青い春の音
作者/ 歌

第2音 (4)
どれだけの時間、寝ていたのだろうか。
「……さ…、か…崎さんっ!神崎さん!」
突如、誰かが私をひどく焦った様子で
呼ぶ声に、びくっ、と肩を揺らした。
「え?」
まだ完全に覚めない頭のせいか、
うっすらと冷や汗をかいているせいか、
目の前の人物が誰なのか、一瞬、
考えることもできなかった。
「よかった…。大丈夫?」
安心させるかのように、そう優しく
微笑みを向けたのは、紛れもなく。
「春日井、先生……?」
「うん。青田さんから神崎さんが待ってるって
聞いて、この教室へ来てみたら、最初は
気持ちよさそうに眠っていたから、
起こさなかったんだけど。いきなり体が
震えだして…、起こしたんだ」
確かに何か、夢、を見ていた気がする。
「そうですか。すいませんでした……ってか
今何時ですか!?」
ぱっ、と薄暗くなった教室の時計に
目をやると、もう7時をとうに過ぎていた。
「うっそ…。先生、本当にすいませんでした。
せっかくお話とか、音楽のことについてとか
聞きたいこといっぱいあって、呼んだのに……」
これじゃぁ、なんの為に教室に残っていたのか、
意味ないじゃん。
いや、プリントは終わらせられたから
よかったんだけども。
本来の目的が果たせなかったのは実に悔しい。
「俺は全然構わないよ。神崎さんこそ大丈夫?
怖い夢でも見たのかと心配したよ」
「あはは、それは全然大丈夫です。
でも1週間に1回しか会えないのに、
貴重な時間を無駄にしてしまいました」
なんだか、ものすごく、ショックだ。
それはもう、明日食べよう、と取っておいた
プリンを食べ忘れて、気が付いた時には
賞味期限がきれていた、くらいに。
「えー…、俺、プリンと一緒?」
あれ、口に出していたみたい。
自分で気付かないってことは本当に
ショックだったんだな、私。
「そりゃぁ!ショックです!
プリン、食べたかったんですもん!
プッチンして、プリンッて!」
私がそう答えたところで、笑いを堪えていたのか、
もう無理、と吐き出した春日井先生は、
その場で腹を抱えて、ケタケタと笑い出した。
「え、ちょっと。何で笑うんですか。
至極真面目なんですが私」
本当につぼったらしく、目じりに薄らと
涙まで浮かべている彼に。
軽蔑の眼差しを痛いくらいに送った。
ごめんごめん、と未だに乱れている
呼吸を整えようと一生懸命、息を吐きながらも
全くその誠意が伝わってこないのは、
気のせいなんかじゃない。
「いつまで笑ってるんですか!
いい大人がガキのこと笑うなんて
白々しいにも程があります!」
「ごめんって。だってつい、面白くて…。
君、本当におもしろいね」
「全然嬉しくないんですが。
私は真面目に春日井先生の音楽に
一目ぼれしたっていうのに」
「えぇ!?マジで?」
いきなり大声をあげたかと思えば、
このわざとらしい驚き方に、
私も大袈裟にため息を吐いて見せた。
「じゃなかったら、わざわざ教室で
待ってるわけないじゃないですか!
音楽の為なら何でもしたい人間なんです」
「い、いや、まさか“あの”神崎さんに
俺が気に入られるなんて思っても
見なかったから……」
“あの”の意味と。
“俺が”じゃなくて“俺の音楽が”の訂正は。
出そうになった言葉を呑み込んだ。
本当に心底驚いている様子を見せる彼に、
私が認識している立場と、彼の認識している立場が
真逆のように感じるのは、どうしてだろうか。
とも疑問が浮かぶけど、めんどくさいので
こちらもやはりスルーした。
「とにかく、本当にショックだったんです!
いや、私が悪いんです、けど…」
自分でも、珍しいと思った。
普段の私ならどんなことでも、何とかなる、
と思い込んであらゆることを流して、
すぐに気持ちを切り替えられたから。
でも、春日井先生の音楽について触れるのを
楽しみにしていた分、ショックも
自分で思っていた以上に大きかったみたい。
そんな私を見て、何やら考え込んで
黙ってしまった春日井先生。
ちょっと強く言い過ぎたかな、と心配に
なり始めたさなか、うん、そうしよう、と
勝手に一人で頷いている先生が顔をあげた。
「今日はもう時間があれだから、ゆっくり
話すことできないけど……明日の放課後、
空いてるかな?」
「え、いや、特に用事はないですけど?」
「そう、よかった。じゃぁもしよければ明日、
うちの大学の吹奏楽部に来れないかな?」
「はい?」
突然の提案に、冗談でしょ、とも思えたが、
その真面目な瞳に本気だという色が窺えて、
引きつった笑顔をすぐに真剣なものへと戻した。
「大学でなら話はゆっくりできるし、
ぜひ君にうちの吹奏楽部を見てもらいたいんだ。
俺がここのトレーナーをしているみたいに」
「いやいやいや、そんなのまずくないですか?
私、一応高校生だし、仮にも大学生の先輩方に
偉そうなこと言えません。しかもS大生に」
「だからこそ言ってるんだよ。君なら
頼まれれば本音を言ってくれるだろうし、
チームにとってもいい刺激だと思うんだ」
確かに。
今までにさまざまなチームから、一度でいいから
演奏を聞いてアドアイスをくれないか、など
連絡をもらったことはある。
でもそれでは、そのチームらしさが
薄れてしまうような気がして、すべて
断っていた。
もし、今回の件を引き受けたことが
断ってしまったチームの耳に入れば、
確実に非難されるだろう。
……S大吹奏楽部、が。

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