【色々】世界でひとり、恋をしよう?【短編】
作者/ささめ ◆rOs2KSq2QU

震える手が掴んだのは、虚勢心ではなく、彼の腕。
「北見に近づいてんじゃねーよ、ブス」
「…………え、」
振り返ろうとした瞬間、とんっというけして軽くはない衝撃が私の肩に響いた。
*
「……どしたの、その怪我」
「別にー。北見さんには関係ないですよぅ」
階段のところに座り込んでいると、後ろから声をかけられた。まだ首を動かすと少し痛い。
痛みを気取られたくなくて、私は頬を無理に吊り上げて振り返る。やっぱり、北見さんだった。今日もカラスのように黒い髪の毛が、網膜に刻々と焼きつく。学校中で評判の整った顔立ちは、私なんか心配してないみたいに無表情だ。
「見たところ、顔だけじゃなくて足もひどいことになってるみたいだけど」
「女の子の体にひどいっていう形容詞を当てはめちゃうだなんて……北見さんはもしかして天然系ドSという奴ですかぁ?」
「……傷だらけってことだってば」
髪の毛と同じように黒い瞳は、まるでガラスのように目の前の私の姿を映している。反射している、とでも言えば良いのか。彼の瞳を前にしていると私はとてつもなく不安になってしまう。いつも人の揚げ足をとる私が、足元を掬われてしまいそうになる。
北見さんの長い指が、私の頬の絆創膏につつく。本当はまだ傷が治ってなくて痛いけど、「ふへへ」と平気さをアピールしておいた。捻挫した足首も、こうして座っているだけで涙が出そうな痛みを発している。
「足首、どうなの。全治何ヶ月?」
「いえ、階段昇り始めた時に落ちたので、あまり大事にはならなかったんですよ。だからほら、この通り。昨日怪我したけど、今日はもうばりばりです」
ほらほらー、と包帯が巻かれた右足を見せ付けた。体の内から痛みが虫となって這い出てきそう。じくじくと痛んでいた足は、ずきずきと存在の主張をしてくる。
医者には全治三週間と告げられた私の右足は、包帯によって左足より少し大きくなっている。北見さんは「パンツ見えるよ」と何気なく言って、頬に触れたように包帯に触れた。普段はきついことを言ってくるのに、こうして病人扱いされると困る。照れくさくてそっぽを向いた。
「…………っ、」
すると、あいつらと目が合った。
廊下の向こうの、女子トイレの入り口でこっちを見ている。ひそひそと嘲笑を交えて内緒話中らしい。昨日、階段で一瞬だけ顔を見たグループの内の一人は、私に向かって厳しい視線を投げかけてきていた。
その視線に、背筋が冷える。
私の足元に座り込んでいる北見さんに、慌てて言葉を紡いだ。
「き、北見さん。それでは私は、えっと、クラス戻るんで」
「突然なにを言ってんの。竜崎、今うまく歩けないだろ。俺、ちょっとお前のクラスまで――――って、あ」
北見さんが立ち上がる際に、私の視線の先を辿る。
視線の先にいた彼女らは、北見さんの真っ直ぐな瞳に耐え切れなくて、すぐに顔を背けた。あからさまなその反応は、昨日の出来事を思い出させるのには十分だった。
真っ逆さまに落ちていくあの恐怖が脳裏に蘇り、心臓がばくばくと音を起てる。こめかみに冷や汗が流れるのを感じ、手の甲で拭う。
「あ、そういうこと」
そして北見さんの方はと言えば、私と彼女らの間の何かをすぐに察知し。
私の右手をとり、自分の腕に捕まらせた。
彼のあまりにもナチュラルな行動に、呼吸が止まった。
「あの、北見さん」
「何」
返事をしてくれるくせに、北見さんは私の意志とは真逆に、ずりずりと私を連れて教室へと戻り始めた。右足が不便なので、逆らうことも出来ない。
「……がっちり、見られてるんですけど」
「大丈夫だよ」
彼女からの視線を平然と受け止める私はどこにもいなくて、だから俯いてしまう。
俯く私なんて意に介せず、自身の歩幅で歩く彼は、大丈夫だと何気ない調子で呟いた。
「竜崎は、大丈夫」
「…………そうです、か」
北見さんは当たり前のようにそう言ったから、私は口元に浮かんできた笑みを取り払えずにいた。
■震える手が掴んだのは、虚勢心ではなく、彼の腕。
卒業した私が綴るふとした、
――あぁ、恋をしていたのだ。
