ダーク・ファンタジー小説
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- この馬鹿馬鹿しい世界にも……【番外編追加】
- 日時: 2025/05/23 09:57
- 名前: ぶたの丸焼き (ID: 5xmy6iiG)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no=12919
※本作品は小説大会には参加致しません。
≪目次≫ >>343
初めまして、ぶたの丸焼きです。
初心者なので、わかりにくい表現などありましたら、ご指摘願います。
感想等も、書き込んでくださると嬉しいです。
この物語は長くなると思いますので、お付き合い、よろしくお願いします。
≪注意≫
・グロい表現があります。
・チートっぽいキャラが出ます。
・この物語は、意図的に伏線回収や謎の解明をしなかったりすることがあります。
・初投稿作のため、表現や物語の展開の仕方に問題があることが多々あります。作者は初心者です。
※調整中
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ありがとうございますm(_ _)m
励みになります!
完結致しました。長期間に渡るご愛読、ありがとうございました。これからもバカセカをよろしくお願いします。
≪キャラ紹介≫
花園 日向
天使のような金髪に青眼、美しい容姿を持つ。ただし、左目が白眼(生まれつき)。表情を動かすことはほとんどなく、また、動かしたとしても、その変化は非常にわかりづらい。バケガクのCクラス、Ⅴグループに所属する劣等生。
笹木野 龍馬
通称、リュウ。闇と水を操る魔術師。性格は明るく優しいが、時折笑顔で物騒なことを言い出す。バケガクのCクラス、Ⅱグループに所属する優等生。
東 蘭
光と火を操る魔術師。魔法全般を操ることが出来るが、光と火以外は苦手とする。また、水が苦手で、泳げない。 バケガクのCクラス、Ⅱグループに所属する優等生。
スナタ
風を操る魔法使い。風以外の魔法は使えない。表情が豊かで性格は明るく、皆から好かれている。少し無茶をしがちだが、やるときはやる。バケガクのCクラス、Ⅲグループに所属する生徒。
真白
治療師。魔力保有量や身体能力に乏しく、唯一の才能といえる治療魔法すらも満足に使えない。おどおどしていて、人と接するのが苦手。バケガクのCクラス、Ⅴグループに所属する劣等生。
ベル
日向と本契約を交わしている光の隷属の精霊。温厚な性格で、日向の制止役。
リン
日向と仮契約を交わしている風の精霊。好奇心旺盛で、日向とはあまり性格が合わない。
ジョーカー
[ジェリーダンジョン]内で突如現れた、謎の人物。〈十の魔族〉の一人、〈黒の道化師〉。日向たちの秘密を知っている模様。リュウを狙う組織に属している。朝日との関わりを持つ。
花園 朝日
日向の実の弟。とても姉想いで、リュウに嫉妬している。しかし、その想いには、なにやら裏があるようで? バケガクのGクラス、IVグループに所属する新入生。
???
リュウと魂が同化した、リュウのもう一つの人格。どうして同化したのかは明らかになっていない。リュウに毛嫌いされている。
ナギー
真白と仮契約を結んでいる精霊。他の〈アンファン〉と違って、契約を解いたあとも記憶が保たれている不思議な精霊。真白に対しては協力的だったり無関心だったりと、対応が時々によって変わる。
現在行方不明。
レヴィアタン
七つの大罪の一人で、嫉妬の悪魔。真白と契約を結んでいる。第三章時点では真白の持つペンダントに宿っている
が、現在は真白の意思を取り込み人格を乗っ取った。本来の姿は巨大な海蛇。
学園長
聖サルヴァツィオーネ学園、通称バケガクの学園長。本名、種族、年齢不明。使える魔法も全てが明らかになっている訳ではなく、謎が多い。時折意味深な発言をする。
ビリキナ
朝日と本契約を結んでいる闇の隷属の精霊。元は朝日の祖母の契約精霊であったが、彼女の死亡により契約主を変えた。朝日とともにジョーカーからの指令をこなす。朝日とは魔法の相性は良くないものの、付き合いは上手くやっている。
ゼノイダ=パルファノエ
朝日の唯一の友人。〈コールドシープ〉の一族で、大柄。バケガク保護児制度により学園から支援を受け、バケガク寮でくらしている。バケガクのGクラス、Ⅴグループに所属する劣等生。
≪その他≫
・小説用イラスト掲示板にイラストがありますので、気が向いたらぜひみてください。
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.330 )
- 日時: 2022/08/31 09:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: GbYMs.3e)
22
場違いなほどに弾む学園長の声。顔を見るとやけに生き生きしていて不気味なくらいだ。なにがそんなに楽しいんだ、こんな疑問さえ浮かんでくる。
「急になに?」
「朝日君は相も変わらず冷たいな。そろそろ我慢の限界なんだよ。早く私に仕事をさせてくれないかい?」
「仕事?」
「私に与えられた役割を果たしたいんだ。なんせ私は精神をいじられて仕事をこなすことに快楽を感じるようになっているんだからね」
あー、随分前にそんなことを話していた気もする。ところで、その仕事ってなんなんだ?
「犬が散歩をおあずけされているようなものさ。耐え難い耐え難い。十分待ってやっただろう、そろそろ私にも出番が欲しいよ」
学園長はぐるぐると回りを見渡す。この場にいる全員の顔を見てから、誰かが口を開く前にはっきりとよく通る声で話し出した。
「まずは『正式な』自己紹介をしようかな!」
仕事机に座ったまま、歪む口元を隠すように机の上に乗せた手を組んで口の前に置いた。にやける目元は隠せていない。学園長の後ろにある大きな窓から差し込む光が、学園長の姿をモノクロに映し出す。
「私は〔最後のスート・理事長〕。五十五人目のヒメサマの下僕だ」
驚愕の前に納得がボクの心の底から湧いて出た。感情を司るのは心臓ではなく脳だから正確には頭の底からになるけれど。今はそんなことはどうでもいい。
スート。つまり、学園長は仮想生物というわけだ。なるほどなるほど。もう驚かない。いままで変な仮想生物をたくさん見てきて、既にお腹がいっぱいだ。驚きを食べるには満腹度が高い。
「なにから話そうかな」
学園長はにやにやと笑う。この状況が楽しくて仕方がないという表情だ。
「まずは、そうだね。ここは学園ではない。学園という名前がついてはいるが、生徒に学びを与える場という目的で作られた場所ではないんだ」
へー、そうだったんだ。まあ、確かにちょっとそこは気になっていた。この学園は神の建造物。どうして神が人のための学校を作ったのだろうと疑問に思ったことがある。そもそもここは学校じゃないと言われたら納得がいく。
「私はただの人形だ。自分に与えられた仕事をこなすことにしか興味がない。だから言ってしまうと生徒たちに愛情なんてものは一切存在しないよ。よって、申し訳ないけど真白君のことは残念だと思う、ただそれだけだ。学園として償う気はないよ。そもそもバケガクに入学するということは、バケガクの行事で命の危険があることを了承したということだ。バケガクが他の学園とは違って生徒により多くの危険が伴うことは、入学前からわかっていたことだろう」
バケガクは他の学園よりも危険な行事が多い。モンスターが侵入してきたりもするしバケモノが集まる学園だし。だからバケガク生徒は常に命の危険と共にある。一年間で必ず誰かが死ぬ、それも一人や二人じゃない。度々遺族に対応していたらキリがないということだ。バケガクが危険ということは入学前に注意事項として知らされていた。バケガク生徒の家族も覚悟はしていたはずなのだ。
「なっ、それが学園長の言うことなの?!」
「私は学園長ではない。この場所を管轄する理事長だ。
私は人を愛せない、その感情を持ち合わせていない。不要な感情だからだ。生徒が何千人死んだとしても私は一向に構わない。その生徒が神でなければね。私は私に与えられた仕事をこなせさえすれば、それでいいのだから」
モナは歯ぎしりをして唸った。
「あなたねぇ!!」
そこでふと思いついた。
「じゃあ、なんで学園なんてしてるんだ?」
元々ここが学園でないのなら、どうして学園という形をとったのだろうか。学園長が言う仕事となにか関係があるのか?
