複雑・ファジー小説
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- 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト
- 日時: 2012/11/10 18:20
- 名前: 梶原明生 (ID: /PtQL6mp)
美幸へ・・・しがない空手拳法有段者の警備員が「金無し大兄妹アイドル」の不運の死を遂げた未来を変えるために、過去へタイムスリップする。 ひめゆり自衛隊・・・沖縄第15旅団の隊員達が実験と称した防衛省の企みにより特戦群と空挺団の策略に巻き込まれ、時空波装置で昭和20年3月23日にタイムスリップする。そこで彼等が見たものは・・・やがて酷い惨状に特戦群の隊員等も心を動かされる。そして新たな希望が・・・2つ交互にお送りするタイムスリップアクション。ダイジェスト短縮版で執筆いたします。・・・原稿は完成済み。
- Re: 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト ( No.82 )
- 日時: 2013/02/26 15:11
- 名前: 梶原明生 (ID: uZAkimhj)
「ひめゆり自衛隊」・・・植村三曹が問いかける。「神谷隊長。どうされましたか。」「俺達・・・もう後戻りは出来ないな。もしかしたらあの戦闘機のパイロットは生きて本国に帰っていたかも知れないのに。」「しかし、もしこうしなければ、我々が死んでいました。車両部隊は圧倒的に航空機に勝てません。そう言っていたのは神谷隊長ではありませんか。」「そうだったな。」急に頭を下げて独り言を言うかのように89式小銃を見つめた。その横では日本軍の衛生兵に木村三尉が説明をはじめたところだった。「・・・予科3年の瑞慶村春子は、機銃掃射にて死亡。死体は引き渡すわけにはいかん。理由は聞くな。後は言わずとも分かるな。それだけだ、行け。」「はっ、了解しました。」衛生兵達は疑うこともなく大里野戦病院に帰っていった。・・省略・・沢田一尉から怒号が飛ぶ。「おいっ、時間が押してる。総員、各車両に戻れ。すぐに次の時空波が来るぞ。」その言葉に反射的に動く神谷三尉達。「よし、準備は整ったな。次の到着予定時刻は4月26日0530時、南風原陸軍病院、第一外科壕付近だ。」この時間の余韻にひたる間もなく扉を閉める。どことなく光る雲の渦が現れて、全車両を包み込んだ。瑞慶村春子は何もかもが初めてな96式装甲車内を恐る恐る見渡し、防弾ガラスの小窓から見える信じられない光景に、思わず息を呑んだ。ここから彼等、彼女等の地獄の戦場が始まったのだ。・・・「初戦」終わり。 次回「生き残り」に続く。
- Re: 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト ( No.83 )
- 日時: 2013/03/24 16:08
- 名前: 梶原明生 (ID: UlsZCx61)
「美幸へ」・・・こうして、次元を救った俺達は大阪の地を後にした。「ところで堂守さん。俺って、行く必要ありました。」エコノミーシートに背中を預けて目を閉じている彼に聞いてみた。「んっ、ええ、ありましたよ。彼女が最終的に次元を元に戻してくれたのも、協力を約束してくれたのも、至善さんの存在の一押しがあったからですよ。私だけならご主人より天原さんを取ったかも知れませんしね。」「そうですか。・・・」「さ、今日は疲れたでしょう。52島に戻ってゆっくり休まれたほうがいい。」「はい。」言われたあと、窓外へと目をやった。夜景がどんどん離れてゆく。・・・その頃、90年の52島では夜に久幸さんがトラックで何やら大きな荷物を降ろしていた。「おーい、友成、義弘。手伝ってくれ。」「うわー、すげーっ。父ちゃんまた拾ってきたんだ。「おう、勿体ないんでな。捨てられてたのをもってきたんだ。」そう言いつつテレビと冷蔵庫を家の中に運んだ。その真っ最中に俺は道場に戻ってきた。「お、家電を拾ってきたのか。美幸さんの自伝書の中にもあったな。ゴミ捨て場にまだ使えそうな電化製品があって、それを拾ってきては再生してたって。」感心しながら道場の入り口まできた時に、何か白い封筒が落ちている事に気がついた。「何だ、これ。」思わず手に取り開いていたので中身をみた。「写真じゃないか。しかもこれは。・・・」よく見ると美幸さんが天原家で写っている生まれたての時の写真だった。