たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

28> 塾二日目(武藤なみこちゃん 主人公)


     ☆     ★     ☆


 講習が始まった。
「はい、みなさん注ー目ー!」
 黒板いっぱいに書かれた英文を、先生が指示棒を使って熱心に説明している。
 それなのに、先生の姿を見ながらも、あたしの頭の中ではさっき高樹くんに言われた「一緒に寝たい」が何度もリピートしている。
 またもや今日も講習に集中できないような気が――――


(――あれ?  どこだろう、ここ……)
 どこかの旅館……だろうか。
 何故かあたしと高樹くんは、雰囲気のいい純和風の部屋の中で二人っきりになっている。
 それも、どうやら今は夜みたいで、部屋のテラスの窓からは大きなお月さまが見えていて、外の庭からリー、リー、と虫の鳴く声、そして池があるのだろうか。 カッポーン、と“ししおどし”の風情漂う音が聞こえてくる。


「よぉーっし! 本気でいくからね!」
 浴衣をフェミニンに着こなした高樹くんが、気合いを入れて思いっきり“何か”を投げてきた。


 ぼふっ!
 あたしの顔に、“まくら”が見事にヒットした。
 まさか、本当に“本気”で投げてくるだなんてヒドイ……。 あたしは彼の投げたまくらに押し倒されて、尻もちをついてしまった。
「いったー……い。  ……もうッ! 手加減してよぉ。 これでも一応、女の子なんだから……」
 片手で顔を押さえ口先をとんがらせながら、あたしはまくらを彼に投げ返した。
「ふふん、僕の勝ち、だね。」
 キャッチしたまくらをその場に置いて、嬉しそうな顔をした高樹くんが、這って近づいてくる。
(……勝ち?
        ……――あっ、そうか。 まくら投げして遊んでたんだ、あたし達……)


「――じゃ、約束だから……」
 高樹くんは部屋の電気を消して、自分の着ている浴衣の帯をスルスルと外しだした。 真っ暗にされた部屋の中、ほんのわずかな“月明かり”の照明が、帯を外し、はだけた浴衣姿になった彼をセクシーに照らしている。
(約束、って……  何の……?)
 ワケが分からなくなって聞こうと思ったら、彼の手があたしの両肩に置かれ、そのままお尻の下に二枚なかよく並べて敷かれている布団に、そっと寝かせられた。
 高樹くんの顔が近い――――。
 はだけた浴衣の間から、彼の鎖骨が見えている。 男の子の鎖骨がこんなにセクシーだったなんて、今まで思ったこともなかった。
「もしかして……“忘れちゃった”なんて、言わないよね……」
 あたしの髪を指先でつまみながら呟く彼。
「ルールだから……ね


                  ――――僕のいうこと……きかなきゃ、だめだよ……」




29>


 カシャッ


「!」
 気が付くと、あたしは机の上のテキストの上に左の頬をくっ付けていた。
(しまった! 寝ちゃった!)
 テキストの開かれたページは、よだれで濡れてフニャンフニャンになっている。


「おはよ。」
(ん…… 高樹……くん?)
 目を擦りながら顔を上げると、優しい笑顔を浮かばせた高樹くんが、隣で右手で頬づえをつきながら、あたしの顔に向けて携帯電話をかざしている。
「――寝顔、 ゲット……」
 高樹くんは、絶対ヘンな顔のあたしの画像を待ち受けにして机の上に置いた。


 壁の時計を見ると、講習が始まってからもうすでに30分近くも経っていた。 残り時間は10分……寝ていた時間の方が多い。 こんなに長時間寝ていて、よく先生にバレなかったもんだ。 でも――――
(気づいてたなら 起こしてくれればいいのに……)
 横目で高樹くんをチラッと見た。 するとまたもや彼と目が合ってしまった。
――気のせいなんかじゃない。 講習の時間中、本当に高樹くんと目が合ってばっかりだ。 自意識過剰なのかもしれないけれど、彼にずっとあたしの事を見られているような気がする。
 どうしてだろう…… やっぱり、あたしがおかしい子だから?
                                 それとも――――


「夢……みてたの?」
 机の下で、高樹くんの足があたしの足に触れてきた。
「わ……わかんない……」
 あたしは自分の足を彼の足から離し、イスの脚に絡ませた。
「僕が夢に出た時は、ちゃんと覚えててね。」
 そう言いながら彼は、講習が始まってからすぐ居眠りをしていて同じページのままずっと開きっぱなしになっていた、あたしのテキストをめくってきた。


