青い春の音

作者/ 歌



第5音  (2)



その人物が男か女だとか、
どうしてここで寝ているのかとか、
いつからいたのかとか、

普通ならそんな疑問を持つ
のかもしれないけど。

私はそんなことには興味はなく、
一番最初に思ったこと。


歌っても、いいだろうか?



結構な距離があるから
小さな声で歌えば、寝ているし
気付かれないかもしれない。

遠くで下品な笑い声や
爆竹の音が微かに聞こえる。

そんな嫌な音をこの耳から
消し去りたい。


ちょっとだけ……




Amazing grace! How sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found;
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear!
The hour I first believed.

Through many dangers, toils, and snares,
I have already come;
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.



「Amazing grace……」


…………え?



「how sweet the sound」


私の声にとは違う声が
ハーモニーを奏でている。

男の人の、澄んだ、透明の、


美しい声。



「That saved a wretch like me」


うわぁ……すごくきれいに
ハモっている。

すごく、楽しい!



I once was lost, but now I am found
Was blind, but now I see……




歌い終わって、すぐに後ろを
振り返る。


振り返りざまにさっき人影が
寝そべっていたところに
姿はないのを確認した。

目の前にいる人物がゆっくりと
私のほうへ歩みを進める。

暗くて見えなかった顔が
はっきりと。


藍色を含んだ黒髪に左目は
前髪で覆い隠されている。

すっと綺麗な体系をしていて
身長もたぶん、190あることくらい
直感でわかった。

黒目の瞳は何を映して
何を見ているのか、曖昧で。


さっきあそこで寝ていた人、

だとしたら起こして
しまったのかもしれない。


ってそんなことよりも、
もっととてつもなく大切なことが
私の中に残った。



「Amazing grace」


私がさっき歌っていた曲名を、
彼がさっきハモらした曲名を、


「とても、いい曲」


と言った彼の声がさっきまでの
何とも言えない感情を
再びよみがえらせる。

くわ、っと眠たそうにあくびを
して私が座っていたイスに
寝転がった。


いつものように、何か
言いたいのに。

彼のちょっとした行動がすごく、
珍しいもののように見えた。



じっと彼を見ていると、
寝転がったイスの上で瞼を
閉じて……

まずい!寝られる!


「あ、あの!」


寝られてしまっては、さっきの
歌声がもう聞けなくなって
しまうんじゃないか、って思った。

咄嗟に口から出てきた言葉は
私らしくない言葉。


それにゆっくりと瞼を持ち上げて
彼との視線が交わった。

次に何を言おうか考えて
いなかった私は、慌てて頭の中で
さっきまでのことを整理する。


とても綺麗な声だね、
音楽をやってる人間なの、
いつもここにいるの、

聞きたいことが次から次へと
出てきてどれを先に
言っていいのかわからない。


でも、一番最初に思ったのは。



「とても、楽しかった……」



できることなら、もう一度、
この人と歌いたい。

そんな想いを込めたこの言葉に
彼は寝ていた体を起こした。


前髪に隠れていない右目だけが
私を映している。

そこから感情はうまく読めない。


でも今はどう思われても
いいから、もう一度だけ、



……歌いたい。