学園長はよくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせ、ボクに向き直る。
「私の仕事は神の収集」
神?
「神の座を捨て、下界人として転生する神々。生まれる時間も場所もバラバラ。そんなんじゃ、会いたいと思ってもそれは難しいだろう?」
せっかく同じ時代に生まれたとしても他の神がどこにいるかわからない状態になるということか。
「私は神が集まれる場所を用意し、神を見つけて収集する。そのために学園を名乗っているに過ぎない。神も転生すれば、幼少期は子供の姿だからね。なるべく早く集まるためには、子供が集まれる場所でなければいけないんだ」
「その神って、まさか」
学園長は笑った。
「君の想像通りだよ」
学園長は「与えられた役割を果たしたい」と言った。学園長の主な仕事が『神の収集』だとしても、いまこの場におけるさっき言っていた役割は違うはず。その役割がもし『学園長が知っていることをボクに話すこと』だとしたら。
そう思う根拠は一応ある。スートという言葉をモナたちが知っているとは思えない。実際いまも困惑しているみたいだし。学園長が話しかけているのはボクに対してだ。
だったら。
「まって」
ボクが口を開こうとしたところでモナが言った。
「色々わからないわ。スートってなんのこと? ヒメサマって? 神を集めるって、なんのためにそんな」
学園長は嬉しそうに目を細めた。
「君の質問に答えているという形式で話しているから、そうだね、答えてあげよう。
スートとはヒメサマが作った仮想生物の総称だ。ヒメサマはこの世界の創造神。神を集める理由はただ一つ。『神にそう命じられたから』」
「創造神? ディミルフィア様ってこと? ディミルフィア様があなたを作ったの?」
「そういうことだ」
モナは怪訝そうに顔をしかめた。
「デタラメじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「確かこの学園にはあなたが作ったっていう仮想生物がいたはず。仮想生物が仮想生物を作るなんて聞いたことがないわ」
その疑問ももっともだ。もっともなんだけどボクはあまり不思議と思わなかった。散々型破りな仮想生物を見てきたせいか、仮想生物が仮想生物を作るぐらいのことでは驚かなくなった。いいことなのか悪いことなのかはわからない。感覚が麻痺するということはあんまり良くない気もする。
学園長はモナの質問を笑い飛ばした。
「アハハッ、なにを言っているんだい。君たちのそばにもいたじゃないか、仮想生物が作った生物が」
まだいるのか。なんでボクの周りにいる仮想生物はおかしなものばかりなんだ。え、周りの仮想生物がおかしいんだよね? ボクはおかしくないよね?
「精霊を生物とするかは個人で考えが違うかもしれないがね、世界からすれば精霊も生物だ」
仮想生物が作った精霊? なんのことだ? 真白のそばにいた精霊といえば……。
「なんのこと? もしかして、ナギーのことを言ってるの?」
「以外に誰がいる。まさか気づいていなかったのかい? アニアも含め? やれやれ、精霊も堕ちたものだね。あんなに分かりやすい異質さに気付けないなんて」
ナギー。リン以外にボクが捕まえた、もう一人の精霊。いまはどこにいるんだろうか。
「確かにナギーは他の精霊とは違っていたわ。アンファンではないみたいだった。だとしても!」
モナは一度言葉に詰まって、いいえ、と呟いた。
「改めて考えてみればあなたの言う通り、ナギーは異質だった気がするわ」
「モナ?」
キドがモナに視線を移した。不安そうに揺れる瞳をモナに向ける。
「ナギーは自分が何者かもわかっていなかった。精霊は自分の使命を潜在的に理解しているものよ。ナギーは精霊ですらなかった、精霊に近いなにかだった。仮想生物というのも、あながち間違っていないのかもしれない。ただ疑問があるわ。仮想生物ならナギーに術者から与えられた役割があるはず。でもナギーにそんな素振りはなかったわ」
「私は一言も彼が仮想生物だとは言っていないよ。彼は仮想生物が生み出した、唯一の完全なる不完全な生命だ」
学園長の言葉は矛盾している。完全なのに不完全?
疑問が顔に出ていたのだろうか、学園長はボクに向き直り、答えを出した。
「生命は不完全なものだからね。完全な生命というと語弊が生まれるだろう?」
生命が不完全だとなにをもってそう言える?
問いかけてみようとしたけれど、唐突に理解した。生命は不完全なものだ、完全にはなり得ない。完全というのは欠点のない状態のこと。欠陥が皆無である状態のこと。生命は欠陥だらけだ。欲という欠陥、感情という欠陥、寿命という欠陥。生命である以上、欠陥を抱えて生きることは避けられない。ああしかし、そんな不完全な生命だからこそ、こんなにもいとしく感じるのだろう。完全を望み、完全になれない生命が哀れで哀れで、可哀想で可愛そうで仕方ない。そんな彼らがたまらなくいとおしい。
「仮想生物が生命を生み出すなんて、そんなことありえないわ!」
モナが叫ぶ。
「だが、事実なのだから仕方ないだろう。まあ受け入れろとは言わないよ。私には関係のないことだ」
突き放すような冷めた口調で、学園長はモナに言った。そして顎に手をやり、思案する。
「お次はなにを話そうか。めぼしい情報はもう今度全て公開してしまったね」
「き、聞いてないことがまだあるニャ!」
キドの声は震えていた。学園長は『はて』と顔に疑問符を浮かべて、キドを見る。
「ましろ、ましろはいまどこにいるニャ?」
学園長は数秒の間を置いてから「ああ」と呟いた。
「さあね。私は知らないよ。あいにく七つの大罪の悪魔との交流はない。何百年も前に会ったことはあるがね。向こうも私のことは覚えていないんじゃないか?」
「そんな! それじゃあ、ましろはもう助けられないのニャ?」
「そんなのはわからないよ。私は私の仕事をこなすために必要なことしか知らないんだから。でも、アドバイスくらいはできるかな」
キドは暗い表情に光を混ぜて希望を込めた目で、学園長を見上げた。
「なにニャ?」
「聞きたいのかい?」
変にもったいぶる学園長にやや苛立った様子で、しかしぐっとこらえてキドは言う。
「聞きたいニャ!」
学園長は淡々といった。
「長い時間をかけて、ゆっくり方法を探せばいい」
誰でも思いつきそうな単純な回答に呆然として、キドはぽかんと口を開いた。学園長は大真面目に言う。
「大罪の悪魔には寿命がない。大罪の悪魔に憑依されている限り、真白くんの体も老いないはずだ。そして真白くんは死んだのではない。半永久的に意識を眠らされている状態だ。真白くんを覚醒させることができればそれは、真白くんを解放することにつながる。
まあ、君たちにそれができるとは思えないけどね。なんせ彼らは強大な力を持っている。彼らもまたヒメサマが直々に自らの力を割って生み出した存在なのだから。
生まれもって所有している力が違う」
仕事以外に興味がないと言っておきながらベラベラとこんな事をしゃべるということは、これも仕事の一環なのかな?