「大事なものじゃないか。・・・仕方ない。今日は疲れてるし、明日渡してあげよう。」そう思って静かに道場内に入った。それが、美幸さんの生まれた時を写した、たった一枚の写真とも知らずに。・・・6「ただ一つの写真」終わり。 次回7「私の初夢」に続く。 「ひめゆり自衛隊」・・・「生き残り」 4月26日 午前0530時。25日後の南風原陸軍病院に再び姿を現した陸上自衛隊第708実験中隊は、まだ陽も昇らぬ朝の気配を感じていた。さすがにここまでくると時差ボケすら感じてくるが、誰もがそれを押し殺した。・・省略・・「沢田中隊長、今度は誰を保護するんです。」「佐久川米子という予科二年の女生徒だ。先と同じく炊き出しに出て帰る際に第一外科壕入口付近で砲弾を受けて死亡した。無論、その前に我々が保護するわけだがな。・・・行くぞ。」掛声と共に一斉にひめゆり学徒保護班が動いた。・・省略・・待機の暇潰しに新垣陸士長は語りだした。・・・4月6日から7日にかけて米軍と日本軍は事実上の初戦を展開した。各方面で砲弾が高らかに鳴り、米軍は第7、第27、第96の3個師団の大軍で攻撃し、これを迎え撃ったのが藤岡武雄中将率いる第62師団の精鋭部隊である。津波のように押し寄せる米軍に対して各地で激戦を繰り広げて、特に沖縄最大の激戦地である嘉数高地における争奪戦は、あの米軍戦闘記に強調されるほどの苛烈さだった。そして4月9日。この事から米軍は少し戦略を変えて珍しくも準備射撃をせずにこっそりと高地に進出して日本軍陣地を占拠しようとした。・・・続く。
- Re: 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト ( No.84 )
- 日時: 2013/03/31 15:47
- 名前: 梶原明生 (ID: uZAkimhj)
「美幸へ」・・・7「私の初夢」 翌朝、天原家に例の封筒を戻しに訪れた。玄関に出たのは何とあの喜美子である。「あーっ、こりゃ、どうも。うちの道場・・・じゃなかった、プレハブの前にこれが落ちてたんで、天原さんのものじゃないかと思って。・・」「ああ、そうですか。それはどうも。確かに私が落としたものです。有難うございます。」「ところで、あなたはこちらの方ですか。」「ええ。長女の喜美子と申します。お宅こそ、どこのどちら様ですか。人の敷地にこんな建物を建てて、我が物顔で人の家庭に入ってくる。・・・あなたのご実家はどちらの住所になりますか。身分証とかはお持ちですか。」「え、あ、いやそれは・・・。」いきなり問い詰められてシドロモドロになった。・・・続く。 「ひめゆり自衛隊」・・・日本軍が気付いた時には既に頂上付近にまで接近していて、激烈な戦闘となった。兵力に差はあったものの、原大佐は迫撃砲弾を敵に集中させて撃退し、高地を奪回できた。翌日10日から早朝において米軍は嘉数高地に集中砲火を浴びせてきた。これまでの間に、4月6日昼過ぎにはあの有名な戦艦「大和」を中心とする小さな艦隊である、軽巡洋艦1隻と駆逐艦8隻が瀬戸内海から沖縄に向けて出撃していた。沖縄周辺の米軍艦隊と戦うためだった。しかしそれは、まさに海上特攻と呼ばれる決死の出航だった。・・・続く。
- Re: 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト ( No.85 )
- 日時: 2013/04/01 22:27
- 名前: 梶原明生 (ID: UlsZCx61)
「美幸へ」・・・そこへタイミング良く、若佐社長が現れる。「これが彼の身分証です。ご両親も健在ですよ。」・・省略・・その場は凌ぐことができた。・・・「寒稽古に行くか。友成、義弘。」「オースッ。」午前中の練習を終えて、天原家の兄弟総出で海岸へと歩いて行った。砂場に着くと、潮風寒い中で套型や乱撃に熱が入る。そこへ、年配のお婆さんが現れた。「こりゃどうも。寒かったでしょ。安奈芋が蒸しあがってますから家へ。・・・」「あ、お婆ちゃん。」美幸さんの一言で誰なのか分かった。母方のお婆ちゃんだ。「有難うございます。よーし皆、休憩だ。」こうして俺たちは安奈芋をゴチになった。「はい、美幸。黒砂糖食べなさい。ほら、皆も。」名物の黒砂糖までもらった。「はい、お礼にみなとり貝上げる。」「ほう、そうかい。こんな沢山。ありがとうね。」可愛らしい手にいっぱい、みなとり貝を差し出す美幸さん。