たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

10> 塾一日目(武藤なみこちゃん 主人公)


 それからおそらく15分くらいは経っているはずなのに、目が合った時から、ずっととなりの席からあたしの体の色んなトコロを撫でてくるような視線を感じる。
 黒板の横で、少ない髪の毛を何度もかき上げながら懸命に数学の公式やら何やらを説明をしている先生。 彼の話を集中して聞きたいのに、隣に座っている彼から、あたしに向かって一直線にふり注ぐ強力な紫外線のような視線のせいで、全く聞き取る事ができない。


 ――――もう集中できない。 気になってしょうがない。
 あたしは右手に持ったシャープペンを、開いたテキストの間に置き、呼吸を整えた。
 そして勇気を出して、もう一度隣の席を見た。


「 !! 」
 コレは集中なんかできないはずだ!!
 隣の席の“そばかすくん”は、さっきよりも更にこっちに身を乗り出し頬づえをつきながらあたしの顔を見つめている。
 頭の中でせっせと積み続けた公式やら何やらが大きな音を立てて崩れた。
 ――――もう……どうしたらいいのか分からない。


「エへへ……」
 顔まで崩し、戸惑いながらあたしは笑った。
 あんな風に見つめられたらもう……笑って逃げるしかない。
 すると彼は目を細めて優しく微笑み、軽くウインクをしてきた。




11>


 ――――はっきりいって勉強どころじゃなかった。


 結局、始まりから終わりまで、ただでさえ男の子に対して免疫というモノをこれっぽっちも持っていないあたしが、初めて会った隣の席の男の子にずっと見つめられっぱなし……という息の詰まるような講習が、やっと終わった。


 キーンコーン……
「はい、今日はここまで!」
 終了のベルとともに、静かだった教室がざわめきだした。


(ああ、やっと終わった……)
 学校の違う人たちに囲まれ、男の子に見つめられ……とんでもないカルチャーショックを味わった。 とにかくこの場からはやく立ち去ろうと、あたしは机の上に置いてある文房具とテキストを、手さげカバンの中にかきこんで立ち上がった。


「あっ……! ねえ!」
 そばかすくんは、あたしがうっかりしまい忘れたゲロゲロげろっぴの消しゴムを手に取り、呼び止めた。
 あたしの顔は今、絶対に赤くなっているに違いない。 こんな顔を彼に見られたくない。 勘弁してよ……今日はもうこの人とは関わりたくないのに―――― 
 消しゴムなんて別に、いらないって……と思いながらも、
「どうも……」
 彼の手に触れない様に、目を合わさない様に、それを親指と人さし指の先でつまんで受け取った。
 その瞬間、彼はあたしの手首をギュッと握ってきた。 そのせいで消しゴムは床に落ち、どこかにコロコロと転がっていってしまった。
(なッ! 何するのッ!)
 思っただけで言葉にできず、あたしは彼の手を振り払った。
 「ふっ」と小さく笑った彼は、あたしの全身をゆっくり見て言った。


「――――可愛いね」




12>


「高樹ー、ゲーセン寄ってこーぜー」


 見た感じはあたしと同学年、学校が違うからよく分からないけれど、おそらくAクラスの二人の男の子が教室の入り口のドアから顔を出して大きな声で呼んでいる。 彼らの呼ぶ声にそばかすくんが反応した。 苗字を呼び捨てにしている彼らは、きっと彼と仲のいい友達なのだろう。
(へぇ。“たかぎ”っていう名前なんだ、この人……)
 さっき、たかぎに握られた手に視線を落とした。
 こんなあたしなんかの顔を見て、“可愛い”だなんて言った人――――
(温ったかい手、してたな……)


「ちょっと待ってて」
 たかぎは床に転がっている消しゴムを拾い、あたしの着ているジャンパーのポケットにいきなり手を入れてきた。
(ひゃっ!)
 心臓が悲鳴をあげた。


「高樹純平。よろしく」
 迷彩柄のリュックを肩に掛け笑顔を見せて教室を出て行く彼に、消しゴムを拾ってくれたお礼を言おうと思って呼び止めようと思ったけれど……
(たかぎ……なんだっけ?)
 ――――名前が出てこない。
 あたしをまっすぐ熱い眼差しで見てくる彼の顔だけしかどうしても思い出せなくて、ポケットの中の消しゴムをそっと握り締めた。