「そうすれば、ましろは助かるのね?」
「モナ!?」
学園長の言葉を飲み込もうとする様子のモナにキドは驚きの声を上げた。
「時間がかかりすぎるニャ! ぼくたちはそんなに長く生きられないニャ!」
精霊には寿命が存在する種族と寿命が存在しない種族がある。モナたちは、その中で寿命が存在する種族なのだろう。それがなんなのかまでは特定できないが。
「だったらどうするって言うの?!」
キド以上の大声で、モナは言った。
「ましろを救いたいの。キドだって気持ちは同じでしょ?」
「当然だニャ! だけど」
「じゃあ、決まりね」
モナは座っていた長いすからひらりと降りて学園長室の扉へ近づいた。
「おや、帰るのかい?」
「なら聞くけど、これ以上なにかを話してくれる気があるの?」
「ないよ」
「だったら、私たちがここにいる理由はないわ。アニア様、帰りましょう。キドも行くわよ」
つんと澄ました顔で立ち去るモナといまだ困惑するキド、なにも言わずにぴんと背筋を伸ばして歩く老婆を見送って、学園長はボクに問いかけた。
「なにか聞きたいことはあるかい?」
質問をしたって答えてくれないくせに。
「いいえ」
心の中で毒づいて学園長に否定の意を伝える。
「そうかい。なら、茶菓子ぐらい食べていかないか?」
そういえば、机の上に茶と茶菓子が置かれてあった。
「いりません。失礼します」
学園長室を出て、校舎から出たところで姉ちゃんに会った。
「姉ちゃん! 待っててくれたの?」
Ⅴグループ寮からここまで転移魔法で送ってくれた姉ちゃん。とっくに帰ったと思っていたのに。冬も終わりかけているけれどまだ寒い。そんな中待っててくれたんだ。
あったかい気持ちが湧いて出る。姉ちゃんは落ち着いた口調で言った。
「帰ろうか」
差し出された手を握る。冷たい。
23 >>331
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.331 )
- 日時: 2022/09/01 06:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
23
東蘭は火が置かれた大地に立っていた。草木はとっくに枯れ果てて、土もすっかり乾いてしまった。東蘭の目の前にあるのはかつての東家。かつての彼が住んだ家。言葉通り全てが崩壊している。肉が焦げる臭いとまばらに転がる焼死体が東蘭を不快にさせた。
「この世界も、もうすぐ終わるのか」
東蘭がゆっくり呟く。そしてゆっくり考える。
「神であろうとこの世の理から外れることはできない。世界が終わるまで、あと二年。それまでに、なんとかしないと」
フェンリルが下界に現れ、[黒大陸]と他大陸との世界規模の戦争が始まり、しかしそれでも世界はまだ滅ばない。神であるフェンリルでさえもまだ世界を滅ぼすことはできない。そう定まっているからだ。世界が百万年ごとに滅ぶと定めたディミルフィアであってもこれに逆らうことは不可能なのだ。東蘭には二年の猶予が約束されている。しかし。
(全然足りない)
「おや、君は……」
東蘭に話しかけた者がいた。東蘭からするとなにもない誰もいないところからその人物が現れたように見えたが、それは向こうも同じだった。互いに不信感を抱きつつ、しかし話しかけられた以上、話しかけた以上、完全に無視をするわけにもいかない。東蘭は突然のことに驚いて思わず声がした方に目をやったのでとりあえず目は合った。
「はじめまして、ということになるね、ぼくはシキだ」
シキは相手の警戒心を解くために先に名乗った。
東蘭はシキがどうしてここにいるのかと不思議に思った。シキは和服を着ているが、どうやら東蘭のよく知る大陸ファーストで流通しているものとは形が違うようだ。なによりシキは茶髪だった。光の当たり具合で金に見えなくもないが。
これらの特徴から東蘭はシキが他大陸の出身だと判断した。
「おれは、えっと」
名乗りに困って、東蘭は言葉に詰まった。彼は東蘭ではあるが東蘭ではない。それに得体の知れない何者かに馬鹿正直に名を教えるのも気が引ける。そう考えたのだ。
シキは東蘭の思考を読んでいた、本当に読心術が使えるわけではなく同じような場面に遭遇したことがある、つまり経験したことから判断した結果だ。だからシキは自分の中で推測した東蘭の正体、その名を告げる。
「ヘリアンダー様でしょうか?」
東蘭は目を見開いたが、すぐに感情をおさめて落ち着いた声で肯定する。
「ああ、そうだ」
するとシキが跪く。両膝をついて両腕を組み合わせた。
「先程の馴れ馴れしい物言いをお許しください」
シキが東蘭の正体に気付いたのは名乗ったあとだった。シキは自分より尊い存在がそうはいないことを知っていたから、ついいつもの調子で話してしまっていたのだった。
「別にいい。堅苦しいのは嫌いだ」
「ありがとうございます」
今度はこちらから質問してやろうと東蘭が口を開く。
「なぜ、おれの正体がわかった? 普通わからないだろう」
東蘭の言う通りだ。ヘリアンダーという神はキメラセルの神々のうち二番目(一番はディミルフィア)の地位に当たる神だ。そんな神がどうしてこんな荒れた土地にいると思うだろう。
シキは微笑んで言葉を編んだ。
「裁きの痕跡を感じますから」
シキはぐるっと周りを見る。さらりと言っているがその言葉はさらに東蘭を驚かせた。
確かに東蘭はつい先程この大陸に裁きを下した。法を司る太陽神の名の下に。大陸ファーストが穢れた要因はいくつかあるが、その中でも特筆すべきことは身分ができたことだ。神は大陸ファーストの階級の象徴である六大家のうち、特に穢れた花園家と東家を崩壊させた。家を潰し、大陸内にいるこの二家の血が流れる人間を根絶やしにした。そして大陸全土のほとんどを燃やした。しかしそれを知る者は神々だけのはずだ。東蘭の視界に映るシキが彼の行った内容を知っているはずがないのだ。
神の力を明確に感じ取れるものなどそうはいない。せいぜいただ漠然と強大な力だと思う程度だ。東蘭はシキを睨んだ。
「お前、何者だ?」
シキの表情が苦笑に切り替わった。
「しがない旅人です」
旅人と聞いて東蘭はなにかが意識に引っかかるのを感じた。そして閃いた。
「しがない?」
東蘭はシキを鼻で笑った。
「どの口が言ってるんだ、〈橙の旅人〉」
「バレましたか」
そう言いつつシキも隠しているつもりはなかった。複数人いる十の魔族の中でも自分が一番有名であることを自覚しているからだ。気ままに世界中を旅しているうちに名が知れ渡ってしまった。正体を隠すほうが難しい。
「ここにいる目的は何だ? まさか観光ってことはないだろう。
こんなに荒れてるんだからな」
東蘭は自分を取り囲む景色を見た。見渡すかぎりの炎。草木はとっくに炭化して燃やすべきものなどない。なのに変わらず燃え続ける炎は宿るはずのない命さえも感じさせる。炎そのものが意思をもって大地を焦がしているかのようだった。
「そうですね。この光景を見に来たわけではありません」
シキは言うか迷った。神という絶対的な存在を前にして嘘を言うのは身の程知らず、そして命知らずの愚かな行為だ。
「隠すほどのことでもないのですが」
「なら言えよ」
それもそうだとシキは思った。うーんと唸り、頭の中で文章を組み立てる。