すると、上機嫌になったのか、義弘がいつも歌っている十八番の「大きな古時計」を歌いだした。皆もつられて大合唱になる。「うまいね。美幸もしっかり歌えるようになって。」その時、美幸さんはお婆ちゃんのお膝元で決定的な一言を発言した。「でしょ。お婆ちゃん。私ね、アイドルになりたい。歌って踊って、あのテレビの箱の中で皆を喜ばせてあげたいんだ。」「そうか。なら早く島の代表にならんね。美幸は、むじょかよめじょじゃから、きっといい歌手になれるよ。」「ほんと、やったー。」お婆ちゃんの言葉に無邪気にはしゃぐ美幸さん。「この時だったんだな。美幸さんが将来の夢を最初に語った瞬間は。」一人呟くように見つめた。・・・続く。
「ひめゆり自衛隊」・・・そして4月7日午後12時40分から、鹿児島県薩摩半島、坊の岬沖で米軍戦闘機に攻撃され、飛来した3波計345機と魚雷10本と爆弾4発を喰らい、午後2時頃に傾斜したまま沈んだ。これにより乗員計3721人が戦死した。そしてこの日に沖縄では先ほどの初戦が始まった。米軍は支援砲兵7個大隊に加え、海からの艦砲射撃、戦闘機3個中隊が攻撃を支援し、2個連隊が嘉数高地を強襲した。かなりの接近戦となり、苛烈を極めたが、午後から雨となり、戦いは勢力をなくして米軍は仕方なく嘉数高地西側に陣地を構築して日本軍と睨み合いとなった。そこで、いよいよ我慢ならなくなって、4月12日に「大規模な夜襲による殺傷攻撃」作戦が行われた。初めて出された第24師団の部隊は地形が分からずに攻撃どころではなかった。米軍もこれまでに3000人の兵士を犠牲者に出したため、いい加減日本軍のネチネチ攻撃にうんざりしていた。そこで歩兵部隊を一時ストップさせて、4月15日から19日にかけて一挙に大攻勢に出る準備にかかった。その間は大規模な空襲と艦砲射撃を行った。その頃が沢田一尉率いる陸上自衛隊第708実験中隊が瑞慶村春子を確保した頃である。・・・続く。
- Re: 美幸へ。ひめゆり自衛隊。混合ダイジェスト ( No.86 )
- 日時: 2013/04/25 22:25
- 名前: 梶原明生 (ID: UlsZCx61)
「美幸へ」・・・「友成、すまんが先に皆を連れて帰ってくれないか。俺はお婆ちゃんに話があるから。」「あ、うん。OK。」美幸さんの事をそれとなく聞きたかった事もあり、皆と離れて後戻った。「すみません。至善ですけど少しお話が。・・・あっ。」玄関を入ってすぐに異変に気付いた。お婆ちゃんが台所で倒れているではないか。「しっかりしてください。大丈夫ですか。」「ううっ・・・うっ。」唸る一方で意識がない。・・省略・・「仕方ない。途中まで俺が行くしかない。」覚悟を決めて、お婆ちゃんをおぶっていくことにした。「しっかり、今から病院にいきますよ。」声をかけながら強行軍がはじまった。長い道程を思い出しながら辿って無事、病院に送り届けて早速処置が始まった。遅ればせながらも、文子さんと美幸さんが駆けつけた。「どんな具合ね。」「ええ、お医者さんの話では命に別状はないんですが、しばらく入院が必要とのことです。」文子さんはホッと胸を撫で下ろした。「ありがとうね。あんた、婆ちゃんの命の恩人じゃ。」「いえ、そんな。たまたま家を訪れただけです。」・・・続く。
「ひめゆり自衛隊」・・・そして、4月19日当日。午前6時から米軍は大砲撃を開始した。その上に第32軍司令部のある首里城周辺には戦闘機139機が襲いかかり、ロケット弾とナパーム弾を雨の如く降らせた。だが、日本軍と住民は数多くある自然の洞窟に息を潜めて「鉄の暴風」が過ぎ去るのを待ち、日本軍も大して被害は出なかった。大砲撃の後に30両の戦車と共に歩兵部隊が進出した嘉数高地では速射砲、連射砲、高射砲等あらゆる大砲で反撃し、12両の戦車を破壊した。原大佐率いる部隊は、こうした戦いで何と、4月22日まで持ちこたえ、米軍の侵攻を蹴散らしたのだ。「何故そこまで戦えるのか。」ニミッツ提督やスプルーアンス海軍大将をはじめ、多くの米兵が度肝を抜かれていた。しかしそれも先ほどの22日までだった。日本軍は米軍の攻撃により、一歩一歩戦場を後退していくこととなる。・・・と、およそこういった話を連綿と新垣陸士長が語った。「へーっ、新垣陸士長って、以外と物知りなんすね。知らなかったなぁ。沖縄ってそんなことあったなんてなぁ。」吹田ニ士は随分と感心していた。・・・続く。
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