Ultima Fabura―終焉へ向かう物語―
Aerith ◆E6jWURZ/tw 作

第五話 忘却の美香 SHOT 1 〝 意識〟
『悲しかったこと、苦しかったこと、つらかったことありませんか?』
その張り紙を見た人々は一様に足を止めてそれを読んだ。
大切な人を失ったつらさ、一人でいる寂しさ、誰かのせいで失った痛みを抱えた人が振り返った。
『それを忘れたいとは思いませんか?』
忘れたい。思い出したくない。この胸の痛みから開放されたい。
そう思った人々は取り憑かれたように張り紙を引っぺがし、読んだ。
『〝忘却〟という名の安らぎを与える花、あります』
花?
けれど胸の痛みに耐えかねていた人々は次々とその張り紙の示す場所に集い、花の香りを嗅いだ。
胸の痛みは文字通りすっと消え、痛みを忘れた。
人々は歓喜し、その安らぎに感謝してやがて花畑に沿うようにできた町があった。
それが〝港町〟ウビリ。
誘惑の、紫と桃色のグラデーションの小さな花。潮風に揺れ、街の人々に香りを運ぶ。別名〝忘却の美香〟。
人々は何もかも忘れた。
哀しい思い出。復讐の憎悪。罵声を上げる怒気。恐怖。
大切な人のなまえ。輪郭。声。ぬくもり。優しさ。楽しかった思い出。嬉しかった出来事。
やがては自分のことさえ忘れてゆく。
声。顔。なまえ。
自分が息をしていることすら、生きていることすら忘れて。
生きることまで忘れて。
〝助けて〟
その心が叫び声を上げても、その声は誰にも届かない。
だって明日には――いや、次の瞬間には忘れることへの恐怖も忘却の彼方なのだから。
けれど感じた。
子供の声だ。複数の。
――今、助ける。
わたしが声を聞いたから。
助けを求める声を感じたから。
「自分疲れてへんの?」
「うん。飛ぶのは息をしていることと同じだから。じゃあシュヴェロ、あなたは息をしてるのつらい?」
「そんなことやったら生きてへんよ」
シュヴェロはそう言って笑った。
今二人は港町に向かっているところだ。
ミュレアが飛び、シュヴェロは彼女の持っている籠の中に入っている。最初彼は遠慮したのだがミュレアが自分が運ぶと言って譲らなかったために仕方なく乗っている。
乗り心地といえば気球に乗っているような感じだが速度はもっとあるはずだ。これが天使族の為せる業か。
「ねぇシュヴェロ・・・」
言い出しにくいのか一度ミュレアは口をつぐむ。シュヴェロは彼女の顔を見上げた。しかし前を向いたまま顔は見えない。何を考え、何を思っているのかは読み取れなかった。
「わたしがこれから何をしても失望しないって約束してくれる?」
〝――ミュレア。私のかわいい殺戮人形――〟
「なんや?改まって。生きるためには当然やん」
――生きるため。
違う。
生きるためなんかじゃない。
「人を・・・。港町にいる人を皆殺しにしても?」
〝――そこの町の人間を殺せ――〟
「・・・!?」
皆殺し?
なぜ。
ミュレアの脳裏に響く声。
思い出したくなかった忌まわしい記憶。
しかし判っていた。シュヴェロが自分を捕らえに来たときから。
あの人がまた、わたしの手を鮮血で真っ赤に。いや。どす黒く、染めようとしていることが。
〝――おいで・・・。おまえは私から逃れられない――〟
嫌。やめて。
もうやめて。もうしたくない。わたしはもう・・・。
拒絶。
けれど心の中に侵入する手を意識する。やだ。入ってこないで。
「シュヴェロは・・・わたしのこと、父様から聞いていないの?」
「せや。連れて来い言われただけなんや。・・・でも何があろうとわいは君を信じるで」
「・・・ありがとう」
君。
少し近くなったのかな、わたし達。
けれど頭痛とともに声が響いてくる。自分を殺戮の道へといざなう、闇の声が。
〝――裏切ればお前の意識を殺そうか――〟
意識を殺す。それは完全な操り人形にさせられると言うことだ。
神霊は上の能力を持つ神霊に逆らえない。だからミュレアはいいように扱われた。
彼が持っている中で一番操りやすく、強い神霊。
それがミュレアだった。
彼の血族であるために操りやすさは高い。
そして彼と天使族の子供であるミュレアは生まれつき潜在能力が高い。
――数年前・・・
『仕事だよミュレア』
冷たい石の牢獄の中、その声に反応して手足、首、腰に能力を封じる鎖をはめられたままそれは動く。
ヂャリ、と音を立てて顔を上げると自分の父親であるはずの男がいる。男にさせられるままに体を動かす。
殺戮のままに人を殺し男の欲を叶える為にはなんでもした。
人間以下、いや奴隷以下の扱いを受けた。
実の娘に男は手を出していた。
それもまた娘に意識を持たす機会を失わせていたのだ。
ミュレアはその頃、自分の意識があることを知らなかった。
意識の存在を知ったのはその時・・・5年前。
(おいっ!)
暗闇の中顔を上げるとそこにいたのは自分より少し上くらいの少年だった。
瞳はまだ銀蒼になったばかりのようだったがミュレアはその少年に自分や父と同じ力を感じていた。
神霊の力。薄汚れた髪は茶髪。
(君神霊だろ? 俺と同じ力の気配だ! 仲間、だな!)
仲間。
ミュレアの心にその言葉が染み渡り、何かを動かす。
『誰だ、おまえは』
その頃のミュレアは〝もうひとり〟のほうだった。
今のミュレアを守るためにかろうじて会話できる感じ。だから敬語も使えないし女の子らしい言葉も使えないのだ。
威圧感を出して喋る口ぶりにたいていの人間は怯むものの少年はものともせずに続けた。
(俺ここの鍵持ってんだ! 一緒に外出よう!)
『・・・何を言っているんだ』
ミュレアの言葉をよそに鍵を差し込む少年。ミュレアは能力も封じられているためどうする事もできない。
かちゃりという静かな音とともに鍵が開く。刹那、曲がり角の向こうから靴音が聞こえた。
来る。あの人が。
とっさにミュレアは少年を牢の中に引きずり込み鍵をかけ直し、彼を牢の中の物陰に隠した。
『仕事だよ』
『・・・はい、父様』
そう言ってミュレアは父の手に口付けると牢屋をあとにした。
少年が出れるよう、鍵を置いて。

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