東蘭はそんなシキを見てやや苛立った。言うなら言う言わないなら言わないでさっさと決めろと念を送り、シキはようやく言葉を絞った。
「私の旅の目的を果たすため、ですね」
「旅の目的?」
「はい」
シキが世界中を旅する目的は、ただの娯楽でも名声のためでもない。シキには行きたい場所がある。その場所は行き着くことがとても難しい場所だ。シキは何百年と旅を続けているが、その場所へ行く方法は一向に見つからない。
「そうだ。一つお聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
シキはヘリアンダーという神ならば自分が知りたいことを知っているはずだと思い出した。それを教えてくれるかどうかは別問題として。
「内容による。とりあえず言ってみろ」
東蘭はシキがなにを自分に聞こうとしているのか全く見当がつかない。話している相手が神であると知りながら、話し方は丁寧だがこんなにもくだけた調子で話せていることも気になる。東蘭はシキという名こそ知らなかったが〈橙の旅人〉がとてつもなく長い年月を生きていることは知っていた。長く生きていることで様々なことに対して肝が据わっているのかもしれないとも思ったが、神との対話は誰であっても緊張を持つものだ。そうでなければいけない。東蘭はシキのことが気になった。
「天界へ行く方法を教えていただきたいのです」
その一言で、東蘭の思考は終着点を見つけた。これまでのシキとの短い会話でシキの正体について複数の仮説を東蘭は立てていたのだが、それを一つに絞ることができた。そして東蘭はその仮説が合っているという自信があった。
東蘭はにやりと笑った。そんな東蘭を見たシキも、自分の正体を連続で見破られたことに気づいた。
「寿命を全うしたら行けるだろ」
シキの正体が分かっていながら、意地悪くそう言う。東蘭の予想通りの返答をシキはした。
「残念ながら私は不老不死なのです」
「そうだろうな」
それからすぐに笑みを消して、彼は無慈悲な言葉をシキに投げた。
「ヒトの身でありながら天界に行く方法は存在しない」
シキは目を丸くした。見つからないだけでその方法は存在すると思っていたからだ。神の言葉を疑えるわけがない。神がこう言っているのだから、それが真実だ。シキは絶望した。天界へ行く方法がないのであれば、自分はなんのためにこんなに長い時間をかけて旅をしていたのだろうと。
「話は最後まで聞け。なにごとにも例外はある」
シキはもう一度、目を見開いた。
「簡単な話だ。天使と交渉したらいい。本気で探せば見つかるはずだ。知っていると思うが、天使は下界によくいる。姿を巧妙に隠しているだけで」
東蘭は自分でこう言いつつ、それが難しいことだともわかっていた。天使はただその存在を見つけづらいだけなのではなく気難しい。天界という聖なる場所に生きたままの汚れた人の身を立ち入りさせることを許すとは思えない。そして、そのことはシキも理解していた。それでもシキは力強く頷く。
「わかりました。ありがとうございます」
東欄に言われる前からシキは天使を探していた。東欄にいま言われた方法を試したかったのだ。
しかし天使はなかなか見つからない。天使との交渉はいまの段階では唯一確実性のある天界へ行く方法であったがシキは半ば諦めかけていて、これ以外の方法を探していたのだ。
正直なところシキはがっかりした。神が天界に行く方法はないと言い、その例外としてこれをあげたということは、やはりこれ以外に方法はないということだ。
しかし、神の口から天界に行くことは可能だと聞かされた。シキの中の諦めを取るには、それで十分だった。
「用事は済んだろう。さっさと行け。おれはまだすることがある。暇じゃないんだ」
東蘭は西を見た。見たというより睨んでいると表現した方がふさわしい。シキもそれに倣って西を見る。東蘭がなにを見ているのか初めはわからなかった。だが、すぐに納得した。
「フェンリル、ですか」
東蘭は顔は動かさずに視線をシキに向けた。目だけで肯定を示し、つぶやく。
「救いたいヒトがいる。人ではないけれど」
「命を失うかもしれませんよ」
言った直後にシキは慌てて口をおさえた。余計なお世話だとわかっていたからだ。心の声が漏れてしまって焦った。東蘭は怒ることはなく、寂しそうに微笑む。
「神は死なない、そして死ねない」
その言葉は独り言だった。
「その悲しみを背負い続けるヒトがいる。おれはあの方を救いたい。あの方にはリュウが必要なんだ」
信仰心の薄い下界人は、神は人の作り上げた幻想だという。しかしそれは違う。人は概念に名前を付けただけだ。神が神という名を持っていなかったときから神は存在していた。神はかつてのヒトであった。ヒトの上にヒトができ、ヒトは神という名を与えられた。神とはいったいなんであろうか。神とはヒト以外の存在だ。ヒトとは人間であり動物であり植物であり怪物であり竜であり妖怪であり精霊であり天使であり悪魔だ。下界に住む全ての生命のことを指す。
神は、存在する。
そして、ヒトは神に成り得ない。
─────
一人の女が立っていた。腰まで伸びた髪は光を吸い込むほどに深い真紅。顔は見えない。女はこちらに背を向けている。その背から生える大きな二対の翼は天使のものとよく似ている。その翼も髪同様の深紅であった。元々そういう色なのか、それとも返り血で染まったのかわからない真っ赤な服は背の部分が大きく裂けて、痛々しい傷が左肩から腰に向かって刻みつけられている。その傷は翼にも及び、四枚あるうちの一枚が外れてはいないものの不自然に折れ曲がっている。
女はかがみ、そばにあった天使の死体の腹に手を当てた。持っていた短剣で腹を裂く。ぐちゅぐちゅと掻き混ぜるように腹の中を探って、女は天使の腹から赤ん坊を取り出した。おぎゃあおぎゃあと泣き喚く赤ん坊を強く抱き、小さな声で決意を示した。
「絶対に、守るから」
24 >>332
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.332 )
- 日時: 2022/08/31 20:28
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
24
コンコンコン
「朝日、おはよう。ちょっといい?」
ボクがベッドの上でぼーっとしていると部屋の扉が叩かれた。ベッドの上にいたけど身支度は整っている。どこに行くわけでもないけどね。誰かの前に出ても恥ずかしくない格好をしているのでボクはすぐに出た。声から判断するに訪問者はゼノだ。
「どうしたの?」
扉を開けた先にいたゼノは制服だった。ゼノは服を持っていないのか、いつも制服だ。しっかりと赤いリボン結んでいる。Ⅴグループの生徒は赤いリボンやネクタイを疎ましく思っている場合が多いが、ゼノはそうでもないらしい。それどころかⅤグループであることに誇りを持っているようでさえある。ちなみにボクは姉ちゃんと同じネクタイをつけられて嬉しいし、その姉ちゃんはまずネクタイの色に欠片ほどの興味がないみたい。
「一緒に散歩しない?」
「散歩? ああ、ゼノってよくバケガクの中を散歩してるんだっけ」
「そう。いつか誘いたいなって思ってたんだ」
にこにこしているゼノの表情が突然変わった。焦ったように言葉をくっつける。
「も、勿論、迷惑だったらいいよ!」
