青い春の音

作者/ 歌



第2音 (5)



「…すいません。もったいないお話ですが、
 その件は断らせて頂きます。
 今日は本当にすいませんでした。
 また来週お会いできた時にでも、お話
 聞かせてくれると嬉しいです」


突如、態度が堅くなった私を不自然に
思うのは当たり前だと思う。

でも、これが突き放すのには一番
手っ取り早い。

いくら彼の音楽に惹かれたからと言って、
彼のプライベートにまで首を突っ込むのは
してはいけない、ような気がする。


「失礼します」

と軽く頭を下げて、もうすっかり日の暮れた
空を映している窓にちらっと目をやり、
教室を出ようと足を踏み出そうとしたとき。


ぐらっ、と体が後ろに傾いた。


それが春日井先生に手首を掴まれて、
止められていることに気付くまでは
ほんの数秒のこと。


「…まだ、もうちょっと待って」


別に強く握られているわけではないから
簡単に振りほどくこともできる。

だけど、彼の切羽詰まったような声が、
足の動きにとどめを差した。


「分かった、うちの大学のことはいい。
 でもやっぱり、話したいな。
 あと……君に会わせたい人がいるんだ」

「会わせたい人?」

「うちの吹奏楽部員なんだけど、ちょっと
 心閉ざしている奴がいて。
 君にぜひそいつの音楽を聞いてほしい」


なるほど。

彼がわざわざ私をS大に来てほしいというのは、
その心を閉ざしているという人物に
会わせたかっただけ、なのかもしれない。

大勢の吹奏楽部員を見ても、必ず
私の目に留まる存在だと、確信を持って。


「どうしても聞いてやってくれないかな。
 きっと、気に入ると思う。そいつのこと」


そいつ、だからきっと男性であり、
春日井先生がとても気に掛ける存在なのは
よくわかった。

会ってみたい、とは思う。


「でも、どうやって?」


どうやって会おうとしてる?

少なからず私がS大に行くことは
先ほどの話からして、まずい。

そいつ、をこの高校に連れてくるのも
あまりいい方法だとは思えない。

だとすれば。
残っている選択肢は一つ。


「連絡先…教えてもらえないかな?」



あ、コーヒーのいい香りがする。


これは豆からしっかり作ってるかも。
インスタントなんかよりずっと
おいしい、コーヒー豆。

おいしいカフェが近くにあるのかも。


中学まではコーヒーは愚か、匂いも
大嫌いだった私は、少し大人になったのかも、
なんて思って。

ふふ、と笑みが零れてしまった。


人通りの多い道を歩いていることを
すっかり忘れて。


「何でそんなに嬉しそうなの?」


ふと、目の前から聞き覚えのある声に
落としていた視線をあげれば。

おもしろいものを見ちゃった、と
言わんばかりの表情が、
私を見下ろしていた。


……この人、身長いくつだろ。

182の大高よりも高いような気がする。
でも、この人には見下されてる感じは
全くしないなぁ。

いや、あいつの性格上の問題か。


「もしもし?神崎さん?」

「おぉお!春日井先生!びっくりしたぁ」

「ええ!?い、今さら!」

「あはは、すいません。ちょっと考え事。
 お待たせしちゃいましたか?」

「くく、本当におもしろいなぁ…。
 いや、全然待ってないよ。さ、行こうか」


連絡先を交換した昨日の今日。


一瞬、生徒と先生だからダメじゃないか、
なんて考えも過ったけどよくよく考えたら
春日井先生は、大学生、だ。

だから何の問題もないし、男女の関係を
築こうとしているわけでもなさそうだったから、
何の戸惑いもなく携帯を取り出した。


日時と場所と他愛もないメールの
やり取りをして、今日に至ったというわけだ。

車で迎えに行く、と言われたが
人の車にはあまり乗りたくない私は、
丁重に断って。

一度家に帰って私服に着替え、
隣町の駅まで来た。

制服だと目立つし、変な噂がたっても
いやだったから。


「この先のおいしいカフェにやつがいる。
 ちょっと目つきが悪くて、無愛想だけど
 別に悪い奴じゃないからさ」


未だにおいしいコーヒーの香りが
鼻をくすぐっていて、もしかしたら。


「今、とてもおいしそうなコーヒーの
 香りがするけど、そのカフェだったり?」

「お、よく分かったね。そうそう。
 そこのマスターが自己流のコーヒーを
 作っているんだけど、とてもおいしいんだ。
 コーヒーは飲める?」

「はい!うわぁ、嬉しいな。ずっとこの香りが
 気になってたから。楽しみっ」


またしても笑みが零れたけど、
今は隣に春日井先生がいるから
変な目では見られないだろう。


「…よく笑うね?歩く人がみんな
 神崎さんのこと見てるよ?」

「え。いや、だって今は春日井先生が
 隣にいるから笑ったっておかしく
 ないですよね?」

「あー…いや、そーゆーことじゃなくて。
 うん、いや何でもない」


何ですか、そのあからさまに
視線を逸らして墓穴掘った、みたいな。

ま、それよりも今はコーヒーに
会えるのが楽しみだからいいや。