たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

42> 塾三日目(武藤なみこちゃん 主人公)


――――塾、三日目。


「お母さん……  今日、塾休んでも……いい?」


 玄関で靴を履いたにもかかわらず、そこから重たい腰をなかなか持ち上げることができない。 あたしはずっと座りこんだままで、小さな子供の様にぐずっていた。 
「休む?  なに言ってんのよ、あんた。 まだ通い始めたばっかりじゃないの!  ――行きなさい。」
 お母さんは、あたしの額に手をあてて首を横に振り、玄関の外に押し出した。
「いきなさい」
 もう一度強く言い、ドアを閉め、鍵まで掛けた。
 外からドアを何度も叩きながら、あたしは半泣きでもう一度お母さんにお願いをした。
「お母さん! あたし、ちゃんと行くから塾まで送って!(ちなみに帰りは迎えにきて)」


――――塾に行くことが嫌なわけではない。
                  あたしは……バスに乗ることが嫌だった。


 日も暮れだし、買い物帰りの主婦、公園から帰ってくる子どもたち、犬の散歩をしている人……家の前を通りかかる人たちが、みんなあたしの事をジロジロと見ながら通り過ぎていく。 カラスまでもが屋根の上から見下ろして、バカにして笑っている。


 恥ずかしい…… このままここで溶けてなくなってしまいたい――――
 あたしは沈みゆく夕日の色に負けないくらいに顔を赤くして、ドアの前でうずくまって、しゃがみこんだ。




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「おい! はやく乗れ!」
 後ろから松浦くんに足でお尻を小突かれた。
 バスはすでに家の前でエンジンをかけたまま停まっている。 なかなか家から出てこないあたしを先生に「連れてこい」とでも頼まれたのか、彼は面倒くさそうにあたしの両わきに手を入れて立たせ、手首をつかんだ。
「……はぁ。  ……ガキか、おまえは。  ――こいっ!」
 相手が女の子だというのに…… そんなことはお構いなしに、松浦くんはあたしの手首を握る手に思いっきり力をこめて引っ張った。
「――い、痛いッ!!
           ちゃっ…… ちゃんといくから!
                               お願い! もっとやさしくしてぇっ……!!」
 あたしの返した言葉に、彼は謝って引っ張っている手を離してくれるどころか、逆にさらに力を入れて引っ張った。
「――ばっ、バカ!! うるさいぞ、おまえッ!!」
 顔を真っ赤にした松浦くんが小声で怒鳴る。 ――――怒ってる? ちゃんと“いく”って言ってるのに…… 
 彼につかまれている手首が赤くなっている。 怒る方の立場はあたしだよ……


「ヒュー ヒュー、 恋人ですかー?」
 家の門をくぐり抜け、バスの停まっている道路に出ると、近所に住む小学生の男の子達が、通りすがりに大きな声であたし達の事を冷やかしてくる。
(冗談じゃ ないっ!)
         ――こんなのと“恋人”だなんてまっぴらゴメン!
 あたしは松浦くんの手を振りはらったが、そのまま彼に着ているパーカーのフードを引っ張られて、強引にズルズルとバスの中に引きずりこまれた。


「……座れ。」
 窓際のシートに座った松浦くんが、隣の座席を手の平でトン、と叩いた。
 あたしは仕方なく彼の隣の席に座ると、バスが動き出した。
 実はあたしがバスに乗るのがイヤだったわけは、松浦くんに会いたくなかったからだった。 何故かというと――――


「フーン……。 どうやら昨日の“アレ”が分かったようだな……」
 彼はあたしの反応をニヤニヤしながらうかがっている。
「――――辞書で……調べたから……」
「ぷぷっ!  クックック……」
 松浦くんが隣で笑いを堪えている。 絶対こうなるハメになるんだと予想をしていた。 もう恥ずかし過ぎて彼の顔を見る事ができない。 これ以上話したって、彼の作ったアリ地獄に飲まれ、沈んでいくだけの様な気がする……。 いっそこのままバスの窓から飛び降りて逃げ出してしまいたい気持ちだ。
「まさに おまえのこと……だっただろ?」
 彼は鼻で笑って窓の外を見ながら話し出した。