そんなゼノを見て思わずボクは微かに笑ってしまった。
「ううん、大丈夫だよ。誘ってくれてありがとう。寮から出るんだよね。すぐに準備終わらせるから玄関の方で待っててくれる?」
「うん、わかった」
いまボクは部屋着で、寮から出るときは制服着用が原則だ。元々服以外はいつでも外に出られる状態だったから着替えただけでボクは玄関に向かった。
「お待たせ」
待たせた時間はほんの五分程度だろうから待たせたとは思っていない。ただの社交辞令だ。
「エヘヘ。じゃあいこっか」
ゼノは偽物だなんて気付けないくらい嬉しそうな顔で笑った。つられてボクも笑う。ボクとゼノとの間に感じる溝は無視しておいた。
寮から出ると例の黒い馬車が止まっていた。馬だけじゃなくて馬車そのものが仮想生物で、利用者がいたらそれを感知して出現するんだとか。何だそりゃ。馬車そのものが生物だなんて。模造品ならまだわかる気もするけど。姉ちゃんからこの話を聞いた直後は頭がこんがらがった。黒い馬は久々に見たまともな仮想生物だと思ってたけどそんなことはなかった。仮想生物って何だっけ。
きっとゼノは慣れているんだろう。特に何かを気にする素振りもなく馬車に乗り込む。続いてボクも馬車に乗り、ゼノの向かいに座った。
「どこか行きたいところはある? 散歩する場所じゃなくてもいいよ。例えば図書館とか」
「ボクが決めていいの?」
「うん。せっかくだし、朝日が行きたいところに行きたいな」
うーん、どうしようか。別に行きたいところなんてないんだけどな。図書館には前に行ったし。
そう悩んでいると、ふと口が開いた。
『西の海岸へ』
口が勝手に動いて、ボクの意思とは関係なく言葉が飛び出た。びっくりして固まっていると同じように驚いた顔をしたゼノが口を開いた。
「西の海岸はわたしも行こうと思ってたの。帰りに寄りたいなって」
ゼノはまた笑った。
「同じこと考えてたんだね」
違うとも言えず、ボクは頷いた。どこでも良かったし。馬車は寮を取り囲む森の中に入った。ここを抜けた先が西の海岸だ。一種の転移魔法かな。
「戦争のこと、知ってる?」
行き着くまでの話題にゼノが選んだのは、戦争の話だった。やけに物騒な話題を選んだな。
「標的がこっちに移ったってやつ?」
かなり省略して言ったけど、ゼノには伝わったらしい。
「そう、それ。花園先輩は大丈夫なの?」
カツェランフォートの連中は屋敷に忍び込んだ大陸ファーストの人間を姉ちゃんだと思い込んでいるらしい。そんなことが最近の新聞に載っていた。正解は弟であるボクだから近からず遠からずってとこかな。姉ちゃんが黒と白の魔法が使えることは『白眼の親殺し』の事件直後にもうバレていたからそれで勘違いしたんだろう。無理もない。黒と白の魔法が使える人間なんてそもそも存在すること自体がおかしな話だから、他にそんな人間がいるだなんて考えもしないだろうし。あとは笹木野龍馬ど個人的に親しかったのも大きいかな。
「姉ちゃんなら心配いらないよ。ボクたちは飛び火を心配しなきゃ」
カツェランフォートの連中ごときに姉ちゃんがどうかされるなんて、想像すらできない。
「どうしてそう言い切れるの?」
ゼノがボクを見つめる。ゼノにしては、こちらを探るような目を向けてくる。
ボクが嫌いな目だ。
「どうしてって」
『そう定められているからさ』
ボクが言うと、ゼノは眉間にしわを寄せた。
「朝日、怖いよ。わたしが知ってる朝日じゃないみたい」
ゼノはスカートを握りしめた。ボクを見つめる目が訴える感情は恐怖だ。
「お願い、教えて? 朝日に何があったの?」
「何って別に何もないけど?」
ゼノの呼吸が乱れたのが見えた。馬車の振動音が実際以上に大きく聞こえる。
「その、手袋、どうしたの?」
ゼノが絞り出した言葉を聞いて、声が出なくなった。多分ゼノは緊張している。顔を真っ赤にして、大柄な体が居心地悪そうに小さくなっている。だけど、ゼノ以上に緊張している自信がボクにはある。ゼノはいままでこういうことに首を突っ込んできたことはなかった。ゼノはボクをいままでとは違うって言うけれど、それはゼノだって同じじゃないか。
「わたしがネイブさんに言われたことも教えるから、朝日も教えて欲しい。友達として、朝日の助けになりたいの。わたしじゃ頼りにならないかもしれないけど」
それきりゼノは黙ってしまった。
ボクは考える。ゼノが本心からこう言っているのはわかってる。ゼノのことを信用もしている。腕が黒く染まっているくらいでボクを嫌ったりしないだろうし、それを言えばゼノだって肌は黒い。そう。頭ではわかってる。時には人に助けを求めることが大事なんだってことも。だけど頭と心は別物だ。ゼノの言う通りボクは明らかに前とは違う。嫌われるのが怖い。
思えばボクは誰かに嫌われることに恐れたことはなかった。誰に好かれようが嫌われようがどうでも良かったし、にこにこしていれば勝手に人が寄ってきた。姉ちゃんに関しては家族なんだから嫌われるわけがないと思って安心していた。でもゼノは違う。ゼノは他人だ、ボクを好きで居続ける理由がない。いつ嫌われてもおかしくないし、いまこの瞬間一緒にいることが奇跡に近い。罪に侵され汚れきっているボクと、辛い過去を背負いながら地に足をつけて懸命に生きるゼノ。本来同じ空間にいることがおこがましいんだ。そしてそのことを、ボクの罪を、ゼノは知らない。知らないからこそ、ゼノはいまボクとこうして過ごしているんだ。ゼノが黙り、ボクが黙った。二人きりのときにこんなに重い空気になったのは初めてだ。
ゼノはこういうのが嫌いだ。好きな人なんていないだろうけど、ゼノは人一倍嫌うんだ。こうなることはわかっていたはずだ。なのに言ってくれたんだ。
わかってる。言うべきだ。嫌われたくないからこそ、言うべきなんだ。
「ゼノ」
ボクは意を決してゼノの名前を呼んだ。
「嫌ってくれてもいい。嫌な気持ちにさせてしまったら、森を抜け次第馬車を降りて帰りは歩く。ボクの話を聞いてくれる?」
ゼノの表情が明るくなった。ボクが話し終えたとき、ゼノが浮かべる色は何色だろう。
ボクは息を吸った。頭の中で話すべきことをまとめて、もう一度覚悟をして──
『だめだよぉ、そんなことしちゃ』
一瞬視界が真っ暗になってもう一度目の前の世界に色がさしたとき、そこにゼノはいなかった。赤い血液が滴る黄と灰が混ざったような大地と、その上にかさばる肉塊。人間だけではない、獣人なんかの種族の体もある。どの遺体もぐちゃぐちゃで原型をとどめているものは少ない。命を失った状態で、大陸も種族も超えて、物理的に一つになっている光景がとても美しく思えた。
自分はどうかしてしまったのだろうか。
ふと湧き上がってきた疑問に蓋をして見入っていると、突然空間が歪んだ。その歪みはすぐに止んで、ボクの正面にはさっきまでいなかったはずの人物が立っていた。
炎よりは大地に流れる血液に近い色をした癖のある鮮やかな赤い髪。つり上がっていると言えなくもないという程度の控えめなつり目、それもまた紅玉を彷彿とさせる赤い煌めきを放っている。顔は全体のバランスを見ると十分に整っていて、でも人懐こそうな子どもらしいあどけなさが前面に出た親しみやすい顔だ。体格は小柄で手足は作り物の人形のように細い。格好は道化師のものみたいでそれも真っ赤。こんな人は見たことがない。そもそも赤を持った種族なんていないからいまボクが見ているものは明らかにおかしい。いままで散々おかしいものを見てきたけど、さすがにこれはあり得ないだろう。でも辺りに漂う強烈な腐敗臭はボクにこれは現実だと告げている。
