしま)な力。そういえば同じエイリア学園でも、ライザーシルフからはその力はまったく感じられなかった。それは何故なのか。
 多くの疑問が泡のように浮かんでは消える中、風丸と円堂の肩に置かれた手を、蓮は自分の意思で下ろす。病人だった蓮が急激に回復したことに気づいた二人が、びっくりして見やってくる。

「白鳥! 身体はもう大丈夫なのか?」

 風丸が心配げにたずねてきて、蓮は半ば堂々巡り(どうどうめぐり)になりかかっていた思案をやめた。気分を切り替え、軽く跳ねてみせる。

「ほら! もう大丈夫だ」
「本当だ。すっかりよくなったみたいだな」

 蓮が元気そうにジャンプする光景を見て安心したのか、円堂と風丸の二人は安堵(あんど)の表情を浮かべる。が、風丸が腕組みをし、何かに気がついたような顔をする。

「いつも思うんだが、白鳥はどうしてエイリア学園が来ると苦しみだすんだ?」

 蓮は跳ねるのをやめると、頭の中でしばし考えをめぐらせ、つっかえつっかえに自分の考えを説明する。

「よくわからないけど……えっと、あいつらからは、なんというか……途方もなく強い”エネルギー”を感じるんだ」
「”エネルギー”?」
「その”エネルギー”に身体が反応して――とても強い痛みを感じるんだ」
「それってアレルギーじゃねぇか?」

 そこへひょこり染岡が吹雪を引き連れて、会話へ割り込んでくる。みんなは一斉に染岡と吹雪に視線を向け、蓮が続きを促す。

「染岡くん。アレルギーって?」

 ただ思いついただけなのか、染岡は少し戸惑いがちに頭を掻く。

「なんつーか食べ物アレルギーってあるよな? その食べ物食うと、身体に発疹(ほっしん)や痣が出るってテレビでやってたんだ。つまり、だ。白鳥の身体は、やつらの”エネルギー”に反応して痛むっつーことだろ」

 その仮説に風丸と蓮が同時に、なるほど、と納得する声を漏らした。
 確かにアレルギーという仮説は正しいかもしれない。やつらの邪悪なエネルギーに身体が反応し、痛みが襲い掛かってくるのなら合点が行く。

「やつらのエネルギー体に対するアレルギーか……染岡の言うとおりかもしれないな」

 風丸が言って、蓮がうなずく。だがその瞳は少し沈んでいた。

「でもそれじゃあ、エイリア学園との試合じゃ出番が限られてしまう。このアレルギー克服したいな。今のままじゃお荷物だ……」

 蓮は思わず内心を吐露(とろ)してしまい、慌てて口を両手でふさぐ。辺りをぐるっと見渡すと、やっぱり円堂たちが、驚いたような表情で見つめてきていた。
 チームメイトに、雷門イレブンのみんなに心配をかけたくなくてずっと黙っていた思いが、口をついてでてしまった。バカバカ、と蓮は自分を激しく責め立てる。今ここで心配をかけてしまったら、身体のことでさえ迷惑なのに、チームの負担がなおさら増えることになる。自分ひとりのために、チームに迷惑をかけるのはいやなのだ。蓮は作り笑顔で、

「な、なんでもない! 本当になんでもないって!」

 慌てて両手を振ってみるが無駄だった。
 円堂が、みんなが申し訳なさそうな表情で蓮を見据えてくる。蓮は悲しげな面持ちを浮かべ、円堂たちから逃げるように視線を下にそらした。むきだしのグラウンドの土がそこにあった。

(今の僕と同じだ。むき出しになった土は人に踏まれる。そう土足に踏まれていくんだ……)

「白鳥……おまえ、まだ自分のことをチームのお荷物だと思っていたのか」
「そう」

 円堂の低い問いかけに、もはやこれまでと観念した蓮は、自虐的に笑うと、沈痛な面持ちで仲間たちに順々に目をやる。そして感情が溢れるままに叫ぶ。

「後半しかフィールドに出られないプレイヤーなんて、聞いたことない。僕はいっつも後半しか出てない。たいしたプレイヤーじゃないってわかってる。そんな自分は荷物じゃなきゃなんだって言うんだよッ!」

 蓮の語勢が徐々に強まり、最後には誰もを押し黙らせる勢いがあった。その場に居合わせた四人は、立ち尽くすことしかできない。瞳を細め、各々(おのおの)は蓮に哀れむような視線を送っている。

