たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

84> 日曜日(武藤なみこちゃん 主人公)


「うー……ん……  ふあぁ……っ」
 あたしはあくびをしながら伸びをした。
 どうやら昨夜カーテンを閉めずに寝てしまったようで、ベランダの大きな窓から眩しい日差しがあたしを思いっきり照らしている。


 さっき“すごい夢”を見たせいでベッドから落ちている。 たぶんその時に打ったお尻がジンジンと痛む。 
 ベッドから半分ずり落ちている掛け布団を足を使って元に戻して、いつも以上にボサボサになっている髪を手ぐしで整えながら起き上がった。
 このまま起きようか、もう一度寝てしまおうかと真剣に考えながら、あたしは着ているパジャマをポイポイと脱ぎすてて、いちごの柄がちりばめられたタンクトップとパンティー姿になった。
 窓越しに、自分の部屋からよく見える松浦くんの部屋……。
 模試の日が近いからなのだろうか。 どうやら昨夜から徹夜をして勉強をしていたらしい。 いつも外出しない時もツンツンにキメている髪の毛をペタンコにしたまま教科書を見ては真剣な顔でノートに何やら書きこんでいる。
「松浦くん……がんばってる……」
 たぶん(学校の)クラスのみんなは毎回こんなに頑張ってテスト勉強をしている松浦くんの姿を知らない。
 みんな……彼の事を“勉強しなくても、できる人”だと思っているから。
                                       これを知っているのは、きっとあたしだけ――――


 いい加減起きればいい時間なのに、意識を半分まだ夢の世界に残しているあたしは、そのままその格好で再びベッドに横になり、ゴロゴロしていた。
 おへそを丸出しにして、もう少しで胸が見えるくらいギリギリの所までタンクトップをめくり上げらせて――――
「ん、 んーっ……」
 ちょうど近くに転がっていた抱き枕に、手と足で一緒に抱きついて、
「えへ。  ……二度寝って、最高。」
 またしてもカーテンを開けっぱなしのままで、だらしなくゴロゴロと転がって一人ではしゃいでいた。
 ――――“パジャマを脱ぎすてて……”の所から、あたしのあられもない姿を実は松浦くんにバッチリ見られていたことも知らずに……。


「ふぅっ……」
 あたしは抱き枕にうずめていた顔を離した。
「高樹くん……
          今、どうしてる かなぁ……」


「 !! 」
     (今日、何曜日だったっけ!!)


 抱き枕を投げ捨て、ベッドから飛び出したあたしは、壁に掛かっている日めくりカレンダーの元へ走った。
 “土曜日”の青い数字を見てあたしの顔も青ざめた。
(いま、何時!?)
 カレンダーを一枚破き、時計を見て…… もっと青ざめた。
                                (9時15分……
                                           目覚ましセットするの……忘れちゃった!!)


 念願の高樹くんとの初めてのデートなのに、いきなり何をしでかしているのか……。 あたしは半泣きで自分で自分を責めながら、タンスの中から適当に手に取った服を慌てて着た。
 開けた引き出しは開けっ放し、開けたドアも全て開けっ放しにしたままで、
「いってきまーす!」
 最小限のエチケット……洗顔と歯みがきだけはしたけれど、朝ご飯も食べずに家を飛び出した。


「ちょっとあんた!  どこ行くかくらい言ってから出掛けなさいっ、なみこっ!」
 玄関から顔を出してお母さんが大きな声で何やら叫んでいるけれど、あたしは今それどころじゃない。


(ごめんね高樹くん……
                 もう! ホントあたしバカ!!)




85>


     ☆     ★     ☆


「はあっ……
         はあっ……
                 ちょっ!  ちょっと待ってえぇ……っ」
                                       ブロロロロ……
                                                       「……いっ ちゃっ た。」
 ここでこのバスに乗る事ができたら、デートの待ち合わせの時間までになんとかギリギリで間に合うかもしれなかったのに――――あと少しのところでバスを乗り過ごしてしまった。
 誰も居ないバス停で、力の抜けたあたしはよろめきながら標識に近付いていった。 そして時刻表に人差し指を付けて、次に来るバスの到着時間を確認した。
(……もうダメだ。  遅刻、決定……)
 学校行事の“持久走大会”ならまだしも、よりにもよって“高樹くんとのデート”でこんな事をしでかしてしまうなんて――――。 どんどんとあたしは不幸のどん底にハマっていく……。
 ――――きっとこれは運が悪いわけではない。 お母さんや松浦くんにあんなにきつく言われ続けていたのに……
 自分のいつもいい加減な気持ちで生きてきた日常が、こんなかたちで“仇”になって返ってきたんだ――――。
 あたしは目に涙を溜めながら、少しでも早く待ち合わせ場所の塾に到着できるように早歩きで次のバス停まで歩いた。