初めて会ったはずだ。なのに初めて会った気がしない。この顔は毎日鏡の向こうに見ている顔だ。
ボクに笑みを向ける彼は、些細な違いはあれど、それでもボクと瓜二つだった。
「わあ、間近で見るとより一層よく似てるってわかるね」
向こうも同じことを思ったようで、まず初めにそう言った。
「はじめまして、オイラはダイヤ。スートって言えばわかるかな? ほら、ジョーカーの同類だよ」
そういえば着ている服がなんとなく似ているような。あまりに色が違うから気付けなかった。色って大事なんだね。
「君のことはよく知ってるよ、花園朝日くん。しばしば観察してあげていたからね。ああ、ごめん、もうこんなふうに上から話しちゃだめなんだっけ。君の場合、オイラたちと同等になったんだから。むしろあの御方に作り替えられた君はもしかしたらオイラよりも上になるのかな。よくわかんないや」
ダイヤの言うことが理解できない。頭の中を疑問符で埋め尽くそうとしていると、ダイヤはふふっと笑った。
「ごめんごめん、置いてけぼりにしちゃったね、ちゃんと説明してあげるから」
ダイヤは両手を広げた。ボクとそっくりな顔で、心底楽しそうな顔をする。
25 >>333
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.333 )
- 日時: 2022/12/10 10:19
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CKHygVZC)
25
「あんな奴にキミのことを話す価値なんてないよ、あんな奴ってゼノイダのことね。オイラが止めなかったらあのままペラペラ話したでしょ。だめだめ、罪の吐露なんて、贖罪なんてしなくていい。キミはそのまま神に堕ちなきゃ。
ねー、あの御方のこと知ってる?」
たまに色んな人の口から出てくるあの言葉か。
「知らない。特に興味もないからそんなに気にしたことがない」
「ふーん。でもこれがオイラの役目だから言うね、あの御方はヒメサマの生みの親だよ」
えっ?
予想外の言葉がダイヤの口から出てきた。ヒメサマって姉ちゃんのことだっけ。でもいろんな人(?)は姉ちゃんとヒメサマは別人だって言ってたし。
「困惑してるね。無理もないか、みんなわかりにくい言い方ばっかりするもんね。仕方ないよ、これを告げるのはオイラの役目だから。
初登場が遅れたけど、これも神が望む順序に従ってるだけだから許してね」
ボクと見た目が似ている割に、声はあまり似ていない。ボクは声変わりがまだなので声が高く女性に聞こえることもあるみたいだけど、どちらかと言えば男声だ。対するダイヤの声は中性的に聞こえなくもないがおそらく女性の声だ。低めの女性の声。
「ヒメサマはキミのよく知る花園日向とは全くの別人だ。だってあれはキミと同じ女の腹から出てきた人間だし。でも世界からは同一人物として処理される。その理由は、世界は肉体で存在を認識しているわけじゃないから。花園日向なんていうのは肉体に付属する名称だ。花園日向はなんの変哲もない人間だ。少なくともオイラたちにとってはね」
ダイヤは気づかないうちにボクと距離を詰めていた。視界いっぱいに映るダイヤの笑顔は、鏡の中でも他人の瞳の中でも見たことがない種類のものだった。
「特別なのはその魂だ。支配者であり、ディミルフィアであり、ヒメサマでもある魂。つまり支配者とディミルフィアとヒメサマは同一人物だよ。花園日向は違う。なぜなら花園日向になったヒメサマは支配者としての権限をある程度喪失しているから」
遠くで爆音がした。目をそちらへやるとそこら中で煙が立っている。どうやらここは現実世界の戦争をしているどこからしい。
「正しくは喪失したんじゃなくて分裂したんだけどね、魔力とか権力とかが。
ベルって知ってる? 花園日向の契約精霊のことなんだけど」
当然知ってる。ボクは頷いた。どうしてここでベルの名前が出てくるんだ?
「あれだよ」
「あれ、って?」
「わからない? 気づける場面はあったと思うよ」
ダイヤはくるっと回ってボクに背を向け、ボクから距離をとった。
「バケガクを修復したとき。あのとき一回、二人は同化していたよ。その証拠、と言えるかはわかんないけどヒメサマはキミに左目を見せないようにしていたはずだ」
その言葉に衝撃を受けた。そのときのことなら、よく覚えている。忘れられるわけがない。つい昨日のことのように思い出せる。そういえば姉ちゃんに抱きしめられて、急に姉ちゃんの体が光ってベルが現れたんだっけ。
「そうそう、あれ。あのとき花園日向は一度ヒメサマになって、もう一度花園日向になった。花園日向のままヒメサマの力を使うと体の負担があまりにも大きい。花園日向は自分の体を大事にしていないから、ヒメサマに戻りたがっていない割には簡単にヒメサマとしての力を使う。けどさすがにあのときは戻ったんだよ。花園日向のまま分解魔法と創造魔法を使っていたらあっという間に力に飲み込まれちゃうからさ」
ダイヤはコテンと首を傾げた。
「花園日向の腕が魔法を使ったあと、たまーに黒くなってたりするでしょ? あれってヒメサマとしての力を使ったからなんだよ。あの力を使って花園日向の体が黒に染まりきったとき、花園日向は完全にヒメサマに戻る。だから、あとちょっとなんだけどぉ……」
なにがあとちょっとなのかをぼかしたまま、ダイヤは嬉しそうに言葉を並べた。
「あの御方自らが動いて花園日向をヒメサマに戻すんだってさ。あとちょっと、あともう少しでヒメサマが帰ってくるんだ」
姉ちゃんの腕がたまに黒くなっていたのにはそういう理由があったんだ。
どうしてボクは姉ちゃんのことを疑わなかったんだろう。思い返してみれば、変なことだらけじゃないか。腕を黒くする魔法以外の魔法を使って腕が黒くなるわけないし、白と黒の魔法を同時に扱える存在がいるわけないのに。
「そもそも〈スカルシーダ〉って器なんだよね、神の力の。笹木野龍馬の契約精霊にも会ったことあるでしょ? あいつもそうだよ。ディフェイクセルムおよびフェンリルの力の器。神を人に変えるには器が必要だったんだ。だって考えてもみてよ。神の力を持ったままじゃ、人の体はもたない。種族によって耐えられる力の量、つまり器の大きさは差があるけれど神の力はその比じゃない。一番器の大きい精霊族だって神の力には到底及ばない。天使族に転生するのは、あいつらは神に仕える身だから論外。だから、わざわざ〈スカルシーダ〉という神の器としてしか存在価値がない種族を生み出して転生したんだ」
『おれはネラク、第二の器』
ネラクの名乗りの意味がようやくわかった。てことは、第一の器はベルってことになるのか。
「なんでそこまでして転生したかったんだ?」
そうだよ、そこだ、そこが気になる。どうして神という座を捨ててまで下界で生きることを決めたんだ? 捨てる理由がわからない。だって、神は世界の頂点だぞ? ディミルフィアならなおさらだ、神の頂点だ。捨てようなんて思うかな。そもそも生きる種族を変えようなんて思いつくか?
