ブラッドエッジ
作者/ 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE

#8 Death『死神』前篇1
黄河一馬が限前透に持ちかけた取引の全貌は、こんなところである。
一つ目に、互いの『紫電スパイダー』に関する情報の交換。
断罪者側は、以前『紫電スパイダー』と接触した際に得た情報。
そして黄河一馬たちは、彼の『過去』について。
二つ目は、捜査と通常業務への協力。
断罪者本部の施設や機器の使用を黄河一馬およびグレーテルに許可する代わりに
二人は暴走した人造人間の鎮圧、そして『紫電スパイダー』の捜査に身を投じる、というもの。
ちなみに、兼ねてよりの『Unknownの人造人間は前科の有無に関わらず処分しなければならない』という法律は
グレーテルには適用されない。
なぜなら彼女は人造人間ではなく『改造人間』であり、通常の人権が適用されるからだ。
本当に裁かれるべきは、彼女の人権を侵害した『過去に存在したある組織』という話らしい。
あくまで『民間の協力者』という形で、彼らは断罪者本部にしばらくの間に居座ることになった。
その断罪者本部の技術室。―――ルージュとはまた別の、もう一つの部屋。
薄暗く、巨大な機械が並び、数多くの配線がある無機質なその部屋。
あるのは一つの人影。大きな体躯に黒い髪、顔の半分が機械に覆われている。
それは、先日暴走したノワールだった。
壁に背を預けたノワールの目は虚空を眺めている。意識はあるようだ。
仲間の殆んどを破壊し、トモダチに風穴を空けた人造人間は憔悴しきっている。
人造人間の頭脳をもってしても処理しきれない何かは、今確実に彼の胸中に去来している。
彼が暴走させられた時、透が「元に戻すことは不可能だ」と言った理由は二つ。
まず一つ目に記憶媒体が破壊されたこと。
二つ目に。
暴走したという事実が明るみに出てしまった以上、ノワールは処分されなければならないからだ。
自分の死。仲間の死。何よりトモダチに銃口を向けたこと。
そして、時折フラッシュバックする『彼女』の記憶。
ノワールが暴走した状態から元に戻ることができた理由でもあり、
ノワールがある感情を抱くことになった理由でもあり、
ノワールにとって最も大切な存在であり、
今はもういない筈の、『ブランシュ』という少女、白い髪をツインテールにした少女の記憶。
あの少女のように、今度は自分がああなるのだろうか?
俺も彼女の元へ行けるのか?
そこに嬉しいとか悲しいとかといった、単一な感情の類は存在しない。
機械に載せるにしてはあまりに複雑で多様で重すぎる感情を叩き付けるように、ノワールは拳で壁を殴った。
うつむいたその表情は見えない。
死神に死が訪れるのは、今日の正午ちょうど。
また別の部屋では、未だ紅い髪の少年は眼を覚まさず。
その部屋の前の廊下で、ローズは透に掴みかかっていた。
「どうしてですか! 結果的にノワールは暴走から復帰した! 破壊しなくてもいいはずです!」
冷静さなどかなぐり捨てて必死で訴える。
説明するまでもない。ローズは今しがた透からノワールの処遇について聞かされたところなのだ。
「今までだって処分されなかったじゃないですか!」
「今までは、な。何とか大事になる前に事態を収拾出来ていただけというだけの話だ」
透は冷静に、あくまで冷静に返答する。
「だが、今回ばかりはそうもいかない…隠しきれなかったんだ。
現に他支部からも精鋭が派遣されている。この本当の意味がわかるか?」
「増援、でしょう?」
「ちがう。ノワールの破壊を執行するためだ」
「―――ッ!」
「…今回ばかりは私の権限でもどうにもなりはしない」
「そんなっ…そん、なのってアリですか…!?」
ローズは一層食ってかかる。
「なんとかしてくださいよ! 貴女は世界で最も優秀な科学者でしょう!?」
「…少し落ち着け、ローズ」
「お願いだから! ノワールを助けてよ!」
「落ち着けっつってんだろ!!」
「っ!?」
逆に、今度は透がローズの胸倉をつかむ。
「いいか、私は神サマじゃねぇんだよ!」
今までに見たことのない剣幕で、怒鳴る。
「私にだってできねえ事はあるんだ! 割り切れっつってんだよ!」
ローズは胸倉を掴まれて、初めて気付いた。
握りしめたその手がわずかに震えている事に。
辛いのは自分だけではないとローズは知る。
世界最高峰の科学者でも研究者も、また自分の無力を噛みしめながらノワールを見捨てなければならないことが辛いのだ。
当たり前だ、辛い訳がない。
「透さん……」
「…辛いのはわかるけどさ」
そう言って透は静かに手を放す。
ローズは壁に背を預けて、透はやがて背を向けて歩き出す。
「……執行は正午だ。今はルージュの様子も安定しているから、それまで休んでいていい」
決して大きくはない、白衣を羽織ったその背。
その背が、ローズには一層小さく見えた。
白い廊下の白い天井。無機質で冷たいそれを見上げながらローズはぽつりとつぶやいた。
「…どうして、こうなっちゃったのかなぁ……」
桃色の髪の少女…もとい、人造人間は泣くことさえ許されない。
ほぼ時を同じくして、ルージュの左手の指が少しだけ動いた。

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