たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

77> 塾三日目(武藤なみこちゃん 主人公)


「どけ。」
 こんなにも大きくて恐いガリバーが相手なのに、なるほど……“態度”だけは大きいからなのだろう。 物怖じをした顔なんてこれっぽっちもしないで、松浦くんはあっさりと彼の太い腕をつかんだ。
(あっ……  もっとお手柔らかにしておいた方が……)
 あたしの心の中の助言に全く気付きもしないで、彼はそのまま強引にガリバーを引っ張り出し、あたしの隣に座ってきた。
 この先ガリバーがどう出てくるのかは少し気になるけれど、“ムリヤリ襲われる”事はなんとかまぬがれた様で、とにかくこれで安心した……はずなのに、ガリバーにすごまれていた時よりも、あたしは今ドキドキしている。 なぜだろう…… このドキドキする気持ちは高樹くんと一緒にいる時の気持ちに似ている……。 きっとこれは普段あたしに意地悪な所しか見せない彼に助けてもらったからに違いない。 
 隣のシートで松浦くんはあたしの顔をジッと見つめている……。 
 あたしの心臓がさらにドキドキしだした。 だって……“あの”松浦くんが不思議とかっこよく見えてしまうのだから――――


「……なみこ、おいで。」
(おっ、おいで?)
 松浦くんはいきなりあたしの肩に腕を回し、抱き寄せてきた。 そしてあたしの耳もとに口を近付け囁いた。
「不自然に振る舞うな…… 俺に合わせろ……」
(え……?)


「おい、おまえら二人……  本当に愛し合ってんのか? あ?」
 ガリバーがあたしたちに疑いの目を向けている。 そういえば、さっきの松浦くんの“作り話”によると、あたし達は“深く愛し合っている関係”になっている事に気が付いた。


「――ホラみろ」
 松浦くんは再び耳もとで囁き、あたしの足のつま先をかかとで踏んづけてきた。
「俺の目をまっすぐ見ろ……  ――うっとりした顔でだ」
(げっ! ちょっと待ってよ、不自然に振る舞うな、とか、うっとり……って!!  でっ、できるわけないでしょ、松浦くんなんかに――――!)
 あたふたしていたら再び彼につま先を踏んづけられた。
(ああ、もうっ! 松浦くんが高樹くんだったらいいのに……  ――そうだ!!)
 あたしは頑張ってむりやり松浦くんを高樹くんだと思い込んだ。 ――――しかしダメだった。 やっぱりこれは少し……どころじゃない、かなりムリがある。
 ガリバーは腕を組み、不気味に八重歯を光らせてあたしたちを見下ろしている。
 とにかくあたしは松浦くんに言われる通りに頑張ってみることにした。
 とりあえず……まずは松浦くんの顔をうっとり(?)した顔で見た。 しかし、その顔がどうやら不自然だったらしく松浦くんは「プッ」と吹き出した。
 ――――果たして、こんなやり方でガリバーを騙すことができるのだろうか……


 心配だったけれど、やはり頭のきれる彼はあたしの頭を撫でながら話し始めた。
「なみこ……。 何おまえ、そんなに恥ずかしがってんだよ……  ん? いつもはもっと求めてくるくせに……」
「そ、そうだね……」(……いらない。)
 そして松浦くんは今度はあたしの耳に、「フーッ」とゆっくり息を吹きかけてきた。 ミントの香りの気持ちの悪い風が全身を駆け巡り、凍りつきそうになったけれど、目をつむって……堪えた。
「……いいぜ、その顔。」
 彼は囁き、再び話し出した。
 このひとは本当にわたしを助ける気があるのだろうか…… なんだかいつもの様にからかわれているだけの様な気がしてきた。 次はどう出てくるのか…… 今はガリバーに対してではなく、松浦くんに対して思っている。
「車の中で“こーゆーコト”するのって……燃えるな……」
「も…… もえるね……」(……バスガス爆発。)
 松浦くんはあたしのあごに軽く指を添え、くちびるを親指で撫でてきた。
 あたしは思った……。 もしかしたらこのひとは自分にうっとりしているんじゃないか、と。
「なぁ……  俺のこと“好き”って言ってよ……」
                     「は? う、うん…… おれのこと……すき……(――げ!しまった!!)」


「 !! 」


 もうだめだ! と思った瞬間、松浦くんに……キスをされた。 ――――またしても予告なしで。
 けれどもこれは“あたしを助けるため”の演技。
 ――――演技だから!!
 と、そう自分に言いきかせ、あたしは目をつむって彼の背中に手を回した。
「可愛い……。  可愛いよ、なみこ……」
 松浦くんはあたしの髪を優しく撫で、強く抱きしめた。
 あたしは鳥肌を立たせながら……我慢した。


