たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

50> 塾三日目(武藤なみこちゃん 主人公)


 ……バタン。
 ドアが閉まる音とともに、あたしの心臓が「ドキン」と鳴った。


「――――僕の気持ち……今、教えてあげたい。 なみこちゃんの事……どのくらい好きなのか――――」
 電気も点けずに真っ暗な部屋の中。
 高樹くんはあたしの肩に片方の手を乗せ、もう片方の手で髪を優しく撫でながら、耳もとで囁いた。
 初めてこの部屋に足を踏み入れた時は、何の部屋なのか分からなかった。 でも今は知っている。 ――――さっき松浦くんに教えてもらったから。 
 この部屋は、この塾に通うカップル達が二人っきりになって――――
(“どのくらい”って…… どうやって教えてくれるんだろう……)
 言葉で……?  ――――それとも行動で?
 暗闇に閉ざされて、彼の声だけしか聞きとることができない。 確か前にも彼に頭を撫でられたことがあったけれど、今は顔が良く見えないからなのだろうか。 それに“この部屋で二人っきりの状態”でされているからだろう、その時とは比べものにならないくらいドキドキする。
 髪を撫でる高樹くんの手の指が、時々あたしの首すじに軽く触れる。 触れられる度にあたしの体の力が少しづつ抜けていく。
 そのまま彼は髪を撫でていた手をスーッと滑らせて、今度は腕を撫でてきた。
「ここ…… さっき痛そうだったけど、大丈夫?」
(大丈夫じゃ……ない、よ……)
 あたしの足がブルブルと震え出した。
「どうしたの、足……  ――――なんか震えちゃってるよ……」
 高樹くんは少し腰を落として、腕を撫でていた手を太ももにあてた。
 あたしは今日、ショートパンツをはいてきたので、彼の手の平の体温をじかに感じる。 同時に彼の気持ちも充分過ぎるほどに伝わってくる――――


「高……樹くん……」
 あたしは、もう立っている事ができなくなってしまい、高樹くんにしがみ付いてしまった。
「なみこちゃん……」
 力が抜けきって、しがみついているあたしを支えながら、高樹くんはすぐ後ろにあるドアの横にあるスイッチを押し、電気を点けた。


「――――あっちで…… しようか……」
 高樹くんのさす指の先にはティッシュのゴミがいっぱい散らかったビリヤードの台があった。
 どうやらワインレッドの照明が高樹くんを狂わせてしまったようだ。
(待って……)
 あたしは、しがみつく腕に思いっきり力を入れた。 ――――これでも精いっぱいの抵抗のつもりだった。
 講習はまだ始まったばかり……。 あたし達二人が教室にいないことに、先生は気付いているのだろうか……。
 今、大好きな高樹くんと一緒にいるのに、できることならば、この部屋から逃げ出してしまいたい。 でも……嫌われたくない。
 震えるあたしの顔を覗きこんで彼は囁いた。


「やっぱり、初めてなんだね……
                       ――――大丈夫だよ。  ちゃんとおしえてあげるから……」




51>


「ん、しょっ ……と。  あはっ、すっげー。 なみこちゃん、軽すぎ。」
 あたしをお姫様抱っこして、やっと高樹くんがいつも通りの笑顔を見せた。
(お…… おちつけ、あたし……)
 あたしは今、自分と一緒に高樹くんの気持ちを落ち着かせる事、ただ、それだけを考えている。 まるで時限爆弾を処理する警察機動隊の様な気分だ。


「――ちょっと待ってて。 ここ、キレイにしないと……“できない”から……」
 彼はあたしをビリヤードの台に座らせた。 そして、足もとにゴロゴロと転がっている、中身が空っぽの封の開いた小さな段ボール箱を一箱手に取り、台の上に散らかっているティッシュのゴミを片付け始めた。


(逃げるなら…… 絶対、今、だよね……)
 そう思ってはいるのだけれど、こんな時になってもいっこうに震えが止まらないあたしの足。
 彼の気持ちを受け入れてあげたいけれども、体がいうことを利いてくれない。
 ――――第一ないでしょう…… こんな大胆な告白パターン……


 高樹くんは手際良くティッシュのゴミを片付け、さっきあたしが使って中身が無くなったティッシュの箱を潰している。
 彼のサラサラの前髪の間から、長いまつげのセクシーな瞳があたしをチラリと覗いた。
「なみこちゃんだけに、僕のカッコいー姿…… みせてあげる……」
 突然、高樹くんは上に羽織っているカーキ色のジャケットをバサッっと脱ぎ捨て、着ているシャツのボタンをプチプチと外しだした。


「!」
     (もしかして……  あたしが脱がされるんじゃなくって……
                                           ――――そっちが脱ぐのッッ!?)


「うっひゃあ!」
 高樹くんの突拍子もない行動に、一瞬目が飛び出てしまったけれど、慌ててあたしは両目を手で覆い隠した。
(おちつけ…… おちつけ…… おちつけ、あたしッ!!)




