【色々】世界でひとり、恋をしよう?【短編】
作者/ささめ ◆rOs2KSq2QU

届かぬ神様に手を伸ばして
「神様なんて、居ないんだよ」
からからに渇いた喉から搾り出されたそれは、砂をすりつぶすような声だった。薄いレモン色の髪を弄びながら、緩くこいつの体を両手で包む。体中がこいつの体温で静かな温かさを保ち、まどろみを与えてくる。こいつを抱きしめている俺は幸せなんだろうが、だけどこいつの方はそうでもないんだろう。砂漠に水を求めるような、無意味な言葉を虚空に投げかけていた。
「神様に手を伸ばそうとしたから、僕は裁かれたんだ」
「……だから、お前はまだこんなとこにいるのかよ」
「違うよ」
こいつが羽をへし折られたことを、俺は知らない。こいつが何に救いを求めているのかも知らない。
「裁かれてすら、いないんだ」
だから、こいつの言葉の理解なんて出来なかった訳だ。
■届かぬ神様に手を伸ばして
嫉妬と君と何とやら
柔らかい白に残った青紫は、なかなか消えそうにない。たぶん、元の白には戻らない。少しだけくすんだ色となって白へと治るのだろう。彼女の綺麗なわき腹に残った痣に湿布を貼りながら、そう思った。「痛ェよ」と爪先で額をはじかれる。少しびっくりして、彼女から遠のいた。
■嫉妬と君と何とやら
「……神田、痛いんだけど」
「こっちの傷の方が痛ェ、ほらリナリー、さっさと次」
「はいはい」
溜め息交じりに、また新しい包帯へと手を伸ばす。医務室だというのに医者や看護婦は全くいない。また新しい戦争へと駆り出されたんだろうか。胸がぎゅっと苦しくなる。今、俺の目の前には――精神的にも、肉体的にも――苦しいものしかない。最悪とか、そういう生易しい言葉では表せない。もう一度、はあと二酸化炭素を吐き出した。
「何で俺は、他の男が残した傷を手当てしなくちゃならないんだ……」
「お前だったら、裸見られようが襲われようが別に何ともねェからな」
あ、また心に棘が刺さった。ちくちくとした痛みが体中に広がる。
当然を口にする彼女は、俺の前で下着姿だった。補足だけど、変な意味じゃない。彼女が他の男と性行為をする時につけられた傷を、俺が手当しているから、ってこと。毎度のことだ、といったら聞いた皆は嫌悪をみせるだろうけど。だけど俺にとってはいつものことだから、心の片隅にあるのは苦い彼女への恋心と、微かな嫉妬のみ。彼女も俺が自分を好きなことを知っているから、平気で誘うような行動に出る。
「…………なぁ、リナリー」
「何」
黒髪を揺らして、彼女がこちらに背を向けた。細く美しい背中には真っ白な包帯が巻かれていて、禁欲的な雰囲気が漂っている。彼女は平坦な口調で言った。
「私に嫉妬、してるか?」
「……………………さぁ」
イエスか、ノーか。俺にもわからない。
我慢性な僕と無自覚の君
――君のことが好きだよなんて、言えるはずがない。
唇を尖らせている君の隣で曖昧に微笑みながらそう思った。
そもそも君には可愛い彼女がいるじゃないですか。桃色の長い髪をツインテールにした、甘え上手でちょっぴり気が強いあの子が。僕もあの子のこと好きですよ。恋愛的な意味じゃありませんけど。
「なあ柳くん柳くん」
「何ですか?」
「この本、ウチにあったんだが……読むか?」
「あ、有難う御座います。貸してもらっても良いですか?」
「もちろん」
僕、あの子のことも好きですし。それにあの子のことが好きな君が好きなんです。……なんて。ただ2人に嫌われたくないから、この素敵な関係を壊したくないだけなんですけどね。
きっと、これは僕だけの感情で良いはずですから。
だからずっとずっと、黙っておきます。
■我慢性な僕と無自覚の君
(ねえ、君の心をちょっぴり欲しいなんて思っても良いですか)
くらくら堕ちて転がって(気持ちの悪い眩暈がするの!)
床に転がされた時に、由良が密やかに笑っていた気がした。その笑いが何かを悟ったような表情に思えたから、俺は半分脱ぎかけた衣服もそのままに彼の頬に手を添えて訊いたのだ。
「……何、何か可笑しいことでもあんのかよ?」
くつくつと笑いを噛み殺す由良の瞳は、せわしなくぐるぐると辺りを見渡していた。俺が目の前にいるだろなんて女々しい言葉は吐かないけど。けどやっぱ、これから抱く相手が目の前にいるっつーのに周囲を気にしてるのは何か頂けないなとか思った。だから余計にむっとした。
「何だよ、何か可笑しいことあんなら言えっつーの」
「…………くっはははは、ははあぁ、ははああ、っはああはは」
はを長く言い続けた音をぶつ切りにしたような、違和感を感じる笑い声が広い工芸室に響いた。夜だから誰も来ないとはいえど、やっぱり抱かれるこっちとしてはひやひやする。俺は唇に人差し指を宛がい黙れという意味で由良に警告したのだが――由良はやはりくつくつと笑い、それに答えてみせた。
「ねえ、ハルさん。ねえ、分かりますか?」
「……何が」
「俺、今からハルさん抱こうとしてんのに。ハルさんのこと滅茶苦茶にしちゃおうとか考えてんのに――」
――気持ち悪い、です。
その言葉に俺の時が止まったなんていうまでもない。そして俺の腹に思い切りチェンソーを突き刺したような痛みが襲ってきたこともいうまでもないだろう。イコール傷ついた。はい簡単な数式。
びっくりしている俺を尻目に、由良はかくんと力が抜けたように膝を折って膝立ちの姿勢になった。彼の端整な顔立ちが、無造作に伸ばされた前髪の間からちらちらと覗く。虚ろな瞳は、焦ったようにぎゅるぎゅるといない誰かを追っていた。
「あ、ぁ。眩暈が、します、よ」
■くらくら堕ちて転がって
(気持ちの悪い眩暈がするの!)
それでも卑怯に笑む彼が妙に愛おしいのは、きっと俺がそこはかとなく彼の転落を知っているからだろうか。そう思い俺はまた、愛とはかけ離れた愛を持つ彼の呼吸を、受け入れる。
眩暈がしたのは何故でしょう(答えは、指切りしたからさ!)
何年か振りに髪を切った。決して手入れをしていなかったって訳ではないんだけど。肩までに切られた髪の毛先を人差し指の腹で撫でると、まだ切り口が新しくちくちくした。
(切ったのは、髪だけじゃねーんだけどな)
腰まであった髪の重さと鬱陶しさは、切られた髪と一緒におさらばした。ばいばい、さよなら。きっともう会うことは無いよ。
――じゃあ、彼への想いは?
くすりと口の端がつりあがる。何でだろう、彼のことが凄く好きだったのに、今その感情を捨てた自分はものすごく楽だ。自分の背中に乗っていたあの髪の重さと心に溜め込んでいた恋慕の情はあまりにもあっけなく捨ててしまっていて、むしろ体のバランスが取りにくいぐらい。
(もしもこの姿を見て、彼が綺麗だなって笑ってくれたら)
――自分は、その笑顔に応えることが出来るのだろうか。
くらり、と眩暈がした。
■眩暈がしたのは何故でしょう
(答えは、指切りしたからさ!)

小説大会受賞作品
スポンサード リンク