【色々】世界でひとり、恋をしよう?【短編】
作者/ささめ ◆rOs2KSq2QU

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パンッ、乾いた音。
頬をはたかれた衝撃は耐えることが出来ただろうけど、面倒だったので勢いと共に尻餅をついておいた。どすん。お尻に鈍い痛み。あまりにも甘っちょろい痛みだな、と痛み評論家ことマゾ野郎の俺が静かに評価した。
殴った相手を上目遣いに見てみれば、向こうは驚いたような、泣きそうな顔をしている訳で。ちょっとそれ何なの、被害者気取り? 俺の方が殴られてんのに、それっておかしくないか。もやもやとした感情に名をつけられぬまま、立ち上がった。
「……ってー、痛いじゃんか」
「あ、っう」
人のよさそうな笑みを浮かべてやれば、数秒前に俺を殴った張本人は、気まずそうに表情を歪める。自分が殴ってしまったことを後悔しているような、顔。こっちはマゾだから殴られることに異論はないけど、そんな表情をされることには抵抗がある。
俺を殴ることをギャグだと感じられる人間は好きだ。また、俺の性癖を冗談と受け取って、からかえるだけの余裕を持った人間ならば。だけど、その余裕がない人間が俺は苦手だ。馬鹿みたいに笑う俺を見透かすような人間も。
「どしたの、殴れば良いじゃん。俺マゾだし、痛みも快感へと早変わりぃー」
「いや、だって、その、殴るとか……」
「そんなこと言っちゃってぇ。殴ったじゃん、さっき」
ぱちーん、とね。赤くなった頬を見せ付けると、目の前の子の瞳はぎゅっと収縮し、涙を目の端に留める。
俺の飄々とした態度に疑問を持ちながらも、何故と聞き返せない恐怖。それと戦っている少年は超勇敢だと思う。普通に、そういう人なんだって割り切ってしまえれば楽なのに。
「いやー、さっきのビンタは効いたよー。超吹っ切れた!」
「っ、うぅ……ご、」
「ああ、謝らなくても良いっての」
引き攣った顔をしている少年に微笑みかける。びくり、拒否反応を起こされる。嫌われてしまったという結果のみが俺の眼前に見せ付けられた。
淡々と、だけどしっかりとした口調で、俺は俺について語る。
「別に、殴ったことに罪悪感なんて覚えなくて良いんだよ。俺が無理矢理襲おうとしたのが悪いし、そりゃ危機感もって目の前の相手ぶん殴るわな。ビンタで済んだのがラッキーで、お前の優しさってトコ?」
「……いや、ちが、」
「だいじょぶだいじょぶー。俺、慣れてるからさぁ。あんま、気にしないで良いよ。ドントウォーリー、みたいなね」
ひらひらと手を振ると、震えた視線がようやく俺の顔に注がれた。俺とその子は、初めて真正面から向き合う。
正面から向かい合ったその子はやっぱり綺麗で、俺はだらしなく笑ってしまった。
「大丈夫。お前が殴ったのは正しいし、殴られた俺が悪いんだよ」
言い聞かせるように、自分より年下のその子に言い聞かせる。その子は微かに頷き、涙目のまま俺をじっと見つめた。短い黒髪、幼い顔立ち。全部俺の中ではクリティカルヒットなんだけど。
――まぁ、手を出したら犯罪だわな。
それに、まだ俺は最愛の妹に嫌われたくはないのだ。出会うたびに真顔になる妹を思い出すと、少し元気が出た。
「だから、もうあの子のことが嫌いだとか、自分が嫌いだとか――――そういう、嫌いだからっていう理由で、俺なんかを許しちゃうのはやめなさい」
諭すように、笑うように。柔らかく微笑むと、その子はようやく落ち着きを取り戻したようだった。
今、この子はあの子のことを考えているのだろうか。俺なんかとは関係のない、あの子を。好きだってはっきり言えるような想いを持って。
そう考えると、嫉妬心が疼いた。俺みたいなのがどれだけ手を伸ばしても届かないそれを、ふいに奪い返したいような、滅茶苦茶にしてやりたいような、高ぶった感情が芽生える。感情を笑顔というマスクの下に隠して、俺はまた呟いた。
「俺を嫌っても良いから、あの子のことを嫌っちゃうのは、やめろよ」
「……、は、い……」
あまりにも小さくか細い返事をして、その子はほんの少しだけ目を細めた。
そんな姿を見ると、ついつい俺は、この頬の痛みが心地よさに変わってしまうような錯覚を覚えてしまうのだ。
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自分の特別を作れない俺は、誰かの特別を作ることならできるんじゃないかな――なんて、考えてみたり。
Don't call my name.