固い筒を壁に当てると、手の内にその衝動が伝わってきた。握り締めても筒は潰れない。私の力じゃぁどうにもならないのだと実感し、苛立ちが募った。ごりごりと額を壁に擦りつけ、肌が削られる痛みを感じる。このまま削れてしまえ。なぜかそう思った。
――すごく、恋をしていたんだ。
背中にしょった鞄はすごくボロボロで、私がどれだけ荒い使い方をしてたのかってのを如実に表している。糸ごと壊れているので、チャックをしても鞄からは中身がはみ出てしまう。「セルフ取り出しだ!」と友人に自慢してはたかれたことは、まだ記憶に新しい。
「帰ろーよ、××ちゃーん」
後ろからとことことやってくるのは、自分よりも目線の低い友人。小さい小さいとあれだけからかっていたけど、結局はその背丈の小ささと愛くるしさが何よりの癒しなのだ。お互いに悪態をつきあって、その後にへへと緩みきった頬を見せ付けあうような仲だった。
最後だからといって、悪態をつくことはやめない。さっきまで無にしていた表情を一瞬で意地悪さで塗り替えて、声色も変えて。舌打ちをしてわざと嫌がるふりをした。
「お前と帰るぐらいなら今すぐ排水溝に入るわぁ……」
「そ、そんなこと言わんでよー!」
「ごめんね全部嘘。よし、帰ろうかー」
「ちょい××ちゃん、そっち帰る方向じゃないでしょ! 何グランドの方向進んでんの、てかどこに向かって話しかけとんの!?」
「はっ、お前そこにおったんかびっくりした!」
「そして今更気付かれるっていうね! うわぁああああ!」
泣き真似をする友人を一喝し、目を細めて笑いあう。笑顔のまま、視線だけはあの人の方へと向けた。同じ組の子と写真を撮っている。さっきまでこっちを見てくれていたのになぁ、と少しへこむ。
――最後まで、悪態ついちまったなぁ……。
朝に、向こうから話しかけてきてくれた。今日こそはと思い、素直な返事をしようと思っていた。だけど、やはり駄目だった。ちゃらんぽらんに、へらへらと笑いながら冗談を言うしか能が無かった。
その時の彼の表情は忘れられない。
(何だか、こう、寂しげっちゅーか、こっちを責めるような、っちゅーかさぁ、)
小説を書いている身としては、こういう時にはびしっと当てはまる表現をすぐに思いついておきたい。
でも、違う。寂しげでも、責めるような、でもない彼の表情。悲しそうというよりは戸惑っていたし、戸惑いよりも諦めたような雰囲気が強かったような気もするし。最後までこんな関係だったことを、嘆くようだったし。
「…………ゆーき、出したかったにゃー」
「ん? どしたの××ちゃん、帰る?」
「帰んねーよヴァカ特にお前とはなかっこ笑い!」
「きついよ××ちゃん!」
――もしも、もしもの話で。
手遅れだと分かっている。もうこれで終わりなんだということを知っている。けれど、想像せずには、別の道を探さずにはいられない。こんな終わり方では嫌なのだ。こんなに嫌な終わり方は。
――私かあいつが、どちらかが勇気を出していたら。
すれ違う視線、話しかけられるタイミング、言われる言葉、態度。向こうの態度に私は気付いていたはずなのに。気付かない振りをして、あの子みたいになりたくないからと優等生ぶってみたりして。
(……メアドぐらい、聞けたんでしょーかねー)
ぼんやりと遠目に彼のことを見つめた。私が隣を通れば、彼はじっとこっちを見る。今日、ずっときょろきょろしていたのは私を探してくれてたのかなーなんて自惚れてみた。私も探してたんですぜ、と強かに笑う勇気なんて無いけれど。
――勇気なんて無いんだよなぁ、結局。
卒業するまでに成長したところはたくさんある。数え切れるか数え切れられないのかは、置いといて。知ったことも、覚えたこともたくさんある。
それでも、勇気は出なかったのだ。
卒業式が終わった、この瞬間でさえも。
彼に笑って『卒業おめでとう』と言うことすら出来ない。
(……あーあーあーあーあーあ、あああああーぁあ、)
また緩み出した涙腺を止めるのに、時間はかからなかった。
■卒業した私が綴るふとした、
(たぶん、ぜったい、すごくすきだったんだよー)
(でもごめんねー、ゆうきでなかったんだぁ)
だから俺は、お前の律儀さに死のう。
