【色々】世界でひとり、恋をしよう?【短編】

作者/ささめ ◆rOs2KSq2QU

たのしいね、けものさん。


 行き交う群衆のアイを見つめていると、獣である私にも一つの思いが薄っすらと浮上してきた。
 ――私も、アイを持っておきたい。
 いつか、また世界が終わる時に、何か一つでもアイと呼べるものを持っておきたい。でも、アイと呼ぶにはお城の中に有り余る私のお気に入りは、役者不足だ。
 そんな時、栗色の彼女の笑顔が脳裏に浮かんだ。嘘だ、そんなことは無い! ……彼女の笑顔を振り払うように、角がついた頭を左右に振った。

(そうして私は、一番大切を避け続けた)

 孤独に慣れ親しんだこの身が、本能的に避けていた。
 私の中の“獣”は、日だまりで溶けるのを許そうとはしないみたいだった。


■たのしいね、けものさん。


 私の中の獣は、彼女と日常を共にしていくにつれて、凶暴化していった。凶暴化といっても、涎をたらして生肉を求めるとかそういうのじゃない悲しみと喜びの落差がだんだんと激しくなっていくだけだ。
 ……でも、それは獣にとっては、とても大事なことで。

(だからなおの事、私は――他人を必要だと思う自分が許せなかったのです)





「ちゃんと野菜も食べなって」
「うっさいわね、卵は食べてるわ!」
「それじゃー栄養が偏ってるんだって。ほら、せめてこれだけでも」
「う、うぅ……!」

  まるで喧嘩してるような私の物言いに、温和は彼女は何一つ怒らなかった。そりゃぁ私が好き嫌いをしたり、部屋を汚したりした時は少し強めの言い方をしたけれど。彼女の言い方は説得力と正しさがあって、さらに優しかった。
 彼女の優しさにほだされないようにと続けてきた強がりは、半世紀にも渡った。彼女のきめ細やかな肌には、少し線が入ってきて。栗色の髪の毛には銀が入り混じるようになってきた。
  一人きりが基本だった私にとって……それはあまりに幸福な時間だった。
 彼女と過ごし始めて何年か経ったある日、彼女は私の髪の毛をじっと見て言った。

「君の角も、髪の毛も。君のそれらはとても綺麗で美しいね」
「……でも、私はヒトとは違うわ。獣なのよ」

 ――それに、この姿は魔法のおかげだし。
 本当のことが言えずに、劣等感を曝け出す私に。庭の手入れをする手を休めて、彼女は光り輝くような笑顔で言い放った。

「違わないよ。君の角は、本来あるべきの君にとってのただの付属品だ。たとえ角がなくても、君のスカイブルーの髪の毛が真っ黒だとしても。君の美しさには、変わりない」
「…………あり、がと」

 笑顔で恥ずかしいことをはっきりと言う彼女に、面と向かってお礼を言うのはひどく照れた。
 でも、私は貴方のくれた言葉を一つ一つこのお城に留めている。
 どれもこれも大切で、捨てられなくて。大好きなもので埋めても埋められなかった空間には、貴方のアイの言葉が満ちていた。足りないものを見つけるたび、私は今までの無表情が嘘のように笑いに誘われた。
 ――たとえ、隠しているそれの正体に、気付いていたとしても。
 彼女と過ごしていると、私の胸には充足感が満ちていた。
 でも、同時に微かな胸の痛みに襲われることも知っていた。

(隠しごとをしてました それが愛と知っていました)

 アイが愛に変わるのは、もう少し後だった。




君のその言葉ではロジックは完成しない


 パフェの白玉にぱくついた時、彼女は言った。

「私、好きだよ。潤君のこと」
「…………そりゃ、どーも」



■君のその言葉ではロジックは完成しない



 明るいブラウンのセミロング、しかもスーツ。タイトミニ。優しげに保たれた口角は、笑いを象っている。しめたネクタイを盛り上げる膨らみは、うちの妹には到底届かない。
 胸はある程度あるし、ぎゃあぎゃあと喚くタイプではない。自分よりは、ちょっと年上。でも二つ三つぐらいだから、年上趣味と考えればオールおっけぃ。
 こんなに素敵な条件の相手なのに、何故か好きだと言われても納得出来ない自分がいた。