トオルが、泣いていた。
これはきっと夢の中で、私がこれから行うである行動はきっととてつもなく非生産的なもので、どれだけ何をしても結局は夢の中だから現実に戻っちゃえば意味なんてないってことは分かってるけれど、けれど、けれど、けれど。
だかって、目の前で泣いてるトオルを放って置いてはいけない気がするの。
「……トオル、トオル?」
少し近寄って、膝をついて泣くトオルの肩を揺さぶった。話しかけることに躊躇いはない。躊躇う時間があるなら、トオルを笑わせるために使いたい。そう思ったから、あえて気丈な風を装ってみせた。
けど、そんな私の頑張りも空しく。トオルから返ってきたのは、簡素な言葉。
「なんで、ほりはおれのことをすきになってくれないんだ」
高校生にもなって顔中ぐちゃぐちゃにして、泣いてるでやんの。現実ではけしてみることできない姿は、私にとって少し新鮮だ。場違いにも、少し笑ってしまった。
――あぁ、そのことでまだ泣いてるんだね。
着ているセーターの袖は、そこだけ涙で変色してしまっている。私のだるだるセーターだと、あれだけ涙を吸ってしまったら重くて動けないかもしれない。トオルの真っ赤な瞳は、私にさらに訴えかける。
「おれがいちばんにすきだったのに」
「みやむらとほりがであうまえから、ずっと、ずっと」
「あんなしあわせそうなふたりをみる、ぐらいなら、」
死んでしまいたい。そう締めくくって、トオルはまた塞ぎこんでしまった。
隣にいる私が見えているんだろうか、と疑問に思う。きっと見えてないんだろう。トオルはきっと、堀にしか救われたくないだろうし。こんなみっともない姿も、堀にしか気付かれたくない。
そんなことを全部知りながら、私は言った。
「……無理だよ」
だって、私は堀のように優しくはなれないから。どこまでも自分のことしか考えられなくて、現実しか見ていられない人間だから。
トオルの欲しがっている救いは、与えられない。
「堀はもう、宮村のものだよ」
――人をもののように扱うな、って先生はゆーけど。
トオルの泣き声がやむ。ぐずぐずと鼻をすする音のみが、鼓膜に響いてきた。私なんかの言葉を、ちゃんと聞いてくれているのだろうか。だとしたら嬉しい。
「だから――ごめんね、トオル」
あなたの欲しいものは、あげられないよ。
■Don't call my name.
「貴方の欲しいものは、私ではあげられない」
「だって、他の人がもう奪ってしまっているから」
それでも立ち上がろうとするなら、私は貴方を抱きとめよう。
さようなら、グッバイ、シーユー、アゲイン。
「兄さん」
響く、私の声。
いらない、いらない。こんな私の声、違うんです、違うんです。
「ごめんな、さい」
震えないでよ私。違うでしょ、私。
普段はそう、もっと気丈に振舞っているくせに。過去なんて、って思ってるくせに。
どうしてこういう時だけこんな風にに震え、
「ごめんなさい、兄さん」
――夏、真昼間、持っていたアイス、落ちた、畳、
脳裏に浮かんでくるのはあの時、目蓋にこびり付いた世界の残滓。
薄いキャミソールのは、日焼けした私の肌にぴたりとくっ付いていて、気持ち悪かった。
「私だったら良かったんですよ、私、が」
腹の撫でる手つきに吐き気がした。見上げられる感覚に眩暈がした。
頬に流れるものが汗だけではないと知りながら、それでも声は出せずにいたというのに。
それでも、助けを求めたというのか。
それでも、辛かったと被害者ぶっても良いのか。
「私が、我慢、してたら。良い子の私だっ、た、ら」
見開いた眼球に入り込んだのは、幼い兄で。
逃げろと叫んだ彼の声にすぐ応じられなかったのは誰だったのか。
立つことも出来ずに、泣き喚く兄の姿を歪む視界に映していたのは誰だったのか。
「兄さんは、傷つかなくて、」
「伊織、」
あの夏の生温い空気が、一瞬にして優しい香りに塗り替えられた。同じ生温さでも、私の肩を抱くこの温さの方がよっぽど心地よかった。
体中にびっしょりと汗をかいていたようで、鼻の頭が湿っている。小さく息を吸い込み、吐く。たったそれだけで、安心することができた。
「別に、俺のことはもう気にしなくて良いんだからさ」
――あぁ、また言われてしまった。
相手がそう言うことを理解した上でその言葉を吐くのは、私の悪い癖だ。頭痛のひどい脳みそは今にも中身が零れ落ちそうで怖い。ぎゅるぎゅると音が響いているようで気持ち悪さもある。
でも、そんなことよりも。
兄さんのその飄々とした態度の方が、私の胃にはずしんと響いた。
「……っ、ははははははっは」
「伊織」
兄さんが心配したように笑い始めた私の顔を覗き込む。やめてくださいよ、真面目な顔でこちらを見ないでください。
そんな風に心配されたら、私の逃げ場は一体どこへあるというのか。普段の私は、声をあげて笑う私はどこへいったというのか。
疑問を振り払うように兄さんの腕を振り払った。驚愕に染まる顔を見て、私は初めて愉悦に満ちた笑みを振りまくことができた。
高らかに叫ぶのは、今まで抱いてきた疑問のアンサー。
「あぁ、あの時の私を殺したのは!」
■さようなら、グッバイ、シーユー、アゲイン。
私は一体、誰に殺されたの?

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