13> 塾一日目(武藤なみこちゃん 主人公)


     ☆     ★     ☆


 消しゴムを筆箱に入れずに、さっきからずっとポケットの中で握り締めたままで帰りのバスに揺られているあたし。 
松浦くんが隣のシートにに座っているはずなのに、行きのバスの張りつめた緊張感は不思議と無い。 バスのエンジン音だけが聞こえる静かな空間の中で窓の外のお月さまを眺めながら、あたしはずっとたかぎの事を考えていた。
 あたし達の乗るバスの運転手・兼・数学担当の講師の“蒲池先生”がラジオをつける。
 DJのお兄さんの高いテンションが、あたしのテンションを少しだけ上げてくれる――――


『全国の恋に奥手な少女達よ! 夢見てばかりじゃ何も始まらないのさ!
 さあ! 僕の手を掴んで! 夢なんてよりも、もっとロマンチックな世界に連れて行ってあげる!』


 僕の手を掴んで、か……
 実際にそんな事は言われてないけれど、たかぎの瞳が何度もあたしに語りかけてきていた様な感じがした。


     ☆     ★     ☆


「なみこちゃん…… すきだよ……」
 空一面、茜色に染まる夕暮れ時。 まわりには誰もいないムードあふれる静かな公園のベンチで、あたしはたかぎに愛の告白をされた。
「キス……しようか……」
 それは、まるで少女マンガのワンシーンの様なシチュエーション。
 彼独特の、高いけれど少しかすれた声で、あたしの頬に優しく指を添えてきた。
(あたしも、すき……)
 たかぎの気持ちを全部受けとめる思いで、ゆっくり目を閉じた。


 ――ビシッ!
 突然、おでこの真ん中に激痛が走った。
(何! 何なのッッ!?)
 目を開けると、さっきまであたしの前にいたはずのたかぎが、いつの間にか松浦くんになっている。
「いい気になってんじゃねーよ、ブスが」
 松浦くんはあたしを上から見下ろし、手の指をポキポキと鳴らしながら、
「もっとブスにしてやろうか」
 白い歯を光らせて笑いながら、思いっきり力をこめてデコピンをしてきた。 ――――しかも、しつこく何回も……


「痛い! ダメっ! そんなコトしないで! 松浦くんッ!」


「おいっ! 起きろ 武藤ッ!」
 足を蹴られてあたしは目を覚ました。
 夕方ではなく、夜。 公園のベンチではなく、塾のバスの座席。 ――――残念ながら、やっぱりあたしの隣に座っているのは高樹くんではなくて……松浦くんだった。
 目をこすって窓から外を見ると、バスはすでに家の前で止まっている。
 どうやら、あたしはバスの中で居眠りをしてしまっていたようだ。
 でも、どうしてだろう。 夢だったはずなのに、おでこがヒリヒリ痛むのは――――
 自分のおでこを手でさすりながら、となりに座っている松浦くんを見上げた。
「おまえ……」
 松浦くんが呼吸を乱して、あたしに何か言いたそうな顔をしている。
「どんな夢、見てやがったんだ……」


「……何だっけ?」
 覚えてない……。 あたしはよだれをふき、バスを降りて、よろよろと家に戻った。




13>


「うわっ!」
 玄関のドアを開けると、仁王立ちのお母さんがあたしを迎えて(待ちかまえて?)待っていた。


「どうだった? 楽しかった?」
(勉強が楽しいわけないじゃん……)
 精神的にとても疲れていたあたしは、今はもう誰とも何も話したくない気持ちだった。 「どうだった? ねえ!」と、しつこく聞いてくる彼女をうまくかわし、ふくれっ面で台所に入った。
(このお母さんのせいであたしは……)
 自分の学力の無さを棚に上げて、冷蔵庫から出したガラスポットに入った麦茶をコップにたっぷり注いでガバッと飲んだ。
 ――――しかしスッキリしたのは、ほんの一瞬だけ。
 そこに、まだ懲りずにしつこくあたしの後をつけて台所に入ってきたお母さんの、とどめの一撃!!


「鷹史くんが一緒だから心強いでしょ? 高い受講料払ってんだから、頑張んのよ!!」