ブラッドエッジ

作者/ 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE



#11 Mayfly『煉獄』後篇2



 遠目から見れば、冬空に真っ白で巨大な蝶が舞い踊っているようだった。


 そんな綺麗な表現が出来るほど美しく『煉獄メイフライ』は人造人間を殺戮する。

 流れ流れる粉雪の中を渡り歩いて、虫食いのように断罪者大阪支部は削り取られていく。

 歪になった摩天楼は、まるで歪んだ愛情の様なかたちをしている。

「あ…っははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」

 曇り空に『煉獄メイフライ』の鳴き声が響き渡る。

 羽根の周りがぼろぼろと散って、周りの雪に紛れるように崩れ落ちる。

 そして崩れ落ちた羽根の欠片は刃の形を為して断罪者大阪支部をえぐり取る。

 くるり、と宙で一つ回って見せて。

 純白の光の尾をひいて、蝶が大阪支部に向かって駆け出した。

 まるで街灯に群がる羽虫のように外壁をついばみ、貫通を繰り返す。

 外壁の素材が鋼鉄なのか紙なのか区別がつかなかった。

 操られている人造人間の群れなど、背景と同等にさえ見えた。

 それは文字通りの独壇場で、『煉獄メイフライ』はたった一人その舞台で踊り狂っていた。

「見て! ノワール! アタシあなたの為ならこんなことだって出来るんだ!」

 少女は何もない虚空に左腕を水平に持ち上げる。


 少女―――もとい、『煉獄メイフライ』の左腕が、手首から肘の中央の直線上を沿って引き裂かれる。


顕れたものは、長さは少女の指先から肩ぐらいまである―――純白の刃だった。


 『煉獄メイフライ』が腕を振り抜く。

 真っ白な閃光の一瞬後に轟音。断罪者大阪本部という巨大な建造物は、両断された。

 『煉獄メイフライ』が持つ唯一にして無比の武器は、この能力『陽炎(ファンタズマ)』。

 まるで蜉蝣の羽根の様なそれは、彼女自身の意思によって自由自在に形状を変化させる。

 威力は、その時の感情によって変化するという性質があったことを発見したのは、つい最近のことだ。

 感情が昂った際のその破壊力など、今更一筆に付すことさえくだらない。

 強いて言えば、今までの最大火力は『触れたものは、対象が何であれ問答無用で消滅させる』程度のものだ。

 まさに、奇跡じみた奇跡の様な奇跡的な能力だった。

「ねえ……もう終わり? もう終わり?」

 大阪支部の断面から彼女を見上げる透に対して『煉獄メイフライ』はくすくすと笑う。

 まるで好きな人にプレゼントを渡すような、そんな自惚れと喜びが入り混じったような表情で。

「ねえ…見ててノワール、今からキミに手を出そうとする奴を殺すから」

 平時の人造人間は、生身の人間を殺せない。そう作られているからだ。

 それにも拘らずそう言い放った少女は、ある種壊れていたのかもしれない。

 だがしかし……それは未遂で終わる。

「バイバイ透さん、今までありがとう!」

 ブランシュの羽根が分裂して何百本もの腕に変化した瞬間。

「―――え?」


 白い手は、ブランシュ自身を貫いたからだ。


 彼女自身、どういうことなのか把握できなかった。

 しかしそれは飽くまで彼女個人の主観であり『煉獄メイフライ』の能力は確かに自らを貫通していた。

 空が傾いた。景色が反転する。

 『煉獄メイフライ』は重力に呑み込まれていくことしか出来ない。

 じれったく舞う雪の中を垂直落下して、そのまま自分が砕けたかと思うほどの衝撃を味わった。

 痛いと感じることが出来なかったのは、幸いだったかもしれない。

 落下の衝撃で部品が散らばった。

 歯を食いしばって睨みつけた世界に、無数の人間の足があった。

 左腕で起き上がろうとすると、左腕が崩れ落ちた。

 倒れるときに見た人間達の視線は、まるで化け物を見るような目だった。

 その視線を一身に受けて、ブランシュはあることを悟る。


 ああ だから人造人間は嫌われるんだ。







「…は? んな訳ねーだろ」

「いや、ちゃんと顔に書いてありますよ」

 断罪者本部エントランスのベンチに腰掛けて、ノワールと後輩断罪者はそんなことを言い合っていた。

「心配で仕方ないんでしょ? ブランシュさんが」

「だから何度言わせんだよ。心配なんてしてねーよ」

「透さんから任せられた書類が全然手に付かないで、仕方なくカフェオイルを飲んで一段落しているのに?」

「うっせぇ! デスクワークは得意じゃねぇんだよ!」

 ノワールはやや強引に、カフェオイルの残りを一気に飲み干す。

「…それに、あいつは心配されるようなタマじゃねーだろ」

「まあ……確かに」

 それは、彼女の絶対的な強さに対する信頼でもあった。

 ブランシュという人造人間に限って、彼女が破壊されるようなビジョンが想像つく者はここには一人もいなかった。

 今日までは。

「…ん……?」

 ノワールが、携帯端末をとりだす。

 隣の後輩は、どうかしましたかと尋ねた。

「ブランシュから通信? いきなり何だ?」

「奥さんからのラヴコールですか?」

 しぱぁん、と小気味いい音が響く。後輩は先輩にしばかれた頭頂部を押さえる。

「そんなんじゃねえっていつも言ってんだろうが! しばくぞ!」

「もうしばかれたんですけど」

「うっさい! ボケ!」

 言いながら、ノワールはブランシュからのラヴコールに応じる。

「ブランシュ、いきなりどうした?」

 返事は無い。

 代わりにノイズがひどく喚いている。

「……ブランシュ?」


「………ごめんね、ノワール」


 そのたった一言で、通話が途切れた。

「あ……? オイ、どうしたってんだ? おい! ブランシュ!」

 しかし、返事は帰ってこない。

 感覚など無い筈の人造人間の全身に、嫌なものが駆け巡った。

 目は見開かれ、歯が砕けそうなほど力が入っている。

「先輩……どうしたんですか?」

 後輩も酷く困惑し、不安そうな顔をしている。

 ノワールは立ち上がると、少し外出するとだけ言い残して駆けて行ってしまった。

 死神の囁きの様に、ひどく縁起の悪いラヴコールだった。