イナズマイレブン~試練の戦い~ しずく ◆snOmi.Vpfo /作



第四章 闇からの巣立ち(六)



 主人格――吹雪は、何が起きたのかわからないといったようにせわしく首を動かし、辺りの様子を見渡していた。蓮も急に”アツヤ”が”士郎”に戻ったことに驚きを隠せず、口をあんぐりと明けて吹雪を見つめることしかできなかった。
 風が生み出す葉擦れの音が蓮と吹雪の間を駆け抜けて行った。身が震えるような冷たい風で蓮は一気に現実に引き戻される。きょろきょろとする吹雪を見つけ、蓮はおそるおそる吹雪に声をかけた。

「ふ、吹雪くん? 吹雪 士郎くんだよね?」

 すると、吹雪は蓮の存在に気づいたらしくはっとした顔で振り返った。濃い緑の瞳には不思議がる色が宿っていたが、すぐに吹雪は何事もなかったかのように温和な笑みを浮かべる。

「そうだよ。何かのギャグかな? 白鳥くんは面白い人だね」

 聞こえた声は澄んでいてよく通る、いつもの吹雪の声だった。さっきまでの”アツヤ”の声は、どすがきいたような低く恐ろしい声だったから、まるで別人のようだ。

(……さっきのこと覚えてないのか。やっぱり吹雪くんは二重人格なんだ)

 心の中で呟き、改めて吹雪をまじまじとみた瞬間――鼻が急にむずむずしはじめ、蓮はそのまま両手で口を覆い、くしゃみをした。同時に身体が小刻みに震え始める。今更ながら、手足の感覚が麻痺していることに気付いた。同時に寒いことに気づいた。
 長居をするつもりはなかったのだが、アツヤのせいですっかり身体が冷え切ってしまったらしい。さっきまで寒いことも気付かないほど、アツヤと対峙することに集中していたせいだろう、と蓮は考えた。そうかもしれないがアツヤにも責任はあるので、内心でアツヤに悪態をつき、鼻をすすった。吹雪が苦笑した。

「そろそろ寒くなってきたね。白鳥くん、長いこと北海道の夜の風に当たっちゃだめだよ。風邪をひいちゃうよ」

 吹雪に諭され、蓮は困ったように笑った。

「北海道をなめてたかな~じゃ、中に戻ろうか」

 梯子を降りると、蓮は吹雪と共にキャラバンの中に戻った。少し肌寒いとはいえ、やはり車の中の方がだいぶ暖かい。蓮の体の震えが止まる。
 円堂たちは眠りに落ちているらしく、静かな寝息があちこちから漏れていた。が、壁山だけは大きないびきをかいていて、隣に眠る栗松が少し寝苦しそうな顔をしている。その光景を見た二人は思わず微笑みあう。

「吹雪くん! また壁山くんいびきかいてる」
「あははは。本当だね」

 チームメイトを起こさないよう、二人は小声で囁いた。だがすぐに吹雪の口から小さな欠伸が漏れた。吹雪の目がまどろみはじめ、今にも閉じてしまいそうだ。蓮は一番前の席にそっと入ると、

「吹雪くん、おやすみ」

 小声で言った。吹雪もまた欠伸を噛み殺しながら、

「おやすみ、白鳥くん」

 眠そうな声で答えると、自分の席に座った。
 様子が気になった蓮はそっと吹雪の席に近づいてみる。吹雪は、染岡に寄り掛かり、両の手を膝の上できちんと組んで寝ている。寄り掛かられた染岡は、明らかに顔をしかめて眠っていた。
 染岡を不憫(ふびん)に思った蓮は、吹雪の身体を横に引っ張って染岡から少し離すと、そのまま座席にもたれかからせた。吹雪は起きるどころか、能天気に穏やかな寝息を立てている。そのリスなんかの小動物を思わせる可愛い寝顔に、蓮はアツヤを思い出した。

(アツヤって誰なんだ――それに僕が、自分で自分の記憶を封じてるってどういう意味なんだよ)

