たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

108> 日曜日


 “あたしの隣”で何百年も威厳を保ちながら堂々と立ちそびえていた大樹が、突然根元から折れて――――倒れた。


「武藤……」
 今夜あたしに覆いかぶさってきたものは、毎晩ふんわりと優しく夢の世界へといざなってくれるパッチワークの羽毛布団ではなかった。
 “松浦くん”という名の、ずっしりと重たい“お布団”に押し潰されてあたしは動けない。
 ――――痛い。 絶対こんなのは“好きな女の子”に対する“扱い”なんかではない。
 一体この人はどういうつもりなんだろう――――


 “ずっと欲しかった”
             ……だなんて、今頃になって言わないでよ……


 嘘なのか……  本当なのか……
 隣の家で暮らすお母さん同士がお友達……という運命で、こんなにも長い間近くで過ごしてきて、彼に“愛されていた”と感じた覚えはない。 勉強もスポーツもできる優等生で、みんなから慕われている彼なのかもしれないけれど、あたしは会う度いつも陰でこの人にいじめられてコテンパンにされていたのだから。 でも……彼と同じ塾に通うようになってから…… あんなに酷い人だと思っていたのに、いきなり勉強を教えてくれようとしたり、チカンに追いかけられた時、抱きしめて慰めてくれたり……ただでさえ“何を考えているのか分からない人”なのに、あんな事されると余計に分からなくなっちゃうよ――――


『勉強はできない…… 可愛くもない……
                     ――――そんなおまえを好きになるには、相当の努力が必要だよな! ……ハハ。』


 “おまえの事は嫌いだ”
 ――――そう言われたばかりなのに、少し優しくされただけでコロッと気持ちを傾けてしまうあたしは、何てバカなんだ……。 単純で……本当バカ……
 あたしの事を必要だって……欲しいのだって思ってくれているのは高樹くんだけしかいないのに――――


「たすけて…… 高樹くん……」
 心の声が漏れて思わず口からこぼしてしまったあたしの声を聞いた松浦くんは、舌打ちをして自分の足であたしの両足を力の加減なしに思いっきり挟んだ。
 もしかして……これは高樹くんと“同じ反応”なのだろうか…… 信じられないけれど、やっぱり松浦くんがさっき言っていた事は……


「細っせ。  メシ、ちゃんと食ってんのか?」
「く、食ってます……」
 ――――しまった!  油断した…… 気が付くと、松浦くんに脇腹を撫でられていた。
 以前、塾のバスの中でいきなり彼に手を握られた時と同じ気持ち……。 
 彼の手が怖い……。 この手が次にどこに動いていくのか…… さっきの様に頭を撫でてくれるのならいいのだけれど……
 いくら学校や塾で女の子にモテている松浦くんだとはいえ、相手が“小学生並み”の体つきのあたしだとはいえども、ベッドの上で、裸の姿の女の子を目の前にした男の子はどうなっちゃうんだろう……
 その後、松浦くんの手は――――“上”にきた。 あたしの頭の上に。
(よかった……)
 優しく撫でる彼の大きな手が、震えている様に感じた。


「ねぇ…… どうして?
               あたしのこと、嫌いなんじゃ……なかったの?」


 ベランダの窓の向こうから覗いていた月が厚い雲に覆われ、再び真っ暗になったあたしの部屋。
 あたしの質問になかなか答えを返さない松浦くん。 せめて彼が今、どんな顔をしているのか知りたかったのに黒い闇がそれまでも一緒に隠してしまった。
「俺が初めておまえにキスしたこと……覚えてるよな?  よく考えてみろ、唇と唇がブチュッと重なるんだぜ……。 好きでもなんでもねぇやつに、できねーだろ、普通。  ……俺がオンナに飢えた変態ヤローじゃあるめーし」
(そ、そっか…… そうだな……)
 確かに釜斗々中の“ガリバー”に「やれ」って言われても、死んでもやりたくない。
「俺はそれなりの“意思表示”はしてきたつもりだ。 どうして分かんねーんだ、この鈍感!」
 意思表示…… そっか、“アレ”が意思表示…… 
 高樹くんの大胆な意思表示に隠れて見えなかった……松浦くんの“不器用”な意思表示……
 頭の中で今までの松浦くんとの記憶をさかのぼっている間に、彼は撫でていたあたしの頭から手を離し、あごに添えた。


「どうせ愛されないのなら、いっそ嫌いになってやろうと、嫌われちまおうと……努力したんだ。
 小せぇ頃から隣でずっとおまえを見てきて、マジ見ててバカで、呆れるくらい要領が悪くて、危なっかしくて……関わりたくないのに、どうしても放っておけないんだ。
 努力が報われないこともあるんだな…… 人の心だけはどうしても変えられない。 愛しい人を嫌いになるなんて……無茶だよな……」
 松浦くんのミントの香りの荒い息がだんだんと近づいてくる……


「……なぁ、 “もう一回”してもいいか?
                        ――――今度は“きちんと”するから……」