休日、部屋の中、男女が二人きり。これだけの要素があるのだから、やることは決まっているだろう――そう言わんばかりに襲われた。相手が相手なので、強姦ではないけれど。無言になった源田との視線が絡んだ瞬間、突然抱きしめられたのだ。
スカートに入れてあったシャツを出されると、冷気が背を走り鳥肌がたった。まだ自分の体温で温かい背中を、源田の冷たい指がおそるおそるなぞる。
「冷たいっての」
「、あ、う、……ごめん」
少し刺々しく言ってやれば、シャツに入れられた手をすぐにひっこめる。チキンなのかヘタレなのか微妙なところだ(いや、どっちも似たようなものか)。体をのけぞらせて行為を止めようとした源田の体に足を絡める。逃がさない、という意味で。
私が足を絡めると、源田は申し訳なさそうにネクタイを緩めた。普通の男ならがっついてきそうなシチュエーションなのに、源田は私のことを案じているのか、クッションやらゴムやらを探している。
(律儀だよなぁ、ほんと)
一連の行動を無言で見守る。さっ、と近くにあったクッションを越しの下に宛がわれた。
緊張した面持ちで、ワイシャツのボタンに手を伸ばす。そんなに緊張すんなよな、と思って額をこづく。別に、お互い初めてじゃなかろうに。
マニキュアを塗った私の爪先は、マゼンダで派手に彩られている。長く伸ばしているせいで、よく源田に怒られる訳だが。源田は額をこづかれたことに対して、涙目で不平を訴えてきた。
「痛い、不動」
「私の方がこれから痛いっつーの」
ばーか、と舌を出すと苦笑された。だけどボタンを外す手は休めない。ぷちぷちと外され、露わになっていく自分の胸元。薄くてぺったんこ、と眼帯女に評された胸元は、本当にこいつの興味を煽っているのだろうか。
――あぁ、そういえば。
胸元を眺めながら、ふと思い出した。
開いたシャツを押しのけて、源田が背中に手を回してくる。ひやりとした例の指先が、ブラのホックを掠めた。かちゃり、と金具が外される。
「……あ、源田、ごめんけど、」
そこで、今気付いたという風体を装って、私は無邪気に笑った。
目を丸くして驚いている源田をぐい、と押しのける。意外にもあっさりと避けることに成功した。
「私、今日生理だったわ」
「…………。………………それじゃ、やめとく、か」
俺の発言に気を悪くした様子も見せず、源田は私からふいっと離れた。思春期の男子中学生なら考えられないほどすっぱりとした切り替え。目の前にこんな美少女(※半裸)がいんのに、食わないってどういうことだ、オイ。こっちの方が疑問に思うくらいだ。
「シャツ。寒いから、閉じて」
「はいはい」
手元のゴムをかばんに収め、弦だが私の願い通りにボタンをかけ直す。ぷちぷちとシャツが閉じられていくのを観ながら、息をついた。はぁ、拍子抜けだ。
こんなとこまでいってるのに、無理矢理犯そうとしないこいつの律儀さは、本当にどうかしている。普通、我慢出来なくね。女の方がどうこうなんて考え、あるわきゃねーのに。
「はい、できたぞ」
「…………どうも」
首元までボタンを留めると、源田は最後の仕上げに柔らかく微笑んだ。劣情が一切無い笑顔に、私は少しだけ戸惑う。そんなにあっさりと諦めちまうのかよ、と唇を尖らしてしまいそうになった。
ぼすり、とベッドに横から倒れる。血が流れる感覚が膝をふらつかせた。腰にひかれたクッションが丁度いい。源田に感謝。
「うあー、生理って思い出すと腹が痛くなってきた……」
「寝るか?」
「ん、そうする。……膝かりるぜー」
腹部の鈍痛を和らげようと、ごそごそとベッドの上に横になる。頭の後ろにごつごつとした源田の膝頭があたった。横になると、すぐに腰まで毛布がかけられる。プラス、私の体温により温かくなった大きな手が、髪の毛をすいた。
(……律儀、だなぁ)
何度か繰り返した単語を、また呟く。事の最中で止めて、しかも生理痛が辛いとかほざく女なんて、放っておけば良いのに。そう頭で考えているものの、源田の体温から離れられない自分がいる。
こいつの髪の毛を撫でる手つきは心地よい。優し過ぎて、律儀過ぎる。
(愛してるぜー、げんだ)
口元を緩めて、毛布を手繰り寄せた。
■だから俺は、お前の律儀さに死のう。

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