たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

46> 塾三日目(武藤なみこちゃん 主人公)


(“借りる”とか“返す”って……あたしを物扱いしないでよっ!)
 いつも威張ってて、二重人格で、あたしの事をバカにして……大っキライ!
 そんな松浦くんは階段を、あたしの腕をグイグイと引っ張って、あたしたちの教室のある二階を越えて、三階へと向かって昇っていく。


「誰も見てないから…… いいじゃん……」
――――あの日の夜のことを思い出した。 三階の廊下は高樹くんともう少しでキスをしたかもしれなかった思い出の場所。
 松浦くんとなんて――――絶対に行きたくない!


「やだッ! あたし いきたくない! ――戻るッ!」
 二階と三階の間のおどり場で、あたしは彼につかまれた腕を離そうと必死で抵抗した。 しかし男の子の強い力になんて到底かなうワケがない。
「……チッ! うるさい女だな……」
 舌打ちをして松浦くんはあたしを軽々と持ち上げ、十キログラムの米袋を運ぶときの様に肩に担いだ。 そのまま三階の廊下を、足元に無造作に置かれている段ボール箱を足でかき分けながら、まっすぐ進んでゆく。 高樹くんとはここまで廊下の奥には来てはいない。 日はすでに落ち、電気も点いていない暗い静かな廊下。 暗い事だけではない。 今、一番怖いと感じるのは、いつもとは明らかに様子の違う松浦くん。 あたしをどこに連れて行き、何をしようとしているのか――――


 気が付くとあたしは廊下の一番奥にある、怪しげな部屋の前に連れてこられていた。 一階と二階の塾のドアとは違う、黒いレザー張りの扉が目の前に立ちはだかっている。
 そういえば……ここは塾になる前はパブとか……そういうお店――――
 “空”と黒いマジックで書いてある段ボールの切れはしで作った表札が、ドアの取っ手に掛かっている。 松浦くんはそれを裏にひっくり返し、“使用中”に変えてあたしを担いだまま中に入った。


 部屋の中は、見渡してもどのくらいの広さか分からないほど真っ暗で何も見えない。 ほこりっぽくて、変なにおいがする。
「――ひゃっ!」
 多分あたしの顔にクモの巣がダイレクトに引っ掛かった。
「……松浦くん、 ここ……何の、部屋……?」
「………。」
「なんの へやなの!!」
「………。」
 ――――返事が返ってこない。
「……おろして。」
 あたしを担いでいる松浦くんの顔が向こう側にあって、彼が今どんな顔をしているのか分からない。
(スキを見て……逃げよう……)
 あたしは今、その事ばかりを考えている。


 カチャン……
 松浦くんは何も言わずにドアの鍵を閉めた。
 彼はおそらくこの部屋が何の部屋なのかを知っているのだろう。 そして、ここでわたしに何かしようとしている。
                                                     今さら気付いたって――――もう遅い。
 あたしは、まんまと松浦くんの罠に掛かってしまった。




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……パチン。
 松浦くんは担いでいたあたしを降ろし、電気を点けた。


「!」
 突然、部屋全体がワインレッド色に染まった。 天井も、壁も、床も……全部同じ色。
 自分の両方の手の平を広げ、顔の前に近づけた。 手のひらも……体もワインレッド色になっている。
(なに この色……)
 背後からワインレッド色になり、さらに怪しい雰囲気をパワーアップさせた松浦くんがゆっくりと近づき、あたしの肩にそっと手を置いた。
「ん?  ああ、確かに変だよなァ、この照明の色。
      誰かが蛍光灯に細工でもしたんだろ。 勉強もしねぇで、こんなことに時間費やして……
                                                  ――――お盛んなやつらだぜ、まったく」


 まるで赤ワインの入ったグラスの中に沈んでいくような気分。 ――――ずっとこの部屋にいたら、本当に酔っぱらってしまいそう……。
 あたしは、おそるおそる部屋を見渡した。
 壁にはダーツボードが掛けられていて、床には、ほこりだらけのお酒が何本か入った木箱。 部屋の端にはボロボロのビリヤードの台がたくさん積み上げられていて、その中の一台が、部屋の真ん中にポツン、と置かれている。 台の上には箱ティッシュ一箱と、丸めたティッシュのゴミがゴロゴロと散乱している。


「この部屋が……なんの部屋か、って?」
 松浦くんはあたしの両脇に手を入れて、まるで小さな荷物を運ぶ様に軽々と持ち上げ、部屋の真ん中に置かれているビリヤードの台の上に座らせて話し出した。
「ヤリまくり部屋……って、俺たちは言っている……。 そういえば、おまえはまだ、この塾に入ったばかりだから知らねぇか。」
(やりまくり、べや……?)
 ビリヤードをやりまくるのだろうか。 ――――絶対そんなワケがない。
 ニヤニヤしながら話す松浦くんの顔を見て、あたしは察した。  
 集中どころか頭がおかしくなりそうな部屋の色。 それに……こんなにゴミが散らかった傷だらけの台でビリヤードなんてできるのだろうか――――  
「この塾のカップル達が、“楽しーコト”スルための部屋…… だってさ」
 彼はあたしの表情をおもしろそうにうかがいながら、着ているパーカーのえり首から手を忍びこませ、鎖骨を指でゆっくりと撫でてきた。
「なァ……これ以上言わせる気かよ……。 ホントはもう分かってるんじゃねーのか。 ――――いじわるだなぁ、なみこ……」
「……やめてッ!!」
 全身に鳥肌が立ったあたしは、彼の手をつかんで止めた。


