たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

37> 塾二日目(武藤なみこちゃん 主人公)


 バスに乗り、あたしは松浦くんのとなりの席に座った。
「じゃ、出発しますよ。」
 バスが動き出した。


「待たせてごめんね…… 松浦くん……」
「………。」
 あたしのせいでこんなに帰りが遅くなっちゃって……。 一応、謝ったはいいものの、やっぱり怒っているのか松浦くんは、何も言わずに肘をつきながら窓の外を見ている。
(チラッとでもいいから、こっち見てくれたっていいのに……)
 あたしに対して……だけなのかもしれないけれど、やっぱり彼の心は氷の様に冷たい。 いや、違う……アレは氷なんかのレベルじゃない。 ドライアイスだっていったほうがいいかもしれない。
 こんなひとに謝るんじゃなかった……。


 初めて塾に行く時に、松浦くんに「あたしには 友達がいない」とバカにされた事を思い出した。 悔しいけれど、こんなに冷たくっていじわるな彼なのに、何故か学校では友達がいっぱいいて勉強もできるから頼りにされていて、女の子にも結構モテている。
 あたしは隣に座っている松浦くんの顔をチラッと見た。
 スッと通った鼻すじ、切れ長の目……どうもこのすました顔が母性本能をくすぐるのか、お母さんまでもが彼のことをハンサムだって言っている。
 きっと塾でもそうに違いない。 みんな“本当の松浦くん”を知らないから騙されているんだ――――
 あたしは膝の上に乗せた手を思いっきり握りしめた。
「こっ、こんなあたしでもねっ…… 友達……ちゃんとできたんだよ……
                                ――――もう一人なんかじゃないもん……」
 震えた声で挑発し、得意げな顔を作り、彼を見た。


「……誰だ。」
 少し間をおいて、松浦くんはそのまま窓の外を見ながら聞いてきた。
「えっと…… 同じクラスの……高樹……純平くん……」


 ガンッ!!
 松浦くんは足で思いっきり前の座席のシートを蹴りつけた。 シートが壊れるかもしれないくらいの大きな衝撃音がバスの中に響き渡った。
「こっ、こらっ! 乱暴はやめなさいっ、松浦くん!」
 ハンドルを操作しながら蒲池先生が彼を叱った。
「――チッ!」
 松浦くんは一瞬だけあたしの顔を見て舌打ちをして、また窓の外を見た。


(まっ、負けないもんね……)




38>


「今日は寝ないんだな……」
                   「……えっ?」
 相変わらず窓の外を見ながらの姿だけど、突然、松浦くんに話しかけられた。 怒っていたからもう家に着くまで会話しないと思っていたのに――――
「だって…… 眠たくないもん……」
 あたしは小さな声で返した。
「――フン、どうせお前のことだから、講習の時間に居眠りでもしてたんじゃねーの?  ダラダラよだれでも垂らして」
 彼は鼻で笑って、またいつもの様にバカにしてきた。
「余裕だねェ、 もうすぐテストだっていうのに…… ハー、うらやましい」
 彼は成績が全教科校内学年トップのくせに、わざと針でつつくような嫌味を言ってきた。
(……?)
 彼にこんな事を言われるのは、いつものことだと分かっているけれど――――なんだか違う。
 何となく、ただ単にあたしをいじめているだけではない様に感じた。 ……まるで何か面白くないことがあって八つ当たりをされているような――――
(気のせいかな……? なんだか松浦くん……今夜は特に……)
 確かにさっきシートを蹴りつけて怒っていたみたいだけど、よく考えてみれば、“あたしにお友達ができた”ことで、どうして松浦くんがあんなに不機嫌になるのかが分からない。 もとはといえば松浦くんが初めにあたしをバカにしてきたのが悪いんだ。


 とにかく相手の顔も見ないで、ヒドいコトをサラサラッと言ってくるところが許せない。
「べっ……勉強?  う、うん 、してるよ。 ちゃんとしてるもん……」
(ホントは全然してなくって焦ってるんだけど)さっきよりも小さくなった声で返した。




39>


 バスが赤信号で止まった。
――――赤信号か。
 あたしも、もうこれ以上余計な事を言わないことに決めた。
(相当キライなんだな…… あたしのこと……)
 無表情で窓の外を見ている松浦くんを見て思った。
 ただあたしは…… さっき、いっぱい待たせちゃったから、謝りたかっただけなのに……
                               ――――やっぱり松浦くんのとなりになんて座るんじゃなかった。
 バスが止まっている今のうちに、彼から離れた席に移動しようとあたしは席を立った。
 瞬間、信号が青に変わり、再びバスが動きだし、左折をした。
「ひゃあッ!」
 そのままバランスを崩し――――松浦くんの上に倒れこんでしまった。
「イタタタ……」
 ――――気がつくとスゴい体勢になっていた。
 両手を松浦くんの肩の上に乗せ……おそらくあたしはバスが左折をした時に、大胆にも彼の胸の中に顔からダイブをしたのだろう。 彼が首に掛けている銀色のペンダントにぶら下がっている、十字架の形にクロスした二本の剣(つるぎ)のヘッドが目の前で狂気を放ち、冷たく光っている。
 おそるおそる顔を上げると――――松浦くんの顔があった。 彼は目を丸くして固まっている。
「うわっ!  ご、ごめん……なさいっ!」
 彼の顔をいきなり至近距離でみたものだから、取り乱して思わず「うわっ」と叫び声が飛び出てしまった。 
 あたしは怖くなって、動いているバスの中にも構わず立ち上がり、彼のそばから逃げようとした。