「どうしたの? あれだけ好き好き言ってたくせに、私から好きだって言ったら黙り込むなんて、性格悪いなぁ」
「いやね、俺大好きですよ。八代さん可愛いし、綺麗だし。俺の性癖にも付き合ってくれそうだし。結婚の線も考えたいぐらい」
「可愛いも綺麗もほとんど同義語じゃない? ていうか、性癖に付き合う気はないけどね。せいぜい蝋燭と三角木馬ぐらいかな」

 さらりと道具について述べる彼女の瞳は、諦観――その一言が見えている。いつもだったら愉快そうな笑い方をしてるのに、今日は何だか悲しそうで。
 さっき会った時に、目元が赤かったのも一因だろうか。ファミレスの前で呆然と立ってたから、お誘い(ナンパとも言う)しただけなんだけど。

「そんだけSMについて知ってるなら、良いと思うんすけど。俺は大歓迎」
「そう。それじゃぁ、付き合っちゃおうか」

 ぽろりと彼女の口から零れた言葉に、俺は驚愕した。
 ――あれ、確か八代さんって好きな人居たんじゃなかったっけ?
 冷たいクリームが唇につく。「ついてるよ」と八代さんが目を細めた。「あ、どうも」と気のない返事をして、舌なめずり。決して目の前の彼女が食い時だヒャッホゥ!!とか考えてないので安心するべし(と俺は伊織に言い訳してみた)。

「付き合うって……今まで俺のこと、散々付き合えないって言ってきたのに? てか、好きな人居たんじゃないすか?」
「……………………」

 長い沈黙。彼女の表情から笑いは消えない。
 まるで、笑うことで俺の言葉から逃げているような、そんな錯覚。

「……良いんだよ、潤君」

 カチャリ――反射的にテーブルに置いたスプーンが、金属音を奏でた。まだコーンフレークが残っているパフェの容器は、クリームの白とベリーの赤が入り混じって、ピンク色になっている。

「好きなのは、もう終わったから。だから、この新しい好きっていう感情が、君への思いさ」

 噛み締めるようにして搾り出された言葉は、俺にとっちゃぁパフェよりも甘く、重いもの。困ったように微笑む彼女の唇からは、俺と付き合いたいという思いがぽろぽろと溢れ出てくる。本来の俺ならば、それに冗談と愛を交えて返さなくてはならないのに――

(――なのに、何でこんなに痛いんだろう)

 泣きはらした後のような瞳をした彼女から紡がれる、今までの“彼”への愛を打ち消すような「好き」という言葉。
 喜ばなくては、ならないその言葉。

(何で、八代さんの好きって言葉は、聞いててこんなに痛いんだろ)

 赤い瞳をした八代さんは、何も言わない。
 全てを包み込むようなその笑顔には、彼女自身の悲しみも包み込んでいるんだろう。

「……なーんであの人、こんな良い子ほっぽっちゃうんでしょーね」
「え、何?」
「いや、何でもないです」

 にへらと彼女に笑いかけて、俺はパフェの最後の一口を飲み込んだ。
 甘い甘いクリームが喉に流れる瞬間、厳しい顔の彼が思い浮かんだなんて、彼女には言わない。




否定して、否定して、否定して、愛して、否定して?


 ――強い人は、強いから好きだ。
 理由にもなってない理由だけど、私はいつでもそれを掲げている。
 肉体的に強いのは良い。目の前で弱いものいじめや武力による何か争いが行われていたら、助けられる強さがある。もしも私が誰かに殴られて痛いと言ったら、そいつを殴り返してくれるだろう。
 精神的に強いのは良い。目の前で正論や正義の味方がくだらない理論で組み伏せられていたら、正しく直す強さがある。もしも私が誰かに罵詈雑言を並べられても、そいつに言い返してくれるだろう。

「……それが、お前が強い奴を求める意味かよ」
「そうですよ。強い人が好きなのは強いから。それが理由です」

 にこり。
 辛いから泣く、悲しいから泣くなんていう正しい道。一般的に正しいとされている道は、私の場合は全部石ころで封鎖されちゃってる。だから、歪んでるがたがた道を進むしかないのだ。