「……アツヤ」

 蓮は独りごつ。しかし、吹雪は眠りに落ちているだけだった。


  ***


 蓮がバスの中で夢の世界に入り始めていた頃、新幹線は東京を出発し、博多へと進んでいた。深夜であるし、時期が時期なので車内はガラガラ。ところどころぽつぽつと座る人々も大人の風貌の人間が多い中――明らかに周りから浮いた人間が二人、隣同士に座っていた。一人はまた私服姿の涼野であったが、横には見慣れない少年がいた。
 年のころは涼野と同じくらいだろう。炎を思わせる横に跳ねた真っ赤な髪。頭の上では何やらチューリップのような形になっている。少しきつめな金色の瞳は自信に満ち溢れたような光を宿し、鋭い観光を宿している。服は両袖部分は白く地の部分は黒いジャンパーの様な上着に、緑がかかった黄色の短パン、藍色のスニーカーを履いている。今は足組みをし、頭の後ろで手を組みながら、不機嫌そうに涼野を見ている。

「涼野 風介、おまえ長い間どこに行ってたんだよ」

 窓に頬杖(ほおづえ)をついて外の景色をボーっと眺めていた涼野は、めんどくさそうに横にめをやった。めをやっただけであった。何事もなかったかのように、再び視線を窓の外に向ける。外は真っ暗で、時折見える街灯の光を除いては何も見えない。

「雷門イレブンを追っていただけだ、南雲 晴矢(なぐも はるや)」

 涼野はめんどくさそうに答えた。横に座る『南雲 晴矢』と呼ばれた人間は露骨に嫌そうな顔を作る。

「それだけのためには、ずいぶんとなげー外出だったよなぁ?」
「キミには関係のないことだ」

 ガラス越しに涼野が嘲笑う表情が見え、南雲の顔はますます強張った。涼野はまだ嘲笑うような表情を浮かべながら、南雲の方に身体を向けた。

「キミこそ、何故私の後をついてくるのだ」

 南雲は苛立ったのか舌打ちをすると、
 
「風介、てめーがオレを京都行きに誘ったから、し・か・た・な・く! 着いてきてやったんだ」

 ”仕方なく”の節々に力を込め、南雲は吐き捨てるような勢いで涼野に噛みついた。金色の瞳でぎっと涼野を睨む。猛獣が見つめるような恐ろしい視線だが、涼野はまったく物怖じしない。鼻で笑うと、冷笑を浮かべた。

「”仕方なく”? 冗談も休み休み言うことだね。キミも私も考えることは同じだろう。京都に行けば、確実に蓮に会える。彼に会いたいからこそ、私に着いてきたのだろう」

 正鵠を射る(せいこくをいる)ことを涼野にずばり指摘され、南雲はばつが悪そうに俯いた。そして悲しげに蓮の名を呟いた。

「……蓮」
「彼とは5年ぶりの邂逅(かいこう)だったが」

 涼野は口元にほほ笑みをつくると、再度窓の外を見やった。また南雲に背を向けた。

「印象はずいぶんと変わった。あれほど私とキミの背に隠れて泣いていた蓮はずいぶんと強くなったぞ。いや、今も泣いていたらおかしいな」

 自分に言い聞かせるかのように涼野は、南雲に語りかけ、自嘲めいた笑みを浮かべた。南雲は顔を上げ、席わきの窓ガラスが映す涼野の表情を黙って睨んでいる。と、急に涼野が少し顔を下げ、しゅんとなった。傍から見てもわかるほど寂しげな面持ち。南雲は目を瞬く。

「だが。あの……愛嬌(あいきょう)のある笑みは、昔と変わらないね」

 何か思うところがあるのだろう、涼野はそれっきり口をつぐんでしまう。憂いに満ちた瞳がガラスを通じて南雲の瞳に飛び込んでくる。正確には涼野は視線をげていて、南雲を見てはいなかったが、嫌でも窓ガラスを見ていれば涼野の瞳は見えてくる。
 南雲もまた口を閉ざしていた。退屈そうに席前の網に手を突っ込んでペットボトルを取り出すと、ごくごくと飲んだ。列車が線路を走る音だけが定期的に聞こえてくる。