(……ガリバーは?)
 松浦くんの背中に回した手を離し、あたしは彼の胸を押して体を離した。 ぐるりとバスの中を見回してみたけれど、あたしが松浦くんとキスをした姿を見て、やっと“あたしを恋人にする事”を諦めたのだろうか、ガリバーの姿は見えなかった。


「あの人、いなくなったよ。 ――――良かった。
                                     えっと…… ありがとう……松浦くん」


 松浦くんは何も言わずにあたしを見ている。 きっと今、彼は“さっきの事は何も無かった”って思っているのかもしれないけれど、あたしは違う――――
 いくら演技だとはいえ、松浦くんがあんなに甘いセリフを(しかもあたしに)言うなんて正直今でも信じられない。
「可愛いよ、なみこ……」
 キスをされたくちびるの感触と一緒に彼の言葉が耳に残って離れない。


「――――そんなに俺に見せたいのか……」
「?」
 松浦くんはあたしのショートパンツに視線を落として言った。
                            「……赤のギンガムチェック」


「!」(うひゃあ!!)
 あたしは慌ててファスナーを上げた。




78>


「――と、すみません! 遅くなりました! 中の方で少々取りこんでおりまして…… すぐに送ります!  保護者の方には連絡してありますので、安心してください」
 蒲池先生は息を切らしながら、あたしたちに申し訳なさそうに頭を下げてバスに乗り、エンジンをかけた。
「では、出発しますね」
 いつもより30分程遅れてバスが動き出した。


 焦ってはいるようだけど、きちんとスピード制限を守って、安全な運転であたし達を家まで送り届けようとしてくれている。 蒲池先生は大変だ。 塾の先生だけではなく、わざわざあたしと松浦くんたった二人だけの為に、バスの運転手もしているのだから――――
(今度、お礼に何かあげたいな……)
「――――ねぇ、松浦くん……」
 あたしは隣に座っている彼の腕に、軽く指をつついて聞いてみた。


「は? 蒲池の喜びそうなもの?  そりゃ……髪の毛じゃねぇの?」
 やっぱり松浦くんなんかに聞くんじゃなかった……。 このひとは“人への感謝の気持ち”というものがないのか、ふざけた答えが返ってきた。
(もういい。 あたしひとりで考える……)
 あたしは、ほっぺたを膨らませて窓の外を見た。
「おい、なみこ。 そんな事より今度の模試……もうすぐだけど大丈夫なのか?  おまえの母さんから聞ーたけど、英語が相当苦手らしーな……」
 そのまま松浦くんはわざと声のボリュームを上げて先生に聞こえる様に話した。
「塾に入って初めての試験で、いー結果が出せたら……それが一番蒲池喜ぶと思うぜ! おまえの母さんもな。 ――――カタチのあるものだけが“プレゼント”とは限らねぇよ」
 カバンの中から出したチューイングガムを口の中に入れながら話す松浦くんの言葉が、あたしのほっぺたの空気を抜いていく。 松浦くんのそばにいると、今までは冷気だけしか伝わってこなかったけれど、今は不思議と……かすかにだけれども温かさを感じる。 ただ単に先生がかけてくれた暖房が効いてきただけなのかもしれないけれど――――


 窓の外に向けていた視線を松浦くんのムースで固くセットされたツンツンヘアに変え、ボーっと眺めていたら、信号が赤になり、バスが止まった。
 運転席の蒲池先生がシートから顔を出して、にっこりとあたしに微笑みかけてきた。
 隣で松浦くんが少し恥ずかしそうに顔をそむけ、「暑っちー」と言って手の平で顔をあおいでいる。
「……そうだね」
     ――とは言ったものの、よく考えてみたらあたしは勉強の仕方すら分からない。
                 (ちなみに前回の英語の模試の点数は100点満点中12点……とヒサンな結果だったし)


「……俺が教えてやっても、 いいぜ。」


「え?」
(い、今、このひと…… 何て、いったの?)
 向こうを向いたままではっきりとは聞こえなかったけれど、松浦くんが突然信じられない事を言い出した。
 聞き間違えたかと思い、あたしはもう一度聞き返した。
「ねぇ、あたしバカだよ?  こんなあたしなんかに…… 本当に教えてくれるの?」


 信号が青になり、再びバスが動き出した。
「――プッ。 そんなこと、ずっと前から分かってるって。
                 英語なんて、俺にかかれば一日漬けで6、70点アップは あたりまえ。」
                                                   (6、70点アップ……)
「仕方ねぇな、蒲池と母さんだけじゃなく、おまえもついでだ。  ……喜ばせてやる」
 チューイングガムを風船にして膨らませながらだけど、彼はあたしに優しい言葉をくれた。


