青い春の音
作者/ 歌

第8音 (12)
家へと向かうために電車に揺られながら
窓の遠くを眺める。
今日は、不思議な1日だった。
まさかあの神崎さん、いやもう悠か、
とここまで親しくなれるなんて。
大和と悠が俺と悠よりも距離が近いことに
あまりいい気がしていなくて、大和に
対してさらに嫌悪感が強くなっていた矢先のこと。
まんまとはめられてというか、
まさかあんなことがあるとは思ってもいなかった。
でも、そのおかげで。
昔、大和と斉藤さんに教えてもらっていた
サックスの思い出が綺麗に蘇ってきて、
久しぶりに温かいものを感じた。
帰ったら、すぐにテナーサックスを弾きたい。
頭の中はずっとそればかりで、いつもは
家に帰ることが苦痛だったのに
こんなにも足取りが軽いのは初めてかもしれない。
そんなことを考えていると、ズボンの
ポケットに入っていた携帯が震えた。
取り出して見てみると、大和からのメール。
『今日は楽しかったな。お前と久々に
笑えてよかったと思ってる。気を付けて帰れよ』
「ふっ……」
文章を読んで思わず笑みが零れた。
本当に、久しぶりにあんなに笑ったし自分の
殻を少し、破れたような気がする。
大勢でめちゃくちゃな話をするのが
あんなに楽しいとは思っていなかったな。
でも悠にも言ったように、俺はまだあの時の
ことを許したわけじゃないし、納得もしていない。
だから大和とは2人で話がしたい。
『ありがとう。今度、2人で話したいことがある。
近々、時間作れない?』
そう返信をして、もう一度窓の外に視線を向けた。
大きすぎる門が僕を感知した瞬間、自動で
その扉が開いていつものように足を前に進める。
白で統一され、清潔感のあるこの家は
弁護士である父が数年前に5000万で建てた。
兄弟もいない、当時3人暮らしにしては
無駄に広くてため息しか出てこない。
でももう、それにも慣れた。
今となっては父と2人だけど、今のようにほとんど
出張や裁判関係で家を空けることが多いから
家にいても虚しさを感じるだけ。
家に入ってすぐに2階にある自室に入り、着替えて
家政婦が作り置きしてくれた料理を一人で食べる。
すぐに食べ終えたら、クローゼットの奥に
しまってあったテナーサックスの楽器ケースを
ゆっくり、出した。
埃を一つも被っていないのはこれを毎日、
父がいない家で吹いているから。
世間一般でいう豪邸であるこの家は、庭も
かなり広く、いくら吹いても近所迷惑なんて
ものとは縁がない。
唯一、吹いてはいけないと自分で
決めているルールは。
父が、いるとき。
僕の母親は3年前、僕が中学3年のときに
白血病で亡くなった。
弁護士である父は母が亡くなったとき、
大金がかかっている大事な裁判中とかで
何十回という病院からの電話を取らなかった。
母の死を知った後には、無表情で何を
考えているのか分からなかったけど
知りたいとも思わない。
母は音楽が好きだった。
ピアノ教室を開いていて、たくさんの子供たちに
優しく、丁寧にピアノを教えていた。
だから僕がサックスをやりたいと言ったときは、
満面の笑顔で応援してくれたっけ。
小学校で1番最初に友達になった大和は、
よく家にも遊びに来ていて、あるとき、
「外を探検しようぜ」の何気ない大和の一言が
斉藤さんとの出会いのきっかけだった。
大和が大好きな駄菓子屋さんがある、と
強引に僕の腕を引っ張りながら楽しそうに歩いていた。
嫌そうな顔をしながらも本当は、
すごく嬉しかったのを覚えている。
そんな時、微かにきれいな音が僕の足を止めた。
その音に引っ張られているかのように、
僕は音のするほうへとコンクリートの道を進み、
後ろから大和も走って付いてきた。
そしてアルトサックスをとても楽しそうに
吹いている斉藤さんに出会った。
それから僕たちは遊ぶたびに斉藤さんの
家に行って、サックスを吹かせてもらった。
僕はアルトサックスよりも中音を出す
テナーサックスを気に入って、すぐに母に
買ってもらい、練習をした。
本当に、楽しかった。
新しい曲が吹けるようになるたびに、
父と母に聞かせてあげては温かい手が
頭を撫でてくれた。
今思えば、その温かさを欲しかったから
一生懸命練習していたのかもしれない。
でもそれは、母が亡くなると共に、消えた。
父は母が亡くなった後、今まで以上に仕事に
力を入れて、音楽を嫌うようになった。
“二度と俺の前でサックスを吹くな”
そう言った父の表情、声、雰囲気、すべてが
凍えていてもう、あの温かい手は
戻ってこないということをすぐに察知した。
もう高校生になる間近で大人でもなければ、
完全な子供でもなかった。
そんな僕にできることは、父の言われた通り、
サックスを吹かないこと。
でもそれは思った以上に苦しくて、辛かった。
テナーサックスを吹くことが、僕の日常で
楽しみで、その時は生き甲斐でもあった。
斉藤さんや大和はすべて事情を知っているから、
直接じゃなくても、すごく心配しているのは
伝わってきて、逆に申し訳なかったくらい。
それでもやっぱりテナーサックスを吹きたくて
仕方なかった僕は、父の留守を見計らって
こっそり今の今まで吹いてきた。
誰に聞かせるわけでもなく、ただ、
母の顔を思い浮かべながら、吹いていた。

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