「あいつ。なんでオレ達の前から姿を消した」

 ややあって南雲が恨みがましく口を開いた。ペットボトルにふたをし、乱暴に網の中につっこむ。涼野が振り向く。

「また蓮が私たちを裏切ったと言うのか」

 非難するような口調で涼野が尋ね、南雲は目を細め、苛立ち混じりの口調で答えた。

「いなくなるタイミングがよすぎるんだよ。お前が作り話してなきゃ、確かになんかあったのかもしんねーけどよ。……オレは自分の耳で蓮の言葉を聞かない限り、あいつを完全に信じることはできない。それにあいつは雷門イレブンなんだろ?」

「ああ」

「話は変わるが、風介こそ正体がばれたらどうする気なんだよ」

 涼野は考え込むように視線を数秒宙に彷徨わせ、南雲をしっかりと見据える。青緑の瞳に強い意志の様な光が宿っていた。

「そのことなら何度も考えた」

 瞳に宿る光同様、迷いのない声で涼野は続ける。

「正体が判明していまえば私と蓮は今のままではいられないだろう……だが」

 ためらうように涼野は一度言葉を切った。顔に戸惑いの色が出ている。

「だが?」

 南雲がせっつき、涼野は迷いを払った顔で南雲をまっすぐ見つめる。
 
「だがこのまま敵同士でいれば蓮とは必ず会える。それだけで私は幸せなのだ」

「…………」

「5年前のように行方知れずになることもなく、ずっと蓮と会い続けることが出来る。それがどれほど幸福なことかわかるか?」

「わかんねーよ」

 南雲は呆れたように返事をした。涼野がふっと笑う。

「なら、たとえ話をしようではないか。たまたまスーパーで何でもよい、私がある菓子を買うことをためらったとする。欲しい私は翌日再度買いに行く。すると、そのある菓子はスーパーの棚から既になくなっていた、つまりは入荷しなくなっていて、二度と買えなかった――そんな経験は一度や二度、キミにもあるはずだろう」

「……まーな」

「この話と同じだ。菓子を買わない……ためらっていては、私は菓子を二度と買うことが出来ない――つまりは蓮と二度と会うことが出来なくなってしまうと思うのだ。彼がどこに住んでいるかなど私は知らないし、この戦いが終わったら蓮がどこへ行くのかわからない。敵だからと躊躇(ちゅうちょ)していては、彼は名字の通り、渡り鳥のごとく、どこか遠くの地へ――行ってしまう。そんな気がするのだ」


  ***

「バカじゃねーの」

 南雲は呆れたように言うと、だらしなく座席にもたれかかった。考え込むように数秒程視線を宙に彷徨わせてから、目だけを涼野に向ける。涼野は思いつめたような表情で過ぎていく窓の景色を追っていた。声をかけたが返事はなかった。ぼうっとただただ景色を見つめているのだ。
 真っ暗で、せいぜい山の稜線(りょうせん)がかろうじてわかる程度の景色を見て何が楽しいのか南雲には全くわからない。聞いていないだろうと思いつつも、南雲は背を向ける涼野に語りかける。

「蓮は”今”のオレたちにとっちゃ敵だ。敵に情けなんてかけてたら、ジェネシスの座をグランから奪い取れなくなるぞ」

 叱るような口調で南雲が言うと、涼野は僅かに顔を南雲の方へ向けた。悲しげな青緑の瞳で南雲を睨みつけてくる。悲しげな色がいつもの涼野らしい嘲笑のそれへと変わって行く。

「なら晴矢、今すぐプロミネンスを率いて雷門を潰してくるといい。果たしてキミに蓮を倒すことが出来るかな?」

 ふふと涼野が不敵な笑みを浮かべながら尋ねると、南雲はバネではじかれたように立ち上がった。焦りと戸惑いが混ぜったような表情になっている。

「れ、蓮がいようと! オレは……オレは……」

 言葉は尻すぼまりになり、南雲はとうとう口ごもってしまった。涼野はまた窓の向こうを見ていた。だがガラス越しに、やっぱりそうだと言わんばかりの得意げな笑みを浮かべているのが目に入り、

「くっそ!」

 何故だか馬鹿にされたような感覚を覚え腹立たしくなった。南雲は、乱暴にも前の座席を蹴りつけた。幸い前には誰も座っていなかったので、靴越しに空しく座席が揺れる振動が伝わってくるだけである。南雲は空虚感を覚え、独りでにため息を漏らした。