「それはね」
ダイヤはそんなことまで知っているようだ。ニコニコの笑顔を崩さずに、ボクの問いに答える。
「理由は二つあるんだよね。ヒメサマ自身と、それから種」
一つの理由だけじゃ動けなかったということか、そりゃそうだよね。
「ヒメサマはね、悩んでいたんだ。自分という存在について。一言で言ってしまえば支配者を辞めたがっていた。なんでかわかる?」
わかるわけないだろ、そんなこと。ボクは首を横に振ろうとして、それをダイヤに止められた。
「ちゃんと考えて。考えたらわかるはずだよ」
そう言われてもわからない。ダイヤはちょっと首を傾げてこういった。
「んー、じゃあヒント。支配者には悠久の時間がある」
ボクが黙っているとダイヤは腕を組んだ。
「まだわからないか、ならもう一つ。孤独ってどう思う?」
ヒントと言いながら質問してるじゃないか。そう心の中で突っ込んだが口には出さない。この質問なら答えられるかと思って考えてみる。
孤独、か。
ボクが孤独だと感じたのは、姉ちゃんがいない、花園家の本家で暮らしていた八年間。ボクは透明人間みたいだった。みんなみんなボクという存在じゃなくて、それに付随する魔法の才能とか花園家当主の資格とか、そんなものばっかり見ていた。誰の目にもボクは映っていなかった。別にそれはよかった。わかりきっていたことだし諦めていた。いや、諦めもまた違うな、そもそも興味がなかった。ただ姉ちゃんがいなかった、それがものすごく。
「つらい」
ダイヤはうんうんとうなずく。
「そうらしいね。オイラはよくわかんないけど。
支配者ってさ、孤独だと思う?」
ボクはもう一度悩む。でも支配者のことがいまいちよくわからないから結論に困るな。
「想像しにくいよね。わかりやすく例えてみようか。君に大切な人がいたとしよう。花園日向やゼノイダがそれに当たるのかな。その人たちが死んだらどう思う?」
ボクは即答する。
「悲しいんじゃないかな」
するとダイヤは意外そうな顔をした。
「どうしたの? 今までの君なら花園日向が死ぬって想像するだけでパニックになりそうな気もするけど、なにかあったの?」
そういえばそうだったっけ。なぜと問われた返答をボク自身も持ち合わせていない。まだ起こっていないことを想像するのは難しい。
「本当にそれだけ?」
「どういうこと?」
「気づいていないなら、まあいいや。
そうそう、悲しいね、そうらしいね。でも人って単純で、時間が経てば傷は癒えるんだよ。他に大切な人ができたりしてね。じゃあそれがずっと続くって考えたらどう? 自分以外が年老いて、自分以外が死んでいく。十や二十で収まりきらないそれこそ無限の数。傷は癒えるよ。癒えるけどさ、そのときそのときの悲しみの大きさは変わらないらしいんだよ。その悲しみを、これから何度も何度も何十も何百も繰り返すって思ったら、嫌になるんじゃない?」
ダイヤがなにを言いたいのかなんとなくわかってきた。
「それと似たような感覚だよ。ヒメサマに人を愛する心はないから見知りが死んだとしても悲しんだりはしないけど」
人を愛する心がない? でも、姉ちゃんは笹木野龍馬を愛していたようだった。あれは違うのかな。
「あれはただの人の真似事だね」
ダイヤは言う。
「ヒメサマってね、人を狂わせる才能があるんだ。ヒメサマに関わった魂は、全部全部狂っていく。中にはもちろん例外も含まれるけど。そういう魂をときにはヒメサマが消去することもある。でもヒメサマの狂信者たちはヒメサマに殺されることに至福を感じる。とても幸せそうに死ぬんだよ」
それを気持ち悪いと思う反面気持ちはわかると思う自分もいる。どうせ死ぬなら、姉ちゃんの手にかけられたい。どうしてと尋ねられたらこう答える。人生においてたったひとつの経験を姉ちゃんの手で行ってもらえるなんて、幸せ以上のなにものでもないじゃないか、と。
「ヒメサマはそれを見て不思議に思った。死を恐れる人間が多い中、どうして彼らは幸せそうに死ぬのかと。そして気付いたんだ、なにかを盲信している彼らだからこそ、死を恐れずに死ねるのだと。
ヒメサマは羨ましいと思ったんだ。それからふと愚かしいことを思いついた。溺れるようになにかに尽くすことができたとしたら、自分は救われるんじゃないかって。つまり、死ねるんじゃないかって」
ダイヤはけらけら楽しそうに笑う。
「おかしな話だよね。そんなわけないのに。ヒメサマとその他は根本から違う。ヒメサマはただの道具だからさ、道具に感情があるわけないじゃない。道具に感情が芽生えるわけないじゃない。それをヒメサマは理解してるはずなのにね。ヒメサマを変えたのはあいつだ」
それが誰かはボクにもわかる。
「ディフェイクセルム、リュウだかフェンリルだか知らないけど。
あいつだよ」
知ってる。ボクは頷いた。
26 >>334
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.334 )
- 日時: 2022/08/31 21:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
26
「感情を持たないヒメサマが唯一執着ができる者は種だけだった。種はヒメサマにとって特別な存在だった。道具という観点からしてもね。種が現れたということはヒメサマは支配者の権限を与えられたということだ。支配者である以上、種に執着せざるを得ない。ヒメサマはあいつになら溺れることができるんじゃないかって思ったんだ。そして人の真似事を、つまり依存の真似事を始めたんだね。本当は何とも思っちゃいないよ、あいつのことなんて。道具としてしか見てない」
そうか、そうだったんだ。姉ちゃんは笹木野龍馬を愛してなんていなかったんだ。姉ちゃんは誰のものでもなかった。
「それは違う。ヒメサマはオイラたちのものだよ。そして、オイラたちはヒメサマのものだ。オイラたちは元はヒメサマだったんだ。ヒメサマは自らの力そのものを使ってオイラたちを生み出した。オイラたちはヒメサマの一部、ヒメサマそのものだ。元々一つだったんだよ」
ダイヤは言いきった。
「もう一つの理由って?」
ダイヤはおもしろくなさそうに口を尖らせた。
「反応薄いなー。イロナシってば君のことびっくりさせすぎたんじゃない? 慣れちゃったんでしょ」
「まあね」
きっとそういうことなんだろう。行動でも言動でも、あいつには散々驚かされた。それに最近は驚くことばかりだ。
「いいから教えてよ」
「はいはーい」
ダイヤはあからさまなため息を一つ吐いてからボクの質問に答えた。
「もう一つの理由は種にある。ディフェイクセルムである種にね。ディフェイクセルムが他の神に、てか兄弟妹にいじめられてたのは知ってるよね? それでディフェイクセルムはヒメサマの元に逃げてきたんだよ。と言っても初めからヒメサマを頼ったわけじゃなくてかくかくしかじか色々あったみたいだけど」
口頭でかくかくしかじかって言われても伝わらないよ。そこって大事な部分じゃないのか。
「そう怒らないでよ。ややこしいんだよねこの辺は。詳しく話していたら時間かかるし、なによりオイラはあそこまでキミに伝えろって言われてないからさ」
なるほど、結局はダイヤも自分の役割を果たしているだけということか。そういう奴ばっかりだな。ジョーカーも学園長もダイヤも。違ったのは、スペードだ。全員同じスートのはずなのに、スペードだけはなにか違う。理由があるのかな、気になる。