「武藤さん! 運転中に席を立たないでください。 危ないですよ!」
 先生に注意をされ、仕方なくその場に座った。
 隣で松浦くんが、すごくイヤそうな顔であたしを見ながら、まるで汚いゴミでも付いたかの様に上着を両手ではらっている。


「――チッ!
         痛いのは俺のほうだ……」




40>


(あっ、そうだ。)
 実は松浦くんに謝った“ついで”に聞きたい事があったことを今思い出した。
「ねぇ……松浦くん……」
「………。」
 松浦くんは一瞬だけこっちを見たけれど、やっぱり何も言わずに窓の外を見た。
 絶対聞こえているはず…… ここで引き下がったら、あたしの“負け”だ。
 それにバスに乗る前からずっと気になっていた“アレ”の意味を聞くまでには気持ちがおさまらない。
「松浦くんっ」
 あたしは彼の膝の上に手を置いて揺らした。
「なに!」
 面倒くさそうに、彼は鋭い目をして睨みつけてきた。 あたしは思い切って……聞いてみた。
「……“処女”って……  なに?」


「……――ッ!!
        ――――はあ!?」
 一瞬、バスの中の時間が止まってしまったような空気になった。
 隣で松浦くんが、顔を真っ青にして固まっている。
(あれ? 聞こえなかったのかな?)
 松浦くんは何も返してこない。
 あたしはもう一度聞いてみた。
「ねぇっ、 処女って、どーゆう意味なのか……」


 キ――――ッ!!
 同時にバスも急ブレーキをかけて止まり、「もう かんべんしてくれ」というような顔で、先生は運転席から首を出して振り向き、あたし達の方を見てきた。


「……それ……あいつが……  高樹が、言ったの か……?」
 松浦くんが声と体を震わせながら問いかけてくる。
(こっちが聞いてるのに聞き返してこないでよ……)
 “ソレ”を言ったのは高樹くんじゃなくって……高樹くんの“友達”だったんだけど……
 ――――そんなことよりも彼の反応を見ると、やっぱり……いや、絶対意味を知っているようだ。
「知ってるんなら教えてくれたっていいでしょ、 ねえっ、処女っ……
                                             ――もが!」
 松浦くんの大きな手が、あたしの口をガバッと塞いだ。 まるで人質に捕らわれたかの様に、彼の腕が首に巻きついていて身動きが取れない。 おまけに息もできなくて、あたしはバタバタともがいていた。
「だまれ……。  わかったか……」
 あたしは何度も首を縦に振って、松浦くんの手を離してもらった。
「もッ、もうすぐ着きますから、おとなしく座っていてくださいね…… おとなしく……」
 先生はオドオドした声でハンドルを握り、バスが再び動き出した。




41>


 松浦くんは、あたしの口を塞いでいた手を自分のズボンで拭いてから、一回せきばらいをして、
「……経験が、まだ……って、ことだよ……」
 自分の顔を手で覆いながら説明をしだした。
 説明とはいっても何だか曖昧で、あたしは意味が分からず、さらに聞き返した。
「“経験”……って  ――――何の?」
 空気が再び凍りついた。
「え! ……ええッ!?」
 松浦くんは、あたしの足の付け根の辺りに視線を落とし、顔を真っ赤にして呼吸を乱した。 いつもの超クールなポーカーフェイスの彼とはとても想像がつかない顔を見てしまった。 返事を待っているあたしの顔を「そんなに見てくるな」というような顔で何度もチラチラと見ながら、ろれつの回っていない慌ただしい口調で、
「うん…… だっ、だからな……その……せっ……性……」
 と、言いかけたところでバスが止まった。


「ハイ! 着きました! さようなら、武藤さん、松浦くん!」
 ずれたメガネをかけ直している、なんだか焦った様子の先生に、あたし達はムリヤリバスから降ろされた。
――――そのままバスは逃げるように去っていった。
(先生も、知ってたのかな……)
 結局、あたしだけが意味の分からないまま――――
「……むぅっ」
 なんか……後味が悪い。 あたしは心の霧が晴れない気分で、すぐ横にいる松浦くんを見上げた。


「お……ッ! ――おまえのことだッッ!!」
 怯えた顔で彼は言い放ち、大慌てで家に帰って行った。


 21時過ぎの閑静な住宅街に、松浦くんの家の玄関のドアを閉める音が大きく響き渡った。