たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~
作者/ゆかむらさき

54> 塾三日目(武藤なみこちゃん 主人公)
「………。」
――――部屋の中が急に静かになった。
あんなあたしの言葉をまともに間に受けたのか、ビリヤードの台の周りをゆっくりと歩きながら、真剣な顔で残っている七番、八番、九番のボールと、ポケットの位置をキューを使って計算している高樹くん。
思わず“照れかくし”でとっさに出てしまった、すっとんきょうな言葉なのに……
しかもこんなにカッコいい高樹くんに向かって、キスつきのデートを“してあげる”だなんてエラそうに、何を言っちゃってんのだろうか、あたしは……
もうこれ以上何も言わないほうがいいのかもしれない。
あたしは自分のくちびるをギュッと締めて高樹くんを見た。
「一発で…… 落とす……」
彼は唇を噛みしめてキューを構え、白いボールを思いっきり突いた。
白いボールが台の壁に跳ねかえりながら転がり、色のついたボールに当たる度にあたしの胸が震える。 ビリヤードはボールの位置を把握するだけではなく、微妙な力の加減も大事なのだ。 それができないと、こんな風に……一回突いただけで残り三つ、全ての色つきボールに当てることなんてできない。
そんな事ができるだけでもすごいのに――――
ガコン…… ガコン……
――――ガコン。
七番、八番、九番…… 番号の付いている全てのボールは、次々と綺麗にポケットに落とされていった。
「――――すっ……ごぉい……」
白いボールは、高樹くんの勇姿にうっとりと口を半開きにして見とれてしまっているあたしの手元に、コロコロと転がってきて止まった。
と同時にあたしの心も高樹くんの一発で……落とされてしまった……。
「今度の日曜日、午前十時、この塾の前で待ってる。
――――キス……楽しみにしてるよ……」
高樹くんは嬉しそうにビリヤードのボールとキューを棚の中に片付けている。
さっきボールの軌道を予測して計算していた高樹くんの顔を思い出した。
(あたしのことも真剣に考えてくれていたんだね。 ――――ごめんね。 めちゃくちゃなこと言って試しちゃったみたいで……)
あたしは彼の方にゆっくりと近づき――――後ろからフワッと抱きしめた。
「あんなに上手だなんて…… 反則だよ……」
「ふふっ。 友達とゲーセンで一時期どっぷりハマッちゃってね…… 気が付いたらなんか上手くなっちゃってた。 うん…… でも今はもう“ちがうもの”にハマッちゃってるんだけど ね……」
(? ちがう もの……?)
高樹くんはあたしの手をほどいて振り向き、両手であたしの頬に指を添え、優しくキスをした。
「ごめん。 我慢できなかった……。
こんなに可愛いなんて…… なみこちゃんのほうこそ…… 反則だよ」
キーン コーン……
前半の講習終了のベルが鳴り出した。
55>
☆ ★ ☆
Bクラスの教室に戻ったあたしは、次の講習の科目の準備もせず自分の席で、今日一日だけで二人の男の子にたて続けにキスをされた事が信じられなくて、何回もほっぺたをつねっていた。 何回つねっても……痛い。
高樹くんは“やりまくりべや”に着ていたジャケットを忘れたらしく、取りに行っている。
「……はぁ」
両手の平を頬に当てて、あたしは大きなため息をついた。
ほっぺたがこんなに熱いのは、つねりすぎたからなのか…… それとも――――
(――――デート、どうしよう……)
今まで男の子とまともに話すらした事がないあたしなんかが、知りあってたった三日の……しかも通う学校の違う男の子、高樹くんと二人っきりで一日を過ごす事になるなんて考えたことも無かった。
(しかもキスつき……)
つねったほっぺたの痛みの熱はだんだん引いていくはずなのに、どんどんあつくなる――――
あたしは、まだ準備もしないで何も置いていない机の上にほっぺたを付けて冷ました。
「ふふっ。 どうしたの?」
取りにいったジャケットを肩に掛けた高樹くんが、いつの間にか教室に戻ってきていた。 そして机の上に顔を付けてつっ伏しているあたしの耳元で囁いた。
「……なに? 今になって緊張してきた?」
「高樹くーん。 ちょーっと聞きたいんだけどさー……」
高樹くんと同じ学校の子だろうか。 いきなり現れたクラスの女の子があたしの隣で彼と話をしている。
どうやら話の内容は勉強の事の様だけど、時折、彼女は高樹くんの肩に手を置いたり軽く押したりしてなんだかとても親しそうだ。 それに……あたしなんかといるよりも、彼女と一緒にいるほうが似合っている。
見たくない……。 あたしは机の上に置いた自分の腕の中に顔をうずめた。
胸がキューッと締めつけられて苦しい。 仲良さそうに話す高樹くんとナゾの彼女(?)の会話……聞きたくないくせに自然と聞き耳をたててしまう――――。
ゆっくりと顔を上げて、彼らを視界に入れないように教室の中をぐるりと見渡すと、あたしなんかよりも何十倍もかわいい女の子がいっぱいいることに気付いた。
「――――なみこ、ちゃん…… でしょ」
隣で高樹くんと親しそうに話している女の子が、長い黒髪をかきあげながら突然あたしに話し掛けてきた。
56>
「おウワサは かねがね聞ーてマー……ス」
(うっ…… うわさ!?)