52>


「――――見てないじゃん、なみこちゃん……」
                               (……え?)
 あたしは目を隠した手の指と指の間から、おそるおそる高樹くんを見た。


 高樹くんはあたしの腰かけているすぐ横で、ビリヤードの棒を構え、台の反対側の端にいつの間にセッティングをしたのか、“ダイヤの形”に並べられた番号と色のついたボールの塊をめがけて、手元の白いボールを思いっきり突いた。
 彼はボールの塊をバラバラに散らばらせた後、棒を持ち、台の周りを歩きながら慣れた手つきで次々と白いボールを突いていった。 そして一番、二番、三番……と、番号と色のついたボールを若い番号から順番に穴へ上手に落としていった。
 ビリヤードなんて生まれてから一度もやったことがなく、もちろんルールも全く知らないあたしだけど、一目で彼の腕は相当なものだと思った。 高樹くんの隠れた特技に驚きすぎて、拍手をする余裕もなく、あたしは口を半開きにして彼を見ていた。


 ボールを狙う高樹くんの真剣な眼差し……。 腕まくりした、細めだけど引き締まった男らしい腕から伸びる、棒を持つ手。 そしてセクシーな指先……。
 上から三つ目までボタンの外したシャツからチラリと覗く胸元……。
「かっこ……いい……」
 もしも自分が今、少女漫画の中にいたとしたら、絶対目がハートになっている。
 あたしは高樹くんに魂を吸い取られてしまったかの様に、うっとりしてしまった。


 ビリヤードの台に腰掛けているあたしのお尻のそばに、高樹くんが突いた白いボールがゆっくりと転がってくる。
「ハッ」っと我に返ったあたしは手でよだれを拭いて、台から降りた。


「はいっ、 じゃあ次は、なみこちゃん……やってみて」


「えっ!?  う、うん……。 白いボールを突けばいいんだよ ね?」
 彼にいきなりビリヤードの棒を渡され、あたしは慣れない手つきで白いボールを狙って構えた。
「――――棒の持ちかたが…… わかんない……」
「初めて……だもんね……。 ふふっ、この棒“キュー”っていうんだよ」
「きゅっ、キュー?」
 心臓がキューキュー鳴り出した。
「構え方は……  なみこちゃんは右利きだから……こう持って……こう……かな?」
 へっぴり腰のあたしの後ろに高樹くんがピッタリと密着して優しく両手を回し、キューを持つ手を支えて親切に教えてくれる。
 近すぎる……。  ――――もう びりやーど どころでは ない……
 あたしの心臓の音を聞かれてしまうんじゃないかという心配をよそに、高樹くんはキューを持つ緊張で震えているあたしの手の上から自分の手を包みこんで、耳元で囁いた。
「五番のボールに当てるつもりで、白いボールの真ん中を強めに突いてごらん」


「は…… はいっ!」
 裏返った声の返事に加え、さっきからキューキュー鳴りっぱなしで止まらないあたしの心臓……。
 ずっとこのまま時間が止まってくれればいいのに――――




53>


 せっかくあんなに親切に高樹くんに教えてもらったのに、五回もファウルを(しかも二回、空振り)してしまい、やっとの思いで五番のボールを“ポケット”に落とした。
「――ふぅぅ」
          (情けない……  ホント、ダメ人間だ、あたし……)


「高樹くん……って、左利きなんだね……」
 苦笑いをしながら、おでこにかいた汗を手で拭った。
 高樹くんがズボンのポケットから左手でハンカチを出して、
「んー……、一応は両利き……なんだけど、左利きの人って少ないでしょ? ――――なんか、カッコいいかな、っと思って」
 彼は舌をペロッと出し、お茶目な笑顔を見せて、あたしのおでこをハンカチで撫でた。
(高樹くんは左利きじゃなくってもカッコいいよ……
                           ――――っていうか、両利きだなんて……すごすぎる……)


「――――僕……テクニシャンだからね……」
 高樹くんはビリヤードの台に腰掛け、あたしの手から取ったキューを背中側に持ち、六番のボールをいとも簡単にポケットに落とした。
 そして台から降り、あたしに向けて得意げな顔でウインクをしてきた。
(……え? 何シャン?)
 拍手をしながら顔面が固まった。
 お願いだから突然の英語はやめてほしい。 意味が分からず、あたしは茫然としていた。
 せっかくさっきまで雰囲気良く(?)弾んでいた会話が、あたしのバカさのおかげでプッツリと途切れてしまった。
(と……とにかく、この空気をなんとかして変えなくっちゃ――!!)
 あたしは頑張って返した。


「てッ…… “テクニッシャン”だなんて、すごーい、高樹くん!」


「なみこ……ちゃん?」
            (……えっ?)
                      ――――どうやら思いっきり墓穴を掘ってしまったようだ。
 高樹くんは大爆笑したいところを懸命に堪えている顔で背中を震わせながら、あたしにキューを渡してきた。


「あっ、 そ、そうだ!高樹くんっ!」
 あたしは受け取ったキューを、再び彼に渡した。


「このボール、九番までぜんぶ……ノーファウルで落としたら……
                   今度の日曜日……あたしとデート、してあげる……
                                                    ――――キスつきで……」