     ☆     ★     ☆


「はぁ……」(あと15分で……10時か。)
 あたしはため息をつきながらバス停の長椅子に腰を掛けた。
(こんなハズじゃなかったのに……)
 座ると同時に目の中に溜まり続けていっぱいになった涙がポロポロとこぼれ出した。
 どうせバスに乗り遅れてこんなふうに時間を持て余すハメになるんだったら、こんなダボダボのセーターにデニムのショートパンツなんて子供っぽい格好なんかじゃなくって、めったに着る機会がなくてタンスの奥にしまいこんであった、よそ行き用の“いっちょうら”、花柄の乙女チックなワンピースでキメてこればよかった。
 ――――大好きな高樹くんとのデートなんだから、ちゃんと早く起きてもっと時間をかけてオシャレしたかった――――
 震える膝の上で、ギュッと握り締めた手の甲にポタポタと涙が落ちる。


「……おねーさーん」
 あたしの目の前に小さな茶色のローファーをはいた細い足が見えた。
 顔を上げると、黒いブレザーに赤いタータンチェック柄のミニスカートをはいた十歳くらいの女の子が、ちょっぴり背伸びをした学生風ファッションでキメて片方の手を腰に当てて立っている。
 彼女は何も言わずにあたしの頭に優しく手を置いて、隣に座った。
 ――――「泣かないで」と、慰めてくれるのかと思ったけれど大間違いだった。


「……やめてよね。 舞 これからデートなのにさ。
                   そんなに泣いたら雨降ってきちゃうじゃない。
        ああ もう いや いやっ!
              初っぱなからこんなにオイオイ泣いてるひとに出会っちゃうなんて
                                                      ……縁起わるいわ。」


(うわぁ……。  松浦くんの女の子バージョンが いる……)
「ごっ……ごめんね、舞ちゃん」
 あたしはハンカチを出して涙を拭き、彼女に微笑み掛けた。
「プッ。 へんなかお。」
 初対面。 しかもあたしの方が年上なのに、彼女に思いっきりバカにされた言葉で返された。
                         ――――たしかに鼻水も一緒に出ていたし、変な顔だったかもしれないけれど……。


 ブロロロロ……
          キ――――……
                     シュ――――ッ……


 バスが来た。


 あたしは舞ちゃんの隣の席に座った。
「なんでわざわざ舞の隣に座ってくるのよ。 他にもいっぱい席、空いてるじゃない。」
 彼女は松浦くんそっくりな嫌そうな顔であたしを見ている。
 しかし、どうしてだろうか。 彼女の声がなんとなく震えている様な気がする。
 あたしは彼女に耳打ちをして言った。
「――――実はね、 あたしもデートなの。 ……今日、はじめてのデート……なの」
「ふーん。  頑張ってね……」
 やっぱり彼女の強気な言葉の中に緊張が見える。 そして体も小刻みに震えている。 ――――もしかして彼女も、今日がはじめてのデートなのだろうか……
 あたしは舞ちゃんの手をそっと握った。


「うん、ありがとう……  がんばろうね」




86>


 舞ちゃんはあたしの降りるバス停よりも、三つ先のバス停で降りるのだと言っていた。
 そこはこの辺りでは一番栄えた街で、ボーリング場や映画館といった遊戯施設がある。 しかし、彼女たちのデートをする場所は、予想外にもあたしはまだ一度も行った事のない……っていうか行こうとも思った事もない最近できたばかりのアウトレット・モールだった。
「最近の小学生って進んでるんだね……」
 驚いたわたしは彼女に「まあね」とスパッと返された。
 大きな瞳をキラキラと輝かせながら話す舞ちゃんの顔は、出だしからつまずいてしまい沈んでいたあたしの心を引き揚げてくれた。


     ☆     ★     ☆


 ブロロロロ……


 塾の近くの大型スーパーマーケットの前のバス停でバスが停まった。
「また逢えたら、デートのお話、聞かせてね」
「お姉さんもね」
 別れ際、今度はあたしが舞ちゃんの頭を撫でて席を立った。
 バスを駆け降りて飛び出し、あたしは全力疾走で塾へと向かった。 とにかくスニーカーを履いてきたこと“だけ”は良かったと思った。
 途中で赤信号に引っ掛かりながら、がむしゃらになって走った。 
 ……もう髪の毛はボッサボサ。 汗だっくだく。 ――――こんなセーターなんて着てくるんじゃなかった……


――――またもや赤信号。 まるでどこか遠くで誰かがあたしに向けて呪いをかけているかの様に、結局今日出会った信号機は全て赤ばっかりだった。
「なみこちゃん!」


「!」
 交差点の横断歩道。 信号が変わるのを待っているあたしがいる反対側に……
                             満点の笑顔で自転車にまたがって手を振っている……
                                                             ――――高樹くんがいた。


「高樹……くん……」
 彼は自転車をガードレールに立て掛けさせ、あたしをまっすぐ見ながら信号が青になるのを待っている。


ピッポッ、 ピッポッ、 ピッポッ……


 信号が青になり、高樹くんは髪の毛とジャケットのすそをなびかせて走ってきた。
 信号機から流れるメロディーとあたしの心臓の音が重なる。
 このあとはきっと……彼の事だから「会いたかった」と優しく頭を撫でてくれるのかと思った。
 横断歩道を渡り、息を切らした彼はあたしの前で足を止めた。
「――どうして遅れたの?」
                  「え?」
                      「なみこちゃんのほうから誘ってきたくせに…… ふふっ。」
 あたしが遅刻たから怒っているのだろうか…… しかし、どうやらそうではないみたい。 だって……なんだかニコニコしている。


