たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

109> 日曜日


 今度はきちんと…… する……
 松浦くんが今、あたしにしようとしている事は…… 多分――――
 あたしのくちびるにフワッと一瞬だけ彼のくちびるが触れて、離れた。
 暗い部屋の中で彼が今、どんな表情(かお)をしているのか見えない。 彼も同じ……あたしが見えていない。 まるで、あたしの気持ちを確認しているかの様なキスだった。
「武藤……?」
 “どうしたらいいんだよ……”
 あたしもどうすればいいのか分からない。
 数時間前に高樹くんに抱かれて……彼の愛に応えたばかりなのに――――


 「ごめんなさい……」


 ――――そう応えるしかなかった。
 曖昧な想いで小さな声でしか応える事ができなかったあたしの返事を何も言わずに受け取った松浦くん。 あごに添えられていた手も離された。
 今のあたしの一言で長年の想いに踏ん切りをつけたのだろうか。 あたしの身体から彼が離れていく時に感じた。 これからもう二度と……彼に抱き締められる事も、キスをされる事もない。 きっと今まであたしだけにしか見せていない、この……信じられない程に優しくて素直な松浦くんを見られるのも、夜空を走り抜ける流れ星の様に今夜だけで見おさめなんだ……。
 普段通りのあたしと松浦くんの関係に戻るだけ……。 もう相手にされない……。 これでせいせいするはずなのに――――
 正直言うと迷っている。 “本当にこう応えて良かったのだろうか……”と。
 分からない。 今わたしが好きなのは“どっち”なのだろうか。 選べない…… 選びたくない――――。
 ベッドがミシッと音を立ててきしんだかと思ったら、松浦くんがベッドから降りていた。
 ベランダの窓から月が顔を出し、優しい光が彼の背中を照らした。


「こっちこそ、ごめん な……
                  せっかく隣同士で住んでンだから、もっと仲良くすれば……よかったな……」


(あ、れ……?)
 心臓がドキドキと音を立てて刻みだし、鼻が急に詰まって――――
(や……やだっ……  どうして……?)
 あたしの目から大粒の涙がボロボロとこぼれ出す。
 瞼に力を入れて目をつむって止めようとしても止められない。 嬉しいのか悲しいのか何なのか分からない感情が溢れ出して止まらない――――
 ずっと嘘だと思っていた“あの話”は本当……だったのかな?
 鼻をすすって聞いてみた。


「お母さんがね、 へんなこと言うんだよ……」
「ん?  ああ、おまえの母さん面白ぇもんな。 まぁ、おまえほどじゃあねぇけど。 ……で? なんだ?」
「うん…… すごく昔の話なんだけど、松浦くんがあたしの家に遊びに来る度、いつもね……いつも欠かさずお花を摘んできたんだって……


 ボサッ!
 なにか大きな物があたしの上に被さってきた。 “松浦くん”ではない。 軽くて、ふんわりとした……今度は本物の掛け布団だった。
「おまえ、寝相悪すぎだな!」
 さっきあれだけ必死になってベッドの上を探したのに見つける事ができなかったこの掛け布団は、どうやら床の上に落ちていたらしい。 松浦くんはそれを拾って投げ付けてきたのだ。 それにしても“好きな女の子”に対してこの扱いだなんて……。 こんな不器用過ぎる意思表示は超能力者とかじゃないと絶対分からないような気がする。
 でも、布団のおかげでなんとかやっと裸の姿を隠す事ができて良かった。 ついでに服を取ってもらおうとお願いしようとしたら、
「ホラよ。 さっさと着ろ」
 ぐじゃぐじゃの塊に丸めたパジャマと下着が布団の中にギュッと押し込まれてきた。
(超能力持ってるのかな…… 松浦くん……)
 そう思いながら、もぞもぞと布団の中で着替え中に交わした会話は――――


「……見た?」
「は?」
「あたしの裸…… どのくらい 見た?」
「――プッ!  昔、俺等しょっちゅう一緒に風呂入ってただろ?  んー……、そーだなー、あン時からあんまり……いや、全く成長してねぇような“可愛い裸”だった。 ……そのくらい見たな」
「………。」
「んん? どうしたのかな? “なみちゃん”?」
「松浦くんのバカぁ…… あたしもうお嫁にいけない……」
「今まで生きてきた中で俺に向かって“バカ”って言ってきたやつは、よく考えてみりゃおまえだけだったな。 ……よりにもよってなんで“おまえ”なんだろうな。 不思議だよなあ、こりゃ笑えるわ、ハハ。」
 ――――松浦くんこそ、いくら顔だけは良くたってそんな性格じゃ一生結婚なんてムリだよ……
 ブツブツ言いながらあたしはパジャマのボタンを留めた。


「……いいか? 電気点けるぞ。  おまえが今、どんな顔してるか思いっきし見てやる」
 電気を点けてあたしを見た松浦くんは、顔を真っ赤にして――――大笑いしだした。
「ぶっはははは……!!  まぬけだ、こいつ……!」
 あたしはパジャマのボタンを掛け違えていた。 ……しかも二つも。
 どおりでボタンの数がやけに少ないな……と思ってはいたけれど――――
 人差し指をあたしに向けて指し、“あの松浦くん”が涙を流し、お腹を押さえて笑っている。
 “まぬけ”だと言われているのに怒れない。
(松浦くんって、こんなに笑うんだ……)
 ずっと探し続けていたものをやっと手に入れる事ができたみたいに嬉しくて…… わたしは掛け違えたボタンを直しながら、「えへへ……」と彼と一緒に笑った。


『もっと仲良くすれば良かったな……』
 ただ、ずっと掛け違えたままになっていただけ……  直せばいいんだ――――