「だって、思うでしょ。弱い奴同士が馴れ合ってどーすんですかー? ……って。弱い奴が馴れ合ってたら、一生弱いっていう層でミジンコみたいに動き回ってなくちゃいけないじゃないですか。でも、どっちか片方が強い人だと話は変わってくるでしょー? 弱い奴は強い人に感化されて必死に上の層へ這い上がろうとしますよね。強い人は弱い奴を見て、守ってやらなくちゃって強くなろうとしますよね。それって世の中の最善策だと思いませんか? 強い人がいるからこそ、人間は高みを目指せるんですよ。きっぱり言っちゃうと、世の中に弱い人間は必要ありません。ナッシングです。意味が見つからないんですもん」
「……お前さ、」

 一息に言った。
 その一息で綴られた思いに水をさすのは、誰だろうか。

「弱い奴は必要ない――って、お前、自分の存在を否定してるだけじゃねぇか」

 びくりと身体が震えたなんて、信じたくない。

「否定して否定して否定して否定して。……お前さ、おかしいよ。何でお前の存在を確立させたいくせして、マゾみてぇに自分の存在踏みにじってるわけ? そういうの、見てて腹立つ」

 彼の吐いた言葉に愛しさを感じただなんて。

「痛いって言えば良いじゃねぇか。言えよ。私は自分が存在してることが辛くてたまらない、って。強い奴求めて、そいつに突き放されて悲しんでる自分は辛いんです、痛くてもう駄目なんですって。……お前さ、かっこつけ過ぎなんだよ」

 目の前の景色が、ぼやけて霞んできただなんて。

「かっこつけんなよ。痛いなら痛いなりに、絆創膏くれって言えよ。傷をほったらかしにしとくと、癖になんだ。だんだん自分が痛いのが当たり前なんだって、変な考え方してきて、自分の思い言わなくなってくる」
「……体験談ですか」
「違うっつーの」

 ――不器用に貴方が呟いた欠片を拾い集めると、私の胸の中はいっぱいになる。
 貴方の言葉は全部大切だから、鞄の中も腕の中も、もう入りきらない。

「単に、そう思うだけだ。傷ついてる奴の傷に手当てしないのは、可笑しいだろ。……お前の怪我、気付いてるのは俺ぐらいしか居ねぇのに」
「自意識かじょーですね」
「うっせ」

 冗談交じりに笑ってみると、彼は心地よさそうに笑った。




■否定して、否定して、否定して、愛して、否定して?



(それでも拾いたい、と思うのは許されるでしょうか)




海≒自己世界


 練習でぼろぼろに疲れ果てた体が吸い寄せられたのは、記憶の中で鮮やかに残るブルーの海でした。




「う、み」

 練習の合間にふらりと一人で立ち寄ってみた海は、久しぶりなせいだろうか、私の中の海の思い出よりもだいぶ美化されていた。キラキラと太陽の光を反射する水面はスカイブルーに彩られ、深くなるにつれて群青へと変わっていく。綺麗だとしか言えないのが、鬼道がいう「頭が弱い」ってことなのかもしれない。

「久しぶりだなー、おい」

 誰にともなく微笑む。唇に海風の塩辛い香りが掠って少し乾く。べろりと舌なめずりをしてみても塩の味はせず、何の感慨も沸いてこなかった。
 ふと、濃紺の液体に足を浸してみたくなった。
 考えるよりまず行動タイプである私はすぐさま土色に汚れた靴下を適当に脱ぎ捨て、靴を落としてゆく。代わりに浅黒い肌をした素足が熱い砂浜の上を踏みしめ、少しくすぐったい。じりじりと焼くような暑さが肌を焦がした。
 ――ぴちゃり、ぴちゃり。
 水面に微かな泡と波紋を起こしながら、私は海へと歩を進めた。浅瀬のせいかまだ足元はぬるい。熱を持つ体が欲するのは生温さじゃなくて、全てを掻き消してくれるような冷たさ。生温さを解きながら、更に冷たい深みへと歩き始める。
 ――ざぶ、ざぶ、ざぶ。
 荒い波の音に自分の音を消されないようにと、わざと大きな音をたてて歩く。足の裏が貝や石のせいでざりざりと違和感を与えてきて、痛い。でも海の冷たさが痛みを上回り、凍りつくような錯覚を感じた。

(もっと、もっと深いところへ)

 ――深く深く、どこまでも深く。
 ――体中が冷たさという針で刺されるまで。世界中が青に染まるまで。
 酸素を求めるように、喉の奥から息が漏れた。焦るような吐息と、腰から足元にかけてまとわりつく青の水が、自分の動きを止めているようでもどかしい。