「――ねぇ。  ここってさ、塾と比べものにならないくらい……人が多いよね」
「う…… うん」
 たしかにこの交差点は近くに大型スーパーマーケットがあるし、飲食店も多い。 ……それに、なんてったって今日は日曜日だし。
「どーして遅れたのー?」
 あたしの両肩に手を置いて、高樹くんは顔を覗き込んできた。
 あたしの心臓の音が信号機のメロディーよりも早く刻み出した。
「ごめんなさい……。  えっと…… 寝坊、しちゃっ た。」


「……プッ。」
 吹き出して笑った高樹くんに、あたしは優しく抱き締められた。
「僕、今日のデート、すごーく楽しみにしてたのになー……
                       なみこちゃんは 忘れちゃってたのかー。
                                                   ……フーン。」
 横断歩道を渡ろうとする人達が、通りすがりにあたしたちの事をジロジロと見ていく。
「たっ、高樹くんっ、ここは恥ずかしい……っ」
(前にちゃんと言ったのに……)
 あたしは高樹くんの胸を押して腕をほどこうとした。 しかし、抱きしめる手に力をいれた彼に、もっと強く抱き締められた。
 あたしの体温が急上昇している。 もう限界…… おふろに長く浸かり過ぎちゃった時の様に、ふわふわ……って倒れてしまいそう――――
「ふふっ。」
 高樹くんは小さく笑ってあたしの耳元で囁いた。


「みんなの見てる前で……
                     恥ずかしいコトしちゃおうかな……」
                                              (……え?)




87>


 あたしの頬に指を添え、高樹くんの顔が近付いてくる。
(恥ずかしいこと……って……
              まさか、こんなところでキ……
                                ――うっ! ウソでしょおッ、高樹くん!)
 なんてったってここは人通りのめちゃくちゃ多い交差点。 横断歩道のすぐ横の車両停止ラインに大きなトラックが停まっている。 運転席の窓からタバコを一本指に挟んだ太い腕を出して、フロントガラスからニヤニヤしながらあたしたちの事を見下ろしている茶髪のお兄さんと目が合った。
 あたしの知っている人は、たぶんここにはいないとは思うけれど、もしかしたら塾の人が……
                                    (……っていうか、高樹くんの知り合いが、絶対いそうじゃんっ!)


 いくら“約束”だとはいっても、いきなり“してくる”だなんて!
 こういうコトをみんなに見せびらかして“やる”のは普通……(……ん? “普通”じゃないかもだけど)もっと……デートの回数を重ねたラブラブカップルとかが――――
――って もう、自分でも何が言いたいのか分からないけれど……想像を超えるくらい積極的な彼の行動に、どう応えたらいいのか分からなくて、
「………。」
 結局何も言えず、あたしは目を閉じて顔を逸らした。
「……冗談だって。 “まだ”しないよ。  うん、ビックリした顔も……可愛い」
 抱きしめた腕をほどいて、高樹くんはあたしの頬を指でつついて笑った。
 あたしが目を開けると、
「おいで。」
 彼はあたしの手を引いて横断歩道を渡り、ガードレールに立て掛けさせてある自転車の元へ向かって歩いた。


「後ろ、乗って」
 自転車にまたがった高樹くんが、眩しく輝く太陽を背景(バック)に嬉しそうな笑顔で振り向いて、あたしに言った。
 やっぱり今日の服をワンピースにしないでショートパンツに決めてよかったと思った。 ……別に決めたワケではないけれど。
 自転車の荷台に腰を掛けたあたしは、おそるおそる彼の背中から腕を回した。
 あんまりくっつくと胸が当たっちゃうし、くっつかないと落ちちゃうし……なんてうだうだ考えている間に、
「ふふっ。 ちゃんとつかまってないと落ちちゃうよーっ」
 高樹くんはペダルを(わざと?)おもいっきりこぎ、急発進で自転車が走り出した。
「ひゃあっ!」
 回した手に力を入れて、あたしは彼の背中に顔をうずめた。
 さわやかなシトラスの香りの奥に……男の香りがする。
 ドキドキが止まらない――――  
 このままわたしは自転車の後ろに乗りながら、激しく動き過ぎた心臓が壊れて死んじゃうかもしれない――と思った。 
(何か…… 何でもいいから話さなくっちゃ……っ)
「――ねぇ、高樹くん……」
「なに?」
「えっと……  さっき、あたしに……キス……しようと した?」
「キスか……」
 高樹くんは一瞬だけ振り返ってあたしの顔を見て、また前を向いた。


「うん。 したかったけど……我慢した。
                           僕ね、おいしいおかずは……最後にとっておくタイプなんだ」