“美しい”と“可愛い”をともに兼ね備えた、ほっぺに“えくぼ”をつけた笑顔の似合う長い黒髪の女の子。 彼女はあたしに向けた人差し指の先をクルクルと回しながら大きな瞳でジーッと見つめてくる。 どうやら彼女はあたしの事をいろいろと知っている様だ。
(あたしはこの子の事、何にも知らないのに……)
それにしても“ウワサ”なんて一体誰から聞いたのだろうか。 もしかして――――
あたしはおそるおそる高樹くんの顔を見た。
彼は右手で頬づえをつきながら、あたしを見て微笑んでいる。
(――――えっ? 高樹くんどうして笑ってるの……?
今度の日曜日、あたしたちデート……するんでしょ……?
この状況…… 絶対、気まずいはずなのに……!!)
高樹くんは優しくてかっこいいから女の子にモテるのは当たり前……。 でも……さっきのキスは一体何だったの……?
今までお互いの想いが通じ合っていたと思っていたのに彼の気持ちがさっぱり分からなくなってしまった。
モヤモヤとあたしの頭の中に黒い霧がたちこめる。
確かにあたしは高樹くんに「可愛い」って言われただけで、まだ「付きあってほしい」とは言われていない。
(あっ…… そういえば、前に読んだお母さんの週刊誌に書いてあったっけ――――)
“男はその場の雰囲気で、好きでもなんでもない女に簡単に「好き」と言えるし、キスだってできる。”
思いあたるふしが……あった。
それは“やりまくりべや”に松浦くんと一緒にいた時――――彼はあたしのことが嫌いなはずなのに……キスをした。
キスをされる前に、松浦くんに言われた言葉を思い出した。
「どうせ、恋愛小説なんかの世界にでも夢見て 浮かれちまってんじゃねぇのか?
――――おまえ……高樹にメチャクチャにされるぞ……」
57>
さっきから、あたしの顔をまるで品定めをしているかの様に見てくる黒髪の女の子は、再び口を開いた。
「なみこちゃんのこと、“マスコット・ガール”なんだってー。 健たちがいっつも言ってんだぁ。 ウフ、ホントだねーっ、イマドキ珍しい純情そうなかわいーコだぁー。
あっ、申し遅れちゃったケド、あたしの名前は小栗由季。 Aクラスにいる高樹くんの友達の『健』っていうヤツの彼女でーすっ。」
キーン コーン……
後半の講習の始令のベルが鳴った。
(健……。 なんか聞いたことがある名前だな……)
「――――覚えてる? この前なみこちゃんのおしりを触った僕の友達……
――――の“彼女”だよ」
高樹くんがあたしの方に身を乗り出して顔を近付け、耳打ちをした。
「あはっ、 なんか違う学校のコが友達って魅力的ッ。 仲良くしよーね! な・み・こ・ちゃんっ!」
さっき高樹くんに見せていた笑顔と変わらない笑顔で嬉しそうに、握ったあたしの両手をブンブンと大きく振って“由季ちゃん”は自分の席に戻っていった。
茫然としてる間に、先生が教室に入ってきて講習が始まった。
「心配…… した……?」
隣で高樹くんは回していたペンを机の上に置いて、あたしの手をふんわりと握ってきた。 彼に握られた手に持っている蛍光ペンがブルブルと震えている…… 目頭が…… あつくなる……
「心配なんて、しなくていいよ……。 さっきなみこちゃんが松浦くんに連れていかれた時の、僕のほうが心配したよ……」
頭の中にたちこめていた黒い霧が一気に晴れて、一粒の涙があたしの頬をつたった。
あたしはそれを軽く指で拭い、高樹くんに笑顔を見せた。
「エへ。 エへへ…… 心配なんてしなくていいよ……
――――松浦くんとあたしだなんて……ありえないよ……」
――――あたしはまだ 知らない。
あたしの見ていないところで 高樹くんと松浦くんの戦いの火蓋がきられて落とされていたことを……

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