「きっと、っ……きっと、だ」

 呟いた言葉が波にさらわれていく。
 ついに喉元まで海面に浸った。冷たさは体全体を這い回り、動きにくさと息苦しさのみが脳内を甘く痺れさせる。

「私がもし、このまま――海にさらわれたら、」

 言葉を続けようとして息が止まる。
 目の前には、私を飲み込もうと青の波が。
 息を止める前に、私は強い波に足元を掬われて、勢い良く海の中に転げた。溺れたと言った方が正しいんだろうけど。ごぼり、と群青の世界の中であぶくが空へと浮かんでいくのが目に入った。

(どこまでも青い、私だけの世界。誰にも入らせなかった、私だけの)

 全てが青に塗り替えられていく世界で、けれど私ははっきりと見た。
 私だけの世界の中で、精一杯こっちに手を伸ばしてくれている、彼の姿を。
 弱虫なのに強気で、そしてすぐ照れる――そんな彼の一生懸命な姿に、笑いが浮かんだ。それなのに、すぐに泣きたいような気持ちに襲われる。初めて体験するその感情は、恋という一文字で片付けて良いのだろうか。


(ねぇ、もし私が海で溺れたなら、)


 私のこと助けてくれる?――――なーんて。
 問いかける前に引き上げられて、さらに抱きしめられたら、言えるわけないじゃない。




■海≒自己世界




人魚は過去に何を思ふか、


 ずぶり、それに沈むとひどく心地よかった。セピア色をし、まだら模様のそれらは温かい。母の胎内で眠っているような、妙な安堵感さえ覚える。尤も虎は赤ん坊の頃の記憶など持ち合わせていないし、胎内にいた時のことなんて想像に過ぎないのだが。

「……! ……、……」

 あぁ、誰かが何かを叫んでいる。
 目蓋を開けると、まつげについていた小さな気泡がふわふわと上へ上へと舞い上がっていった。綺麗だとは思うけど、外へ戻りたいとは思わない。虎は唇を尖らせて、またこのセピア色へと深く深く潜り込んだ。
 世界は辛いし、苦しい。
 だから虎は世界から逃げ、セピアへと潜るのだ。
 だんだんと深く濃くなっていくセピアを横目で眺めながら、虎はさらに両手を伸ばす。底に何か大切なものがあるとでも言いたいように。

「っ、×××ぇ……」

 ふと、息を切らせた虎が一人の名を紡いだ。
 その名は虎にとってとても大切で、愛おしくて、一番欲しかったものをくれた人の名だった。
 しかしそれは――――過去というセピア色の海から抜け出せなくなった、死に取り付かれた人物で。
 暗い暗い色の底に、波に揺られる黒髪が見えた。虎はその黒髪に目を輝かせ、掴もうとさらにもがいた。息苦しかったことさえも忘れ、黒髪と共に現れた真っ白い手を握り、はち切れんばかりの笑顔で語りかける。
 そして、心底幸せそうに、手に頬を摺り寄せた。

「これからは、俺がいるからな。……だから、一緒にここにいような。ずぅーっと、二人で、一緒に……」

 濁った瞳の死体は、目に涙を浮かべる虎を見て、薄い唇を少しだけ動かした。紡がれた言葉が何かは、虎には分かりはしなかった。




■人魚は過去に何を思ふか、




「……っ、虎徹さん……」

 真っ白い兎は、海に沈んだ虎を思い唇を噛んだ。
 何かに操られているように、凍った表情をして海に落ちた虎は、未だに海面へと浮かんでこない。持ち主の失った帽子が、所在なさげにぷかぷかと水面に揺れているだけだ。

「虎徹さん、早く戻ってきてくださいよ」

 震えながらも搾り出した言葉は、虎に向けてのものだった。
 腕をぎゅっと抱き、兎は誰も居ない海へと一人言葉を続ける。

「ここには、貴方の大好きな楓ちゃんも、ヒーローの皆も、貴方を慕う人々も――そして、相棒だって、いるんですから」

 だから、と兎は泣きそうな表情で言葉を吐く。
 痛そうに、辛そうに、一生懸命に。

「だから……過去にずっと縛られないで、くださいよ……!」


 ぷくぷく、と水面にいくつかの気泡が現れた。
 しかし、気泡の後には何も水面に変化は起こらず、静寂のみが海を支配していた。
 そこで兎はようやく気付いてしまった。
 あぁ、彼は過去に囚われてしまったのだと。