「んーっ……」
 高樹くんがイスの背もたれにもたれて、伸びをしながら何かを呟きだした。
「昨夜さ……なみこちゃんが夢にでてきたよ……。  楽しかった……」
 あたしの心臓が発作を起こしだした。
 だってだって……夢に出てくる、ってコトは……  ――――“あたしのことを考えてた”ってコト……だよね?
 勝手にそう解釈して、高樹くんが見た夢がどんな夢だったのかを気にしながら……って、気にしてなんていちゃいけない。 今は講習の時間なんだから!(ほとんど寝てたし)
 ――――とにかく、気持ちを頑張って先生のほうに集中させた。
                                    ……とたん、先生と目が合ってしまった。


「はい、じゃあ武藤さん、 この英文、訳してくださーい」 




30>


     ☆     ★     ☆


 今日の講習もなんとか終わった。
 特に英語は五教科の中で一番苦手な科目だったので、チンプンカンプンだった。
(そういえば、もうすぐ学校で模試があるんだったっけ……)
 ――――急にイヤな事を思い出してしまった。
 カバンにテキストと文房具をしまいながら、だんだんと不安になってきた。
(せっかく塾に入ったっていうのに…… これじゃあ ぜんぜん意味ないよ……
                                 ――――高樹くんに会えるのは嬉しいんだけど……)


「会いたかった」 さっき彼に言われた言葉を思い出した。
(あたしもだよ……)
 なんだか塾に勉強をしに来てるんじゃなくて、高樹くんに会いに来ているみたいな感じになっている。
                                                  ――――今ごろになって気付いた。
 

 両手で自分のほっぺたをぺチンと叩き、心に決めた。
 ちゃんとしなくっちゃ、がんばろう、あたし!(お母さんに叱られるし)
 次の講習からはマジメに受けるようにしよう……


 ――――なんて、いろいろと考えている間に、いつの間にかBクラスの教室の中には、あたしと高樹くんが二人っきりになっていた。
(わっ!! しまった! もうこんな時間――!)
 壁の時計を見て、ビックリした。


 隣で高樹くんが、あたしの文房具の片付けを手伝ってくれている。
「じっ……自分でやるから、いいっ」
 あたしは彼の手にあるゲロゲロげろっぴの消しゴムをサッと手に取って、中身をグチャグチャに押しこめたカバンの中にコロンと放りこみ、教室の外に出た。




31>


「なみこちゃん!」
 あたしの名前を呼びながら、高樹くんが追いかけてきた。
 廊下にいる人たちが、みんな一斉にこっちを見てくる。
 恥ずかしい……。 早く外のバスに逃げ込みたい……。 廊下は走っちゃいけない……って、分かっているのだけど、この状況にとても耐えることができなくて、あたしは駆けだした。
「おいおい高樹ぃー、 彼女、嫌がってんじゃん。 そんなにいじめちゃ可哀そうだぜーっ」
「うむ! もっと優しくして差し上げぬと」
(ああ、もうっ、 やっぱり!)
 途中で高樹くんの友達が笑いながら冷やかしてくる声が、耳に入ってきた。
 彼らの隣にチラッと松浦くんの姿が見えた。 ――――でも、松浦くんは一緒になって笑ってはいない。 どうしてだろう……。 いつもなら困っているあたしの顔を見たらバカにして笑ってくるはずなのに、ものすごく不機嫌そうな顔でこっちを見ている。 そうだ、きっと彼も恥ずかしいんだろう。 こうやって、塾のみんなにバカにされているあたしと同じ学校に通っている、ということが――――。
(おねがい高樹くん…… もう追いかけてこないで――!)
 そう心の中で念じ、足の加速度を一段階アップさせた。
 しかしそんな念力も空しく、Aクラスの教室の中に残っていた人達までもがざわざわと廊下に出てきた。
 みんな、あたし達に向けて指をさして笑っている。
(見せ物じゃ ないっ!)
 真っ赤になって、あたしは廊下を全力疾走した。


 今一階に行ったら、きっともっと人がいるに違いない。
 あたしは階段を降りるのをやめて、三階へ駆け昇った。


 静かで暗くて、誰もいない……。
 急に走り出したせいなのか、それとも男の子に追いかけられたせいなのか、たぶん両方原因だと思うけれど、ドキドキする胸に手を当てながら、ぐるりと辺りを見回した。
 この階は、塾の教室としてはたぶん使われていない。
 廊下には、今では使われていない古いテキストのような物が入っている段ボール箱や、先生が数学の公式などを書いて黒板に貼るために使いそうな長い紙筒や、テストやお便りを印刷するコピー用紙等が、無造作に置かれている。 どうやらここは塾の倉庫のようなスペースとして使われているようだ。 ごちゃごちゃしているこの廊下の先は一体どうなっているのか、何の部屋があるのか――――暗くてよく見えない。
 息を切らし、力の抜けきったあたしは、すぐそばの壁にもたれて、ペタン、と座りこんだ。


 トン トン トン トン……
 階段を昇って追いかけてきた高樹くんが、あたしを見つけてニコッと微笑んで近づいて来た。 彼は隣に座り、あたしの肩に腕を回してきた。


「……つかまえ、た」