青い春の音
作者/ 歌

第9音 (1)
悠に出会ってからは、母の顔を
思い浮かべるたび、悠の顔も浮かんできた。
意図的にではなく、自然に。
悠を初めて高校で見たときは、そのあまりにも
人を引き付けるオーラと容姿に目を奪われた。
男なら誰もが振り返るであろう容姿だけでなく、
俺が目を奪われたのは、綺麗な黒髪。
その黒髪を靡かせた後ろ姿は、母にそっくりだった。
顔や雰囲気は違うけど、後ろ姿だけを見ると、
母が高校生になったかのようで。
母の姿を見ているかのようで、母がすぐ
そこにいるかのようで、泣きそうになった。
でも彼女の口から出てくる言葉は、
真っ直ぐなものばかりで自分の弱さに
みじめになってくる。
真っ直ぐ僕を見る彼女の瞳は、僕のすべてを
見抜いているみたいで、ちょっと怖い。
それでも心の中心は優しさで溢れている。
今日の1日ですぐに気付いたこと、
きっと僕以外の5人も分かっているんだろうな。
それがちょっと悔しい気もするけれど、
悠に少しでも近づけたことが嬉しかった。
テナーサックスを組み立てて、リードを咥える。
いつもの手順で音を出し、今日のことを
思い出しながら音を奏でた。
僕も悠やみんなと一緒に演奏をしてみたい。
今まで部活やチームなどに入ったことはなく、
大勢で演奏するというものを味わったことがない。
だから今日の二つのアンサンブルを聞いて、
自分もすごくやりたくなったんだ。
音楽は不思議なもので、伝染していく。
しばらくサックスを吹いていると、
大和とのメールのやり取りを思い出して、
まだメールの返事を見ていないことに気付いた。
サックスを置いて机の上にあった
携帯を見てみると。
大和からの返信がしっかりあって、
『構わない。俺もゆっくり話したいしな。
夜9時までならいつでも大丈夫だけど』
そう書かれていた。
そっか、大和は夜の仕事だから
それまでは好きに時間が使えるのか。
問題は僕がそれに合わせられるかどうか。
壁に貼ってあるカレンダーに目をやり、
今週の予定を確認する。
受験生である今の僕は塾がほぼ毎日、
いれてあるけど毎週水曜日は休み。
明後日の夕方なら大丈夫かとメールを打ち、
もう一度携帯を机の上に置いた。
そういえば、悠にまだ今日のお礼の
連絡をいれていない。
大勢で家にお邪魔して、いろいろ用意も
してくれたんだから大変だったと思う。
すぐにまた新規メールを作成し、
悠にメールを送った。
ちょっと鼓動が早まっているのは、
僕だけの秘密。
この想いがどんなものなのか、今はまだ
はっきりと分かってはいない。
まだ曖昧で、脆くて、儚い。
だからこの想いはそっと、しまっておこう。
時間が削り取ってしまわないように、
感情の波にさらわれたりしないように。
小さな扉の向こうへ。
僕の影が僕から離れたとき、今日が
終わりを告げる。
街灯に映し出された僕の影が、
僕より早く角を曲がる。
角を曲がる前に一度立ち止まり、
こちらを見てから
「今日も一日、お疲れ様」
そう言っていつものようにあの角を
僕よりも風よりも誰よりも早く、
曲がって明日へ走り抜けて行くんだ。
でも、今日はまだ、終わらない。
大和との約束が待っていて、久しぶりに
ゆっくり2人で話すからちょっと、
そわそわしていたりする。
駅に着いた時点で大和にはメールを入れて、
すぐに家を出る、と返信が来た。
今日も家には僕だけ、だから
誰をいつ家に入れようと、誰にも何も
言われない。
帰宅して15分ほど経った頃、広い家に
インターホンが響いた。
滅多に誰も来ないから、その音一つだけで
心臓が大袈裟に跳ねる。
一度、軽く深呼吸をして玄関を開けた。
「……よぉ」
「……うん。入って」
大和も何年かぶりに来たからか、少し
ぎこちない。
2人ともリビングまで、無言で歩く。
「……忙しいのに悪かったね。
何時にここを出れば仕事に間に合う?」
「あぁ、8時半に出れば余裕だから
3時間くらい全然平気だ」
「そっか。さんぴん茶と紅茶、コーヒー、
どれがいい?」
リビングにある汚れ一つない白い机と
イス、そこに座らせて、飲み物を淹れるために
僕はキッチンへと向かう。
さんぴん茶って言うのは沖縄でお茶
代わりとしてよく飲まれている飲み物。
内地ではジャスミン茶っていうらしい。
「紅茶で。あ、レモンな」
「そういえば一昨日、悠の家でもそれだったけど
昔は紅茶、飲めなかったよね?」
「あぁ。でもあいつが淹れてくれるように
なってからは好きになった」
そう言った大和の表情が、驚くほどに
柔らかくて。
真っ直ぐ、大和の瞳を見れずに慌てて
ティーバッグに視線を落とした。
「はい」
「サンキュ」
レモンティーとミルクティーの入った
カップをそれぞれの前に置いた。
2人だけでこんな広い家にいても、
静けさが目立つから何の意味もなく、
テレビをつけた。
ニュースのアナウンサーの話す声だけが、
空気中を飛んでいく。
「で、単刀直入に聞く。
いつから俺を避けるようになった?」
一口紅茶を飲んですぐに、大和は
僕が話そうとしていた話題を持ちかけた。
手に持っていたカップの中で揺らめく
ミルクティーを見つめながら、
ずっと聞きたいことを聞くべく、
意を決して口を開いた。
「中3の時、俺に初めて彼女が出来た
ときのこと、覚えてるよな?」
「あぁ」
「その子のことは別にそこまで好きじゃなかった。
告白されたから付き合っただけ」
「そうだって言ってたな」
「でもさ、彼女にしたからには大切には
しよう、って思った。少しずつ、彼女を
知っていくうちに、惹かれて行ったんだ」
意外と、冷静に話をしている自分に
内心驚いていた。
あの時は、大和を憎むくらいに辛い
出来事だったはずなのに。
ミルクティーに落としていた視線を少し
上げて、大和の表情を窺う。
じっと僕のほうを見ていて何も変わらない。
「付き合い初めて3か月経ったとき、
彼女と下校するためにクラスが違かったから
いつものように彼女の教室まで迎えに行った」
過去という名の心の動画が、
ゆっくり動き出す。
「教室の前まで来たとき、中から話し声が
聞こえたんだ。……彼女の声だとすぐに分かった。
友達何人かと話していたから、邪魔しちゃ
悪いと思って入らずに外で待っていたら……
聞こえてしまった」
目を逸らさずに黙って僕の言葉の
続きを待つ大和。
その次の言葉を吐き出すのに、喉の奥が
詰まりそうになったけどコップを持つ手に
力を入れて、ゆっくり息を吸い込んだ。
「いつまで俺を利用して大和に近付こうか、って」
僕の言葉を聞いてすぐに、大和が
形のいい眉をぎゅっと寄せた。
「その言葉が最初は信じられなくてその場で
立ち尽くしてしまった。だから、彼女は
俺が教室の外にいると知ったとき、慌てて
こう言ったんだ」
『き、鬼藤君にそう言えって言われたの!
告白されて……私には荻原君がいるからって
言ったら無理やり押し倒されてっ…。
嫌なら荻原君に聞こえるようにそう言えって!』
「そしてその場で泣き崩れたよ」

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