「……人の絆と言うものは」

 不意に涼野が口を開き、南雲は涼野に視線をやる。相変わらず自分に背を向けているが、南雲は黙って言葉の続きを待った。
 涼野はちらっと流し目に南雲見ると、ガラスに手を当てながら目を伏せた。

「実にやっかいなものだ。時にこうして我々の手枷(てかせ)、足枷(あしかせ)となるからな」

 蓮の存在がどれだけ涼野にとって大きいかが、言外に匂わす。どうして蓮にここまでこだわるのかわからない。確かに昔はとても仲の良い友人だった。幼い頃に共に遊んだ遠い記憶は南雲も鮮明に思い出せる。
 
 例えばある日住宅街で蓮と三人で走っていたら、蓮だけがずっこけて。男のくせに泣いて。仕方がないから自分と風介が立ち止まってかえるぞ、と言って手を伸ばすと、笑みを見せてくれる。見るものを和ませる不思議な笑み。そしてはるやー! ふうすけー! と自分の名前を呼びながら、嘘のように元気になった。立ちあがってこちらに駆けて来た。

 でも今は違うのだ。どんなに名前を呼んでも、蓮は来ない。いや、名前を呼ぶことすら本来なら許されないのだから。
 言うか言うまいか悩んだが、南雲は覚悟を決めて、

「風介、だったら今のうちにその”絆”を立ち切っちまえばどうだ? どうせいつかは正体ばれるんだ。早いうちの方がお前のためになるだろ?」

 多分涼野は激怒するだろう、と南雲は思っていた。自分が蓮が裏切ったと口にするたび不愉快そうな顔をするから、きっとそうだろうと考えていた。しかし、思った以上に涼野は冷静だった。
 ガラスから手を離し、伏せていた目を上げると、振り向いて南雲を見、静かに首を振る。

「断わるね。確かに、いつかは蓮に私の正体を知られる日が来るだろう。しかし、だ。私は彼とこうして仲良くすることを覚えてしまった。蓮は、”ジェネシス”の称号よりも遥かに価値のあるものだ。関係が崩れる日までせいぜい楽しませてもらうよ」

 涼野は力強く言い切った。語勢から、誰に何と言われようとも自分は蓮と付き合うことを止めないと言う意志の強さがしっかり伝わってくる。南雲はわかっていたとはいえ、言葉が出てこなかった。
 言葉事態は喉元まで迫上がってきているが、呆れの方が先行してなかなか口に出すことが出来なかったのだ。数秒無言の時間を要し、電車が線路を走る音だけがまた二人の間を通り抜けていく。
 ややあって、南雲は幽霊でも見たかのような面持ちでようやく言葉を発した。

「風介、一応聞いてやるが頭は大丈夫か?」

 呆れを通り越した戸惑いの声で南雲が尋ねると、涼野はふっと柔らかい笑みを見せた。

「私はいつもと変わらないつもりだ」
「……ビョーキだな、お前」

 南雲はうんざりしながら呟いた。

「ああ。私はビョーキだよ」

 涼野は自虐気味に呟いた。
 二人の間に静寂が戻り、南雲が欠伸をした。ぶっきらぼうにオレはもう寝る。おやすみと言った。涼野もそっけなくおやすみと返した。
 南雲は涼野に背を向けるように座席に寄り掛かると、身体を少し丸くし、そのまま目を閉じた。五秒後には彼の口から穏やかな寝息が洩れていた。心地よい電車の縦揺れが南雲の眠気を催したのだろう。
 穏やかな南雲の寝顔を見つめていた涼野は、顔をほころばせた。今までの悲しげなものではなく、優しく見守るような慈愛に満ちたものだった。

「……明日は早いぞ、晴矢」

 南雲の寝息が口から洩れる。答えはなかった。満足したように涼野は小さく笑い声を立てると、窓辺につっぷした。額に窓ガラスを当てると、ひんやりとした感触と電車の振動が伝わってくる。これでは眠れない。窓ガラスから少し手前につっぷすと、涼野もまた夢の世界に落ちて行った。