「俺がいつも、どんな気持ちでいるのかも知らねぇでヘラヘラしやがって……。
                どうせ、恋愛小説なんかの世界にでも夢見て浮かれちまってんじゃねぇのか?
                                      ――――おまえ……高樹にメチャクチャにされるぞ……」


 ワインレッドの照明が、あたしのいかりの炎を増強させる……。
「へっ、変な事言わないでよッ! 松浦くんのバカ! 大っキライ!!」
 あたしはビリヤードの台の上から、目の前の松浦くんを思いっきり蹴飛ばして叫んだ。
 松浦くんはあたしに蹴られて倒れている。
 勢いだとはいえ、マズい事をしてしまった……
(に…… 逃げよう!!)
 あたしは慌てて台から降りて、視線をドアに向けた。
「――っ! 痛ぇなコラ!!」
 彼は起き上がり、あたしを睨みつけて飛びかかってきた。


「 !! 」
 突然、あたしは松浦くんに強く抱きしめられた。」




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「――――これでも、まだ、わかんねぇのか、 ……バーカ。」
 プライドの高い彼の事だから、蹴られた仕返しに十倍返しで反撃されると思っていた。
 あたしは恐怖と混乱で、松浦くんの胸の中で固まってしまった。
 気のせいなのかもしれないけれど、バカにされた言葉のはずなのに、何故だろう……あたしを抱きしめながら耳もとで囁く彼の声が、少し震えていた様な感じがした。
 松浦くんはあたしに何か大事な事を伝えようとしているみたいだけど、はっきり言ってくれないから分からない。 そんなことよりも、身長170センチ近くもある彼に、こうやって力の加減無しで覆い被されている状態で抱きしめられていて苦しい。
 たぶん、もう一分以上もこの体勢ではないだろうか。 ――――いい加減に離してほしい。
(蹴っちゃってごめんなさい、って言おう……)
 ――と思った時に、彼は抱きしめる腕の力を緩め、あたしの顔を覗きこんできた。
 研ぎ澄まされた刃のような視線を顔面に突きつけられ、あたしは言葉を失った。


「俺が先に…… 奪ってやる……」


「 !! 」
 口の中にミントの味が広がった。
 あたしのファーストキスは、予想もできない不意打ちで松浦くんに奪われてしまった。
「……じゃあな。 楽しかったぞ、なみこ」
 あたしのくちびるを指でギュッとつまんで鼻で笑い、彼は一人で部屋を出て行った。


 あたしの口の中に、噛みかけのガムを残して――――




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     ☆     ★     ☆


(……よし。  松浦くん、もういないな……)
 “やりまくりべや”のドアを開け、顔を出して覗いて確認をしてから、あたしは廊下に出た。
 でも、いくらこんな事をしたって、どうせまた帰りのバスでイヤでも顔を合わせなくちゃいけない。 彼からは逃げたくても逃げることができない。
 さっき、松浦くんに強引に口移しで放りこまれたガムも捨てて、くちびるも箱ティッシュが空っぽになるまでいっぱい使って拭いた。 でも……ミントの味が消えただけで松浦くんの味は消えてくれない。
「楽しかったぞ…… なみこ……」
 勝手にあんな事をしておいて“楽しかった”だなんて……。 あたしを見下ろし、いやらしく笑っていた彼の顔も消せない。 
 昨夜、せっかく“素敵な思い出の場所”として胸の中に残しておいた“三階の思い出”が、松浦くんのせいで、今夜一気に“最悪の事故現場”へと崩れ堕ちてしまった。
 思い出したくない……。 もう二度とここへは来たくない――――。
 あたしは両方の手の平をギュッと握りしめ、早歩きで廊下を渡った。
 教室に戻ろう。 とにかく高樹くんの前では、何もなかったような顔していなくっちゃ――――


「!」
 階段を降りようとしたら、二階から高樹くんが昇ってきた。
(どうしよう……  よりにもよって、こんなところで会っちゃうなんて……。 三階に松浦くんと一緒にいた事、知られちゃったかも――――)
 あたしは頑張って何も無かった様な顔をしたつもりだったけれど、絶対、動揺している顔になっていた。
 いつもなら「なみこちゃん」と、優しい笑顔で呼んでくれる彼が、あたしの顔を見ても何も言わずにゆっくりと昇ってくる。


 キーン コーン……
 高樹くんが階段をあたしのいる所から一段下の段まで昇ってきた時、始令のベルが鳴り出した。
「――――サボっちゃおっか」
               (え……?)
 驚いている間もなく、あたしの手は彼に握られ、再び三階に連れて行かれた。
 ――――松浦くんだけではない。 高樹くんの様子も今日はなんだかおかしい。
「だっ、だめだよ高樹くんっ、 戻らないと叱られちゃうよ……
                         あたしたち、この前も問題起こしてるし……マズいよっ……」
 高樹くんに手を引かれ三階の廊下を渡りながら、頭の中に色んなことが浮かびあがってくる。
 ビリヤードの台の上で高樹くんに……キスされて……
                           服を脱がされて……
                                   キスされて……
                                        いろんなところを触られて……
                                                    キスされて――――


     ☆     ★     ☆


 気がつくとあたしたちは“やりまくりべや”の前に来ていた。
 高樹くんはドアを開けて、あたしの背中を押した。


「僕のこと嫌いだったら……
                              ――――ごめん。」