ブラッドエッジ

作者/ 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE



#10 Mayfly『煉獄』前篇5



「やっ、ノワール」

 ある日、日が高く差しかかったころ。

 その公園のベンチで人影が、仰向けになっていたノワールに降り注ぐ日差しを遮った。

彼が気だるそうに細目を開けると、細く白い髪をツインテールにした少女があどけなく笑いながら覗き込んでいる。

 彼女の服装は、陸自の装備を基調とした、当時の断罪者の制服。

やがてノワールは少女の首元より少し下へと視線を滑らせていくと、

「…相変わらずのひんにゅ」

 突如凄まじい激突音。

彼が最後まで言い終わるよりも早く、壮絶な音とともにノワールの額に少女の石頭、もとい材質的には超合金頭が激突する。

ノワールは人造人間であり、そのボディ及び頭部の硬さから言えば本来ダメージはない筈なのだが

彼はそれでもどうにも一瞬、眩暈を起こしたような気がした。

「多分ロリコンだったんだろう製造者に言え。アタシは悪くない」

 女性型の人造人間は製造者の趣味嗜好によって理想から平凡までそのスリーサイズを変える。

故に女性型人造人間の場合羞恥心や世間体の面から、本当の意味で『貧乳は希少価値でステータス』だったりする。

ただし、ここで羞恥心や世間体が問われるのは人造人間自身ではなく製造者である。

製造者の嗜好が一発で見抜かれかねないのだ。尤も、あんまりナイスバディだったとしても同じ話だが。

早い話が、

『巨乳ならおっぱい星人』

『貧乳ならロリコン』

『普通ならムッツリスケベ』

なのである。詰まる所製造者皆変態。

「…で、何か用か?」

「んー? 特に用事とかじゃないけれど」

 白髪の少女はノワールの枕元に腰を下ろす。ブランシュの白い髪が、僅かにノワールの鼻元をくすぐった。

「用事が無ければ、居ちゃだめ?」

「…んーん」

 その返答を聞き、えへへ、と笑いブランシュは「よかった」とはにかむ。

ノワールは何も言わない。

視界に入っていたのは、夏の青空と微笑む少女。

ノワールは穏やかに、黙って再び瞳を閉じた。

陽光も何も言わずに、ただ降り注いで。その沈黙は決して重苦しいものや、鬱陶しいものではなくて。

 何を以って『幸せ』の定義の範疇とするのか、人造人間である彼らにはまだ知る由もない。その筈だった。

しかし、今この場所に在るのは、紛れもなく―――。





 断罪者本部最上階には、ブリーフィングルームが存在する。

壁はおろか天井、床までも辺り一面がモニターに覆われた、ほぼ球状の部屋。

入口から伸びた一本の通路、その先、つまり部屋の中央には数人分のデスクと椅子。

数々のモニターがそのまま照明の代わりと成り得る空間に、ブランシュとノワール、そして限前透は居た。

各々のモニターに映し出されているのは各支部の断罪者の支部長。

 そうそうたる面子が画面越しに招集された理由は、たった一人の違法人造人間。

「『紫電スパイダー』?」

 蜘蛛のように突如として現れ、電光のように忽然と消える紫色の髪の誰か。

都市伝説でさえある、その名前。

「そう、そいつが今断罪者についての情報を嗅ぎまわっているという噂だ」

透は言う。

「只の噂だろう」「そもそも、そいつ自身が都市伝説の様なものじゃないか」といった反論は一切存在しなかった。

断罪者はそういった『噂』から、糸を手繰るようにして事件の捜査にあたらねばならない事態など数多くある。

 また、この限前透という人物が仕入れてきた噂はほとんどの確率で真実だった、という実績も手伝っているのだが

何より、当時同時に囁かれていた幾つもの情報は断罪者の面々に不穏な不安を抱かせるには十分であった。

 圧倒的な力に於いて裏社会を統べているという、正体不明の存在。都市伝説『大太法師』。

 日本中の有力なマフィア、暴力団などの組織が一か所に集結したという『その日』。

 『その日』に、とある廃墟と成り果てた島で起きたとされる謎の大爆発、天変地異。

 そして『その日』を境に市井にまで流れ始めた『ふたつの噂』。

「『大太法師』の敗北と『新たな裏社会の頂点』…ねえ」

「そして、新たにその名を馳せた謎の違法人造人間『紫電スパイダー』」

「全て偶然と考えるには、タイミングが良すぎますね」

 各地の断罪者の支部長達も真剣な面持ちで議論を交わす。

突如現れた、一切正体不明の謎の脅威。その標的は次は自分たちなのかもしれないというのだから至極当然のことである。


「しかし市井で流れていた噂、ネット上に流れていた情報から
 次に『紫電スパイダー』が姿を現すと予想される場所をある程度特定した」


 あまりにも突飛な、あまりにもその場の全員の予想を超越した透の発言。ざわりと場の空気がどよめいた。

只の都市伝説であり、噂でしかない見えざる脅威。

その次の行動を予測したというのだ。

「そんな…い、一体どうやって!?」

動揺を隠せずも、ある支部長が透に問う。

それに対して透は、こめかみに指をあて「これさ」と不敵な笑みを浮かべた。

「私の能力にかかればその程度は造作も無いよ」

次に訪れたのは、無言の静寂。

その言葉だけで全てを納得させることが出来てしまうほど、限前透と言う人物が持っているクリアは

回避不可能で、抵抗不可能で、下手をすれば世界を意のままに出来るほどのものものであった。

彼女の前では『噂』は『噂』にならない。

「…ともかく、無論、『紫電スパイダー』が現れた場合、その地区担当の断罪者支部がヤツを相手することになる訳だが」

静寂を打ち消し、話が続く。

「はっきり言って、仮にも裏社会の頂点を倒したとされる相手が一支部でどうにかできるようには思えない。

 なので…その日には、私とこの本部第一部隊の隊長であるブランシュも現地に赴く」

再び場がざわめいて、ノワールは訝しげな表情を浮かべる。

その表情から察したのか、透は

「ノワール、お前にはその間この断罪者本部の留守番を頼むよ」

にかっと笑った。

尚も不安な表情のノワールがブランシュの方を見ると、彼女もまたノワールの方を向き

「大丈夫だよ、無事に帰ってくるから」

いつものあどけない笑みを浮かべた。




 しかしノワールの胸中には、不安が暗雲のように立ち込めていた。まるでこれから死神でも来るかのような不安が。