 急カーブに差し掛かり、バスが少し傾いた。 あたしの心も一緒に……
 松浦くんの腕があたしの肩にそっと触れ、心臓の音が再びさっきの様に騒ぎだす――――。
 今日松浦くんに強引にされた二回のキスを、今の言葉で許してあげることにした。 正直、高樹くんには悪いけれど、軽いキスだけならば、もう一回されてもいいかな?って……思ってしまうくらいに嬉しかった。


「……どうするんだ? ところでおまえは今度の日曜日……空いてンのか?」
 松浦くんはガムを噛みながらカバンの中からスケジュール帳を出し、あたしの顔をジッとみて言った。
(えっ……?  に、日曜日!?)
 だって日曜日は……高樹くんとデートの約束の日……。
 普段は塾以外のスケジュールなんてものはなく、スケジュール帳を持ち歩かないくらいのあたしなのに……
 よりにもよって、今度の日曜日に二つの(しかも男の子との)約束が重なってしまうことになるなんて……思ってもみなかった。
「えっと……  にっ、日曜日しか……ダメ?」
 あたしは手の平を擦り合わせながら、松浦くんをチラリと見た。


「――ダメだ。」


 彼はスケジュール帳を閉じて、カバンにしまった。
「じゃ、この話はなかったことに」
                  (どうして……?)


「悪ィな。 俺だっていろいろと用事があンだよ。 日曜日しか受けつけない。
                                                  ……残念だったな」




79>


     ☆     ★     ☆


「はい、着きましたよ」
 あたしの家の前でバスは止まった。 重たい気持ちのままで座席から腰を上げると、
「わたしも玄関まで一緒に行きます」
 きっと遅れた事のお詫びをするためだろう。 たぶんお母さんはあたしの勉強の事だけしか心配していないだろうから、別にそこまでしなくたってもいいのに……と思うけれど、先生は車のハザードランプを点けて運転席から降りた。 そして外から回り、スライドドアを開け、あたしの事を待ってくれている。


 日曜日の“臨時家庭教師(?)”の話を断ってから、結局、松浦くんとは一言も話をしなかった。
 断った理由は聞かれなかったけれど、もし聞かれたとしたら都合のいい嘘をついてごまかしていたかもしれなかった。 彼に“は”高樹くんとのデートの事は話したくなかった。 なんとなく……言わない方がいいのかと思った。 
 その日が日曜日じゃなかったとしたら、きっとお願いをしていただろう。 (6、70点アップだったし。)
 本当は――――松浦くんの優しさを受けとめてあげたかった。


「………。」
 あたしは、せっかくの松浦くんの気持ちを踏みにじっちゃったんだ――――
 バスから降りたはいいものの、そのまま帰る気持ちになれなくて立ち止まっていた。
 先生は、どうしたらいいのかと困った顔をして、おでこに手を当ててオロオロしている。


「はやく帰れ! 先生待たしてんじゃねぇ、バカ!!」
 後ろから来た松浦くんに背中を押され、せかされた。
 彼にこんな扱いをされるのはいつもの事で慣れているはず。 ……なのに、さっきの優しい言葉をくれた彼が“本当の松浦くん”だと信じたい――――。
 松浦くんはあたしを睨み、舌打ちをして、自分の家に向かって歩いて行った。
「おやすみ……なさい……」
 あたしは小さく震えた声で言った。


(……あれ?)
         松浦くんは足を止めてふり向いた。 ……そして、なぜかまたこっちに戻ってくる。
                                                          (どうしたんだろ…… あれ?)


 声だけではない…… あたしの体も一緒に震えている――――
 気が付くと、あたしの目からポロポロと涙がこぼれていた。
 今までは、松浦くんにどれだけヒドい事を言われても絶対泣かない、って心に決めていたのに……どうしてだろう…… 彼の優しさを見てしまったからなのだろうか。
 こんな顔、見られたくなかったのに……
 あたしは両手で顔を覆って隠した。
「――チッ! 何やってんだよ……。 本当めんどくせぇ女だな!」
 今までとは違う……まるでこわれものを扱うかの様に優しく――――松浦くんに抱きしめられた。
 彼に抱きしめられたのに何故なのか今回は初めて鳥肌が立たなかった。
 あたし達の姿をチラチラと見ながら、先生はさっきよりも困った顔をして、赤く染まったおでこに手を当ててオロオロしている。


「――――どうせ腹でもへったんだろ。  はやく家帰ってメシ食って寝ろ。
                                                 ……おやすみ。」