「勉強はできないわ、一般常識もわきまえていないわ、空気も読めない……
                  ――――おまえって、ギネス級のバカだな。 おもしろすぎて……
                                                    昨夜、眠れなかったぞ、俺……」




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「でも…… 知りすぎちゃってる子よりは……いいでしょ?」
 あたしは膝の上で手の平をこすり合わせながら、松浦くんを見た。
 彼はカバンの中から出したチューイングガムを口の中に入れて窓の外を見た。
「――……まあな。 
           だけど……おまえのことは、嫌いだ……」
                               (あたしだって……!)


「!」
 突然、松浦くんがあたしの手を握ってきた。
 そして、握ったひざの上のあたしの手をひっくり返し、親指で撫でている。
 くすぐったくって…… 気持ち悪い――――
 彼の噛んでいるミントのガムのスーッとしたにおいと一緒に、あたしのからだもスーッと寒気を感じた。
(さっき、あたしの事キライだって言ってたのに……)
 ――――やっぱり、このひとは何を考えているのかわからない。
「小せぇ手……。 こりゃ、一生チビのままだな……  140ねぇだろ」
                                      (……えっ?)
 彼は淡々とした顔で、あたしの一番気にしていることを言ってきた。
「あ…… あるもんっ。」 
 腹が立って……二センチ、サバを読んでしまった。
「……なに おまえ。 俺に好きになって欲しいの?」
 身長のことを言われて動揺してしまったことを、手を触られて動揺したと思われたのか…… 違うのに――! 
 彼はニヤニヤしながらあたしの顔を覗きこんできた。
「勉強はできない…… 可愛くもない……
                     ――――そんなおまえを好きになるには、相当の努力が必要だよな! ……ハハ。」


「――ッ!」
 あたしは体中の全神経を右足に集中させて、思いっきり松浦くんの足を踏んづけた。




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     ☆     ★     ☆


「はい、着きましたよ」
 バスは塾の駐車場で停まり、先生がエンジンを止め、振り向いた。
 いつもなら、先に降りて早々と逃げていってしまうはずの松浦くんが、何故か今日は動かない。 ガムを噛みながら腕組みをして、バスの天井をジーッと見つめている。
 ついさっき、あたしをバカにして笑っていた彼が、今は何か考え事をしているかの様な真剣な顔をしている。 
                                                           ――――不気味だ。


「あたし…… 先に、いくね……」
 何か嫌な予感がする。
 早くこの場から……松浦くんから逃れて高樹くんに会いたい。
 あたしは席を立ち、松浦くんに背を向けた。
「待てよ、 まだ いくなって、なみこ。」
 パーカーのすそを引っ張られ、また座らされた。
 昨日の帰りのバスからだろうか。 さっきもバスの中でいきなり手を握ってくるし――――やっぱり松浦くんの様子がおかしい。
(今まで、あたしの事名前で呼んだことなんて無かったのに……)
――――少し怖くなった。
「……俺に、ついてこい……」
「え……?」
 いきなり彼に腕を引っ張られ、あたしは強引にバスから降ろされた。
(痛い…… 怖いよ……。 たすけて高樹くん――――!!)


「――なみこちゃんっ!」
 自転車置き場の方から高樹くんが走ってきた。
 彼は手の甲でおでこの汗を一拭きして、松浦くんにつかまれているあたしの腕を見て、唇を噛みしめている。
「彼女は…… 僕が連れていく……」
 高樹くんは、普段あたしには見せた事のない険しい顔で松浦くんの前に立った。
 松浦くんは鼻で一息ついてからニヤッと笑い、答えた。


「悪ィな、高樹君……。 少し、こいつ借りてくわ。
                   大丈夫、大丈夫、 あとで ちゃんと返すって。 な?」