たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

103> 日曜日


――――相手が松浦くんだとかは関係ない。
 あたしは怖かった。 ただ……とにかく今は、誰でもいいから助けてほしかった。
 面倒事を嫌い、いじめる目的だけでしかあたしに話しかけてくるとかして関わってこない彼だから、あたしなんかにこれっぽっちも関心なんか持っていない彼のことだから、“どうしてこんな時間に一人で夜道を歩いているのか”とか、“何が起きたのか”とか、やっぱりなにも聞かれなかったけれど、彼はいきなり飛びついてきたあたしの背中にそっと両手をまわした。
 怖かった気持ちが涙に変わり、ボロボロとはがれ落ちてゆく。 まるで迷子になっていた小さな子供のようにあたしは松浦くんの胸の中に顔をうずめて声まで出して泣いてしまった。
 “もう大丈夫だ……。  俺がいるから。”
――――そう慰められていると勝手に思い込みながら目を閉じたあたしは松浦くんの心臓の音を聞きながら呼吸をととのえた。
 背中にある彼の手がとても冷たい……。 
 松浦くんこそ、どうして一人でこんなところにいたんだろう……
                                  一体いつからいたんだろう……
「ねぇ…… 松浦くん……」
 聞こうと思ったけれど……それを聞くのはやめておくことにした。
「チカンに追いかけられてね……  コワかったんだ……」
 あたしの頭の上に置かれた松浦くんの手が、ふわふわと撫でる。 冷たい手から伝わる優しい温もり……。 信じられない。 なんだか今夜の松浦くんは松浦くんじゃないみたい…………
――――ごめんね、松浦くん……
                 いままでいじわるばっかりしてくるひどいひとだと思ってて
                                                  ――――ごめんね……


「ああ、そういえばおまえ、これでも“一応”女 だったもんな…………」
                                           (……え?)


 彼の吐く白い息とともに耳もとから伝わる冷たい毒……。
 松浦くんは、わざわざアクセントまで付けてささやいてきた。
「フン!  たとえおまえがその辺で全裸で踊っていたとしても
                                 俺は“一秒だって”見たくない。
                                                ――――単なる“自意識過剰”だ、バーカ。」


――――なんて、そう言いながらもあたしの気持ちが落ち着くまで抱きしめていてくれた松浦くん。 不思議なことに今の彼の言葉のおかげであたしの気持ちがスーッと安らいでいく。 もうひとつ不思議なことに今だに激しい音で刻んでいる心臓の音が、松浦くんのほうから聞こえてくるような気がした。


 チリン チリーン……
 風もなく静まりかえったバス停にベルの音を鳴り響かせ、自転車に乗ったおまわりさんがあたしたちのいる横の車道を通りすぎた。
 松浦くんはあたしの体から腕を離し、背を向けた。
 “もう大丈夫だろ。”
 まるで彼の背中がそう言っているかのように感じた。 あんなふうに抱きしめられた後だから、もしかしたら手をつないで家まで送ってくれるのかと思って図々しくも出してしまっていた右手をサッと引っこめた。
 とても違和感のあるキャストだが、少女マンガやトレンディードラマの見せ場のようなあたしたちのこの“やりとり”を誰かに見られたくなかったのかもしれない。 ――――そこから近所や学校でヘンな噂がたっちゃったら……迷惑 だもん ね……
 “チカンに追いかけられた”って言ったのに、一人で勝手に家に向かって歩いていってしまう松浦くん。 後ろを振り向くと曲がり角や路上に停めてある車、電信柱……。 あの陰からまた“出てくる”かもしれない。
(ひいっ! ま、待って!!)
 あたしは松浦くんを追いかけ、彼の横について歩いた。
「……プッ。  そういえばおまえ昔、幽霊とか妖怪だとか怖がってたなぁ……
                                      幽霊が呆れちまうくらい鈍いくせに…………」
 あたしの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれればいいのに……
「どうせ見たことなんか ねぇだろ……」
「やめて……。 こんな時に“おばけの話” しないでよ…………」
「あ。 軍服着た血だらけの兵士が あの曲がり角に――――」
「 !! 」
 まんまと思惑通り(?)腕にしがみついたあたしの顔を見て彼は鼻で笑い――――あたしの腰に手を回した。


「俺が今…… 何を考えているのか……教えてやろうか…………」


 腰に回した手を寄せ、彼がつぶやく。
(どうせ、あたしが“バカ”だとか“単純”だとかでしょ……)
 ほっぺたをふくらませながらあたしは松浦くんの言葉の続きを待っていた。 しかし彼は結局その後何も話さないままあたしの家の前まで送ってくれた。
 “ありがとう”
        ――――って、お礼を言いたかったのに、「はやく行け」と背中を押された。
 松浦くんは玄関のドアを閉めるまでずっとあたしを見て見送ってくれていた。
「ありがとう!」
――――やっとお礼が言えた。 ドアを閉めたらやっと……スッキリした。
 “ありがとう”……なんだか彼に対してこんな気持ちになったのはものすごく久しぶりのような気がする。
 最近お母さんが言っていた。


「鷹史くんね、なみこのためにいつもお花を摘んで遊びにきてたのよ」


 お母さんどうし仲が良かったし、家もとなりどうしでさらに同い年どうしだから小さかった頃はよく遊びにきてくれたことは覚えている。 でも“あの松浦くん”がお花だなんて……
 その話を聞いた瞬間、胸元の開いたシャツに黒いタキシードを着た、今の……“14歳の松浦くん”が、赤いバラの大きな花束を両手で差し出している姿が浮かんだ。
――――絶対ウソだ。 お母さんは冗談で言ったんだ。 あたしはそう思った。 笑いを通り越して寒気がしたんだ……“その時”は。


(松浦くん……。  あの時何を言おうとしてたんだろう…………)
 玄関で靴を脱ぐ手を止めて、あたしは考えていた。


 そういえばさっき松浦くんに言われた。 あたしは“自意識過剰”なんだって……。
 抱きしめられていたから見えなかったけれど、松浦くんに撫でられた頭を、あたしに花を渡す彼の顔を想像しながらもう一度自分で撫でた。
 自意識過剰なのかもしれないけれど、松浦くんはあたしのことをそれほど嫌っていないのかもしれない……って思った。