たか☆たか★パニック~ひと塾の経験~

作者/ゆかむらさき

104> 日曜日


 行き先も告げずに、こんなに暗くなる時間まで遊び歩いていたのだから、絶対お母さんに叱られるにちがいない。 “ただいま”は心の中で言っておくことにして、そのまま自分の部屋へ行ってしまおうと忍び足で階段を昇りかけた。 しかし、やっぱり黙って帰ってくるほうが余計に叱られるんじゃないかと思い、引き返して、たぶん今、お母さんがいるだろう台所のドアを覚悟を決めて開けた。
――――台所にはお母さんはいなかった。
 食卓の上にはいつでもすぐに食べられるように、伏せてあるお茶碗とグラスにお箸、二枚重ねてあるスープ皿、そしてあたしの大好物のスライスされたパイナップルの乗っかったハンバーグに大豆入りのマカロニサラダが添えられて置かれていた。 出来上がったばかりなのだろうか、おいしそうな香りと湯気をたたせている。
(お母さん……?)
 台所のとなりの部屋のリビングからはテレビの音だけがむなしく聞こえてくる。
 帰りの遅いあたしのことを心配して、外へ探しに出て行ってしまったのかもしれない。 もしかしたら誘拐されたかと思って警察に捜索願を出してしまったのかもしれない。 どうしよう……
 つばを飲み込み、リビングをのぞくと――――
 リモコンを片手に、ソファーの上でいびきをたてながら仰向けで熟睡している……お母さんがいた。


“この親にして あたしあり”
 やっぱりこのひとはあたしの勉強のこと“だけ”しか心配していないのか……。 とにかく大変な事態にはなっていなかった様で、ホッと胸をなでおろしたあたしは、ぐっすりと夢の世界に沈んでいるお母さんをゆすって起こした。


「ああ、なみこ…… 帰ってたのね……」
 大きなあくびをしながらムクッと起き上がった彼女に、ここぞとばかり、普段から小言を言われている仕返しに何か言おうと思ったけれど、ハンバーグに免じて許してあげた。
「おなかすいた。 はやく食べようよ お母さん……」


 食卓でハンバーグをほおばるあたしの顔を、お茶を飲みながらジッと見つめているお母さん。
「こんなによく食べる子なのに どうしてなのかしら……。 ぜんぜん伸びないのよね、あんたは。」
 ため息をつきながらあたしのグラスにお茶を注ぐ彼女に、背のことを言われて少しカチンときたあたしは、ハンバーグにフォークを突き刺して言い返した。
「食べても太んないもんね だ。 あたし“は”。」
 ハンバーグを口に突っ込んでお茶を飲みほした。
 “誰かさん”のように、あたしに対して“だけ”トゲのある接し方をしてくるお母さんだけど、このハンバーグだけではなくて 作ってくれる料理はいつも優しい心のこもった味がする。
 お父さんもきっと お母さんのこんなところが好きになって結婚したのかな…………


「お父さん……  会いたいなぁ……」
「今日、電話あったわよ、 今度の土曜日に帰ってくるって。
                               “なみこにはやく会いたい”だって。
 プレゼントがあるから楽しみにしてろ、って言ってたわ。 たぶんアレね、あんたが欲しがってた携帯電話よ。
 はぁ…… 中学生にそんなもの必要かしら…… しかもあんたにはねぇ……
 防犯のために。 だとか、もう年頃だし、彼氏ができた時に連絡を取り合うのに便利だからとか言って…… まだ全然コドモなのにねぇ…… 彼氏なんかできたらあの人絶対淋しがるくせに…… もう、ホントに甘いんだからお父さんは…………」
「うふふっ」
 “お母さんの話のなかのお父さん”が高樹くんに似ている気がして思わず笑ってしまった。
――――実はあたしのお父さんは今、出張中なのだ。 働いている会社の親会社がある遠く離れた都市の方へ行っている。 最近はとても忙しいようでせっかくこっちへ戻ってきてもすぐにまた向こうへ行ってしまうけれど、帰ってくるたびにあたしをギュッと優しく抱きしめてくれるお父さん……
(あたしもはやく…… 会いたいよ……)


「あらっ、ソレ今日買ってきたのね、
             ふぅん……  なみこにしてはなかなかセンスいいじゃない。」
 お母さんはいきなりあたしの頭に手を伸ばして、今日高樹くんにプレゼントされたピンを勝手に外して手に取った。 それを照明の光にかざしたり、角度を変えたりして、鑑定士のように目を細めては大きく開いて険しい……というより、はたから見ればおもしろい顔で見ている。
「ヒスイ かしら……?
         そんなはずはないわよねぇ。 アレがあんたのお小遣いで簡単に買えるものじゃないものねぇ。
 ほーんと、最近のアクセサリーってよくできてるわよね。 “まがい物”が出回るワケだわ。
 そうそう! 来月お母さん同窓会があるのよね。 だからコレちょっと貸し……」
「――――かえしてッ!」
 あたしは彼女からピンを取り返し、再び髪にとめた。
 冗談じゃない。 コレは高樹くんにもらった大事な宝物なんだから貸せるワケがない。 ――っていうか、“まがい物”だなんて超失礼なんだから…… ほんとにもう このお母さんは…………
 それでも懲りずに彼女は今度はあたしの顔に自分の顔を近づけ、クンクンとにおいを嗅いでいる。
「あら。 いい香り。
            ――あんた香水なんて持ってたのね。」
                                        (……えっ?)


『……ごめん。 勢いあまって“やりすぎちゃった”……
                                 こわかった よね……』
『ん……  こわいっていうより…… 恥ずかしい……』
『――おいで。』
『あ…… 高樹くん……いい香り する……』
『なみこちゃんは…… せっけんの香り……』


 いきなりお母さんに変なことを言われたせいであたしの頭のなかに高樹くんの部屋の中で起こったことが鮮明に蘇ってきた。
(確か……  その後に あの……“エックスタシーなんとか”が!!)
                          『安心して……  今日“は”ちゃんと用意してあるから…………』


「おおお、おふろ はいってくるっ! ごちそうさまっ!!」
 残りのハンバーグを口の中に押しこんで、あたしは後片付けもしないで台所を飛びだした。