「スペードのことが気に入ったんだね」
ダイヤはくすくす笑った。紅玉の瞳が楽の感情を映し出す。
「なに笑ってるんだ」
「別にー? 続き話すね。
助けを求められたヒメサマはそれに応えた。その時から依存の真似事を始めていたからね、あいつの願いをなんでも叶えてやろうとしたんだ」
願いを叶えるためにした行動が転生だったということか。とんでもない思考回路だな、常人じゃ思いつかないことだ。明らかにおかしい。
「でもそれがいいんだよねー」
ダイヤはうっとりと目を細めた。頬を赤らめたことでダイヤを覆う赤色が増えた。ダイヤも他のスートと同じくヒメサマの狂気の虜になっているのだ。
「おっ、いいねいいね、神化が進んでる。その調子だよ、がんばって!」
ボクはダイヤがなにを言ってるのかわからなくてキョトンとした。いまのどこでボクの神化が進んでいると判断したのだろうか。
「そんなことどうでもいいじゃん。
かなり噛み砕いたけどこんなもんかな。なにか聞きたいこととかある?」
聞きたいこと、うーん、どうしようかな、スペードのことも聞いてみたい。でも、なにを聞こう。
ボクがそうやって悩んでいるとダイヤがボクの手を握って走り出した。
「質問なんてないよねー。ね、遊びに行こうよ! 向こうでフェンリルが暴れてるんだ」
「えっ、ちょっと!」
ボクの話なんて聞く気がないんじゃないか。質問があるかどうか尋ねたのはそっちだろう。ボクはもやもやしたけどダイヤがボクの手を引く力はかなり強くて、転ばないようにダイヤの足に合わせるのが精一杯だった。
荒れて固くなってしまった大地を懸命に蹴る。かなり長い距離を走って、ボクはそれなりに体力がある方だと思っていたけれど息切れがした。走り出したときと全く同じ速度でダイヤが走り続けるからだ。その速度も速いしダイヤが全く疲れた表情をしていないことから、人間離れした運動能力を持っていることがわかる。これで手加減しているんだからなおさらだ。
走っている横で転がる死体はやはり様々な種族が入り混じっている。そして、やっぱりボクはそれを美しいと思うんだ。敵対していた種族が性別も年齢もわからなくなる体になって死を持って一つになる。これが世界が理想とする形なのではないか?
腐敗臭と混じって血の匂いも濃くなってきた。走るにつれて死体の数も増えていく。遠くで、フェンリルの体が見えた。灰色に染まった空の下、もともと空にあった蒼を吸収してしまったかのような澄み渡った青い毛皮。見間違えるはずのない脳裏に焼き付いたあの蒼が、あの怪物が、かつての笹木野龍馬であることを物語っている。
フェンリルの側には空中から現れた鎖がある。鎖は無差別に人を巻き付け、ときには突き、叩き潰す。そうやって人は命なき器に成り果てる。フェンリル自身も手足を真っ赤に染め上げて魂の抜けた肉体を貪る。あの巨体ではなかなか腹は膨れないだろう。腹を満たすために殺してるのかは知らないけど。
「あれ、もう疲れたの?」
息を切らしているボクを見てダイヤが立ち止まった。質問に答えようにも呼吸が邪魔してうまく喋れない。ボクのこの様子を見て判断してくれ。十分体現しているから。
「あの鎖、ずるいよねー。オイラも欲しいや」
いや、まずボクのことにそんなに興味がなかったみたい。フェンリルを見て呟いた。
「あの鎖がどうかしたの?」
呼吸を整えながら尋ねてみる。
「知らない? 笹木野龍馬も使っていた武器だよ。鉄製のものならなんにでも形を変えることができるんだ。剣とか鉄球とか」
そんな武器があるのか。確かに姿を変える武器は、あることはあるけどそれは大抵の場合二通りだ。なんにでもということは有り得ない。まあ、これは神の武器だと言われたら納得できる。驚くに値しない。
「他の神でもなかなか持ってないよ、あれは。いいなあ、いいなあ、触ってみたいなあ。ヒメサマは武器を使わないから珍しい武器に出会える機会ってあんまりないし」
「えっ、でも姉ちゃんは短剣を使ってたよ?」
ボクが言うと、ダイヤはじろっとボクを睨んだ。
「だから、それは花園日向だって。花園日向とヒメサマは違うって言ったでしょ」
肉体が違うだけじゃないのか、使ってるのは同じ人物じゃないのか。
「全然違うよ。性格も違うし持ってる力だって違う。狂気も静かだしさ」
ダイヤはすぐに怒気をおさめた。改めてフェンリルに目を向け、ボクの手を握ってやや興奮したように駆け出す。
「もっと近くで見てみよう!」
「わああっ!」
ダイヤの足に懸命についていく。フェンリルとの距離がぐんぐん縮まっていくのを体感して背筋がゾクッとした。言いようのない不安に襲われる。でも不思議と死の予感はしなかった。
突然のことだった。
フェンリルが消えた。空を覆い尽くすばかりのあの巨体が消え、代わりに目の前に、人型の『なにか』がいた。体格からして男性だ。洋風の貴族らしい、けれど華やかさはあまりない返り血がベッタリついた青と黒の洋服。かなり大柄で、ボクはおろか姉ちゃんの身長も越すのではないだろうか。
顔は見えない。子供が黒のクレヨンで落書きしたようにぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。とは言っても顔に直接塗られているわけではなく、落書きは空間にまで及んでいる。それに、ずっとぐにゃぐにゃと変形している。落書きだと思える範囲で、動き続けている。気味が悪い。気持ちが悪い。
男はなにも話さない。
落書きが裂けた。大きな満月が三つ現れ、次第に欠けた。向きのおかしな三日月が、笑っている。位置のバランスからしてそれらは二つの目と口を表すのだろうと分かるが、男の体格から推測されるそれらのパーツからは明らかにズレている。落書きが、笑っている。
「……」
なにかが聞こえた。それがなんなのかはわからない。『なにか』だった。
「……α……πώ」
ボクは後ずさった。命の危険ではないが身の危険を感じる。逃げた方がいい。いや、逃げなければいけない。どこに? どこにも逃げられない気がする。それでもいい。とにかく遠くへ逃げるんだ。なのに足が動かない。
地面に足が縫いつけられたみたいだ。
「χlχlooτοσάςάdτοσρsorsηdοrρτάηalaςlooηρoaσχsςlo……」
落書きが蔦みたいにしゅるしゅる伸びて、男が発した言葉が文字になって空中に現れた。初めは文章のように綺麗に並べられていた文字が、書く余白がなくなったために先にそこに書かれていた文字の上に重なっていく、そしてどんどんどんどん白い部分がなくなって、やがて空は文字の黒で覆い尽くされた。
「τlsσρoοlrάsσrρσoητaoοηάaχτoρςlχsάdalςηςoχlοood……」
それでも男は言葉を出すのをやめない。横に収まりきらなくなった文字は上へ下へ、前へ後ろへ現れる。空だけでなく、空間そのものが文字に支配されつつある。
逃げられずにいたたった数秒でボクの視界は真っ黒になった、真っ黒になった世界の中で三つだけ白く浮かび上がる三日月。瞬きをするたびに三日月がだんだん大きくなる。いや、違う。
ボクに近づいているんだ。
三つの三日月がボクの視界に収まりきらない程に近づいた。三日月を顔のパーツと見たときに口に当たるそれが、まるでボクを食べようとしているかのようにふくらんだ。
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