【色々】世界でひとり、恋をしよう?【短編】

作者/ささめ ◆rOs2KSq2QU

貴方に咲く――――


 もう、やめてください。
 傷つくのは、もう嫌だから。貴方が苦しむ姿なんて、貴方が泣きそうで、寂しそうな後姿を見るのは、もう嫌だから。

 「…………もう……やめてください……本城(ほんじょう)さん……」

 沈黙。先程から彼女は、一言も声を発さずに、私のこんな泣き言に耳を傾けている。いや、もしかして呆れているのかもしれない。この弱い私に。

 「……っ嫌なんです……貴方が壊れていくのを……ただ黙って見てるのは……嫌なんです……」
 
 ――――土砂降りの中、微かな嗚咽と共に、言葉は雨の雫と共に非常にも地面に叩きつけられる。抱きしめている本城さんの身体も、制服も、しっとりと水分を含み、冷たい。まるで、本城さんの今の心のように。

 「本城さん……私は……千早家が――――貴方と共に暮らしたあの家が無事なら、それで良いのです……だから、本城さん…………そんな恐いお顔をせずに……どうか、どうか―――私の嫁入りを見守っていてくださ――――」
 「……ふざけないでください」

 諭すように話しかけていた私の言葉に無理矢理被せるようにして、本城さんの怒気を孕んだ声が重なる。やっと、反応してくださった。少しだけ、心中で安心感を得る。

 「あんな横暴な取引を持ちかけられて……しかも、向こうはこの家の証文だけでなく――――百合(ゆり)様も嫁に出せ、なんて…………! あの、汚い狐共……! ……今、この私めが我が命に代えても滅して参ります故……百合様……どうか御放しください……!」
 「駄目――――駄目ですよ、そんなの」

 本城さんの、水滴に塗れた端整な顔立ちが、怒りで彩られる。それは、私が行かなければならないという怒りであって、私が諦めてしまうのが嫌だという風な怒りでもあって。……少し、嬉しかった。

 「本城さん。私は大好きなんです……この家が、千早家が。だから、守りたいんですよ……貴方も、この私の―――私たちが今まで生きてきた、この全てを」

 だから、受け止めてください。
 この辛い現実を。あの幸せだった過去を。
 
 「……そんな……嫌、ですよ、私は……」

 振り向いた本城さんのお顔は、絶望一色であった。灰色の雨が、軍服を着た本城さんと、嫁入りの為の着物を着ている私に、容赦無く打ち付ける。もう決断したのだと、本城さんは悟ったのか――――泣きそうな、今にもタヒんでしまいそうなぐらい辛そうな、痛そうな表情で叫んだ。

 「だからと言って……自分を犠牲にするのですか……貴方は! ……嫌だ……私は嫌です、そんなの! 貴方が居ない場所なんて、私には生きてる価値がないのです、百合様! なのに、なのに―――また私に、生きる意味を無くせと! そうおっしゃるのですか、百合様!」

 嗚呼、嗚呼、引き止めないでくださいな。
 そんな、泣きそうなお顔をしないでください。
 そんな表情をされたら、私は戻りたくなるではないですか。そんな言葉をかけられたら、私は歩いてゆけなくなるではありませんか。

 「……本城さん。私は貴方のことを知っているのです、誰よりも。……貴方が祖父の単なる残酷な遊びにより、最愛の父上を手にかけたことも。……千早家に敵対するグループの1人に、貴方の婚約者が居た時に、丁度千早家からそのグループを虐.殺せよという任務が下された時も――――あなたは、泣こうとは、弱みを見せようとは致しませんでしたね? 本城さん」

 図星だったのか、閉口する本城さん。ポニーテイルにした黒髪からは、雫がぽたぽたと垂れ落ちている。

 「だけど私は知っているのです。貴方が父親を葬った晩、父親が好きだった桔梗の花を飾っていた後姿が―――――少し、肩が震えていたこと。……婚約者や他の友人を潰した後に、貴方が何度も自分の身体をその愛刀で傷つけていたこと。貴方はそうやって、自分の罪や恐ろしさ、無慈悲さに耐え切れなくなったのに――――それなのに貴方は、千早家に背くようなことは致しませんでしたね」

 ―――――だから、だから。
 どうか。どうかこれからは。

 「…………だから、これからはせめて……自分の人生をお歩みしてくださいな……私の鎖は、貴方には重く、辛すぎたようです……それなら、今……その鎖を解き放つ時でございましょう?」

 さあ、解き放ちましょう。
 この、勇敢で、気高き蝶を。
 
 ……初めて間近で見る、本城さんの本当に、辛そうで、泣きそうな顔。
 嗚呼、こんな想いにさせる筈は無かったのに――――最後に泣かしてしまいましね、と微笑む私。この胸の痛みは、きっと雨のせいだから。貴方に降りかかっていた雨を、自分の手で払ったせいだと思うから。
 
 だから、貴方は貴方のままで。


 「―――――さよなら、本城さん」




 (貴方に咲く菩提樹は、もう枯れてくれた?)