 いつのまにか瞳が潤み始め、言葉を零すたびに、涙は頬を伝って空中で弾けていった。キラキラと煌く水滴はそれなりに美しかった。まるで自分の奥底に溜めていた気持ちが……水を入れすぎたコップから、水が零れるように、涙に姿を変えて消えていくようだった。現に泣くのに反比例し、気持ちだけはどんどん軽やかになっていくのだ。涙で息が詰まるのも、鼻水がつまって呼吸が困難になるのですら心地よいと感じるほどに。
 こんなに大泣きしたのは、ずいぶん久しぶりだ。心地よいと感じる一方で、泣いてる自分を女々しいと感じる客観的な自分もそこにはいた。
 と、そこに鈍い衝撃がきた。誰かに殴られたのだと気がついたのは、その後のことだった。
 身体が吹き飛ばされる。北海道の冷たい空気が、半袖のユニフォームに容赦なく吹き付けてくる。身体が地面にたたきつけられ、地面に激突した右腕に鋭い痛みが走る。そのまま蓮の身体は勢いで数回転する。空の青と地面の茶色が交互に見えた。やがて空の青が再び見えたところで、身体の回転は止まる。ちょうど右の辺りから、染岡やめろ! と円堂のなだめる声が聞こえる。が、すぐに染岡が、三白眼で自分を見下ろしている光景が目に飛び込んできた。


  ***


(染岡くん……)

 蓮を覗き込む染岡の瞳には、怒気とも憐憫(れんびん)の情ともとれる奇妙な色を宿していた。
 その瞳と目が合うと、蓮はうっと小さく呻いた(うめいた)。殴られた左頬と地面に強打した右腕が針の先でつつかれたようにしくしくと痛み始めた。だが同時に、心もまた痛み始めた。自分はとんでもないことをしたと言う黒い思いが胸の底から湧き出る。わかってはいたが、感情が欲するままに叫び引き起こしてしまったこと。不思議と後悔の念はなかった。
 イライラした時にやけ食いをしたり、人に愚痴ったりするとすっきりするのと根本的に同じだ、と蓮は考えていた。ただ、今回はぶつけられる相手が……サッカーで例えるならGKが着用するグローブなしの選手に、強いシュートを打ちこむようなものだろう。普通そんなことをしたら、相手にもよるが怪我は免れない。きっと思いをぶつけた雷門メンバーは、ねんざの代わりに『嫌悪』と言うものを持つだろう。散々強いシュートを放っておいて、謝りもしないのだから。
 そんなことをうっすらと思案していると、やはり染岡の相貌(そうぼう)が厳しくなった。染岡の瞳にあったのは、怒りの色。嘲笑、侮蔑(ぶべつ)。頭に嫌な単語が駆け抜けて行く。ゆっくりと染岡の口が開いていく。どんな風に嘲笑われるかな、と蓮は自虐的に心の中で笑っていた。――しかし。

「……なんで」

 とても低い声。でもその声はとても震えていた。染岡は蓮から視線をそらし、拳を震わせている。だがすぐに蓮へ視線を戻すと、

「なんでオレたちに相談しなかったんだ!」

 腹の底から出す大きな怒声を、蓮に浴びせかける。あまりのでかさに風圧が生まれ、蓮の前髪が浮いた。
 予想とは違う言葉に蓮は一瞬戸惑うが、疼く(うずく)右腕を擦りながら起き上がった。見るとぶつけた部分には大きな赤紫の痣が現れ、周りには小さな切り傷がかなりあった。周りには小石や砂利が付着している。
 蓮は、不安げな面持ちで染岡を黙って見つめた。次の言葉を待つ。
 苛立ちの表情で染岡は蓮を見つめ返していた。腕組みをし、片方のスパイクの先で地面を叩いている。ややあって、染岡は足の先で地面を叩くのを止めた。

「白鳥。お前大事なことを忘れてるだろ」

 急に飛んできた言葉に蓮はわけがわからず困惑する。
 忘れていることと言っても、思いつくのは幼い頃の記憶がないことのみ。だが、それは今更すぎる。
 蓮は、遠慮がちに染岡に聞き返す。

「えっとな、何を?」

 すると染岡は、呆れたようにため息をついた。

「やっぱりわかってねぇんだな。いいかお前は、今ここで何をするために北海道に立っているんだ?」
「サッカーやるため。仲間を集めて……エイリア学園を倒すためだ」

 蓮の語気はだんだん尻すぼみになった。最後の方は、もはや囁きに近い。答えを聞いた染岡は頷き、さらに問いを重ねてくる。

「そうだな。そのサッカーをやる仲間はどこにいる?」

 何が言いたいのかと思いつつ、蓮は当然のように、

「”ここ”。この白恋中のグラウンド」

 答えた。すると染岡の顔が明るくなる。

「そう、それがお前が忘れているもんだ」

 ますます染岡の意図(いと)を見抜けず、蓮はとうとう頭を抱えて悶え始めた(もだえはじめた)。すると染岡がまあよく聞け、と前置きをした。

「はっきり言うぜ。白鳥は、自分の内に閉じこもっていて、”ここ”――つまり周りが見えなくなってんだよ。お前のこと誰も荷物なんて、思っちゃいねえ。一人で考えることも大事だけどな……お前のアレルギーの問題は、一人じゃ解決できないだろ? ま、円堂に代わるぜ。